新潟少年学院スタディツアー(2回目)体験記その一

育て上げネットが企画する少年院のスタディツアー
先月の愛媛県松山学園、香川県丸亀少女の家に続き、今回は新潟県長岡市にある新潟少年学院に7月17日に行ってきました

ちなみに新潟少年学院への訪問はこれで2回目
上越新幹線の長岡駅から車で15分ほどの所にあります。

前回のスタディツアーの参加者は確か10名ちょっとだったかな。ちなみに今回の参加者は40名くらいの大所帯。
参加者のバックグラウンドも本当に多様で、NPO、民間企業、法務省など色々。
社会的な関心の高さがうかがえます。

平成24年に施設更新を迎えたため、非常にきれいな施設に到着後、2階の会議室に通していただき、馬場院長以下、法務教官の皆様に施設概要や少年院に送致されてくる少年たちを取り巻く情報についてご説明いただきました。

このプレゼンテーション、随所随所でプレゼンターが院長から統括官、次長へと変わりながら、担当者の視点でわかりやすく説明していただき、チームプレー感半端ない仕上がりでビビりました。
休憩時間中にその感動を馬場院長に御伝えしたところ、院長なりの深遠な考えがあってこのような形式にしたとのこと。
院長としての職員の方々への愛とマネジメント意識の高さを感じました。

また、説明いただく途中、随所で参加者から頻繁に質問の手が挙がっていたのが印象的でした。

さて、肝心の説明は、少年院の概要から、入院している少年の状況から始まりました。現在新潟少年学院では、比較的高年齢の未成年が約50名ほど生活しているとのことです。

出所することになった原因としては、財産犯が半分くらい。
また、近年の特徴としては、性犯が増加傾向(H30年でいえば11%、例年は3%程度)にあること、そして、暴走行為由来のケースが顕著に減少している事が挙げられるということでした。

暴走族の話では、新潟少年学院には、過去に暴走族の総長も入院したことがあるそうで、総長になるくらいなので、さぞ筋金入りの少年かと思いきや、なった理由は「じゃんけんでまけたから」「先輩に押し付けられた」という理由だったというリアルなエピソードもご紹介いただきました。こういう笑いのエピソードが準備されてるあたり、相当ネタの研鑽があったのではないかと推察されます・・・w

1年弱の期間を少年院で過ごした後の帰住先は両親および親族のところがほとんど。
保護施設に入る少年は全体の5%だそうです。
保護施設では、両親がいなかったり、両親が引き受けを拒否する少年を受け入れることができます。
しかしながら、保護施設は、刑務所出所者も受け入れている関係もあり、スムーズに一か所で決まるとういことは稀だそうです。
また、誰でもOKというわけではない(薬物や性非行が入っていると受け入れが困難になるという現実もある)ようです。

少年院を出院した後について、親元に帰れていいじゃないかという話も出ますが、実際には両親の元に帰るのが本当にいいのか、という葛藤が生じる場合もあるようです。
それは、「地元に帰る=非行していた環境に戻る」ことを意味するケースが少なくないからだそうです。
少年につらくあたってしまう両親の元で生活したり、悪友のネットワークが広がる地域に戻ることで、せっかく少年院で培われた前向きな気持ちが入院前に戻ってしまうということもあるようで、帰住先がスムーズに決まることが、必ずしも更生につながるわけではないようです。

こういった話をうかがう中で、少年院を外から眺める目線と、現場から見る目線とでは、見える景色がやはり違うということを実感しました。
少年院法改正以降、「開かれた少年院」というスローガンのもと、少年院では、施設の透明性を高め、より地域や外部事業者との連携を強化していこうとしています。
その一方で、地域や民間事業者の側も、何か協働できることがあるのではないか、という姿勢で少年院と関わりを持とうとしています。

とはいえ、まだ連携の在り方を模索する活動は始まったばかりですし、外部事業者がどのように関わっていけるのか、少数の先行事例があるほかは、試行錯誤の時期が必要なのかな、というのが実感です。

さて、施設についての紹介をいただいた後は、少年院施設の見学もさせていただきました。
今回はValueBooks社の本の清掃作業の見学と体験をさせてもらったのが特に印象に残りました。個人的には、本の清掃作業で、「あ、それはこういうふうにやるのです」とツッコミを少年からいただいたのがグッときました。

体験と並行して、体育館でVB社の社員の方が少年たちから質問を受けているところも拝見することができました。
その場で少年たちからたくさんの質問の手が挙がっていたのが、歯に衣着せぬ言い方をすれば、意外でした。正直なところ、普通の学校にいる子たちよりもたくさんの手が挙がっていたように思います。

「本を読む事でどのように成長できますか?」

「自分の好きなことで働くというのはどのような感じですか?」

と質問する少年の質問からは、彼らの中にある少年本来のまなざしが込められているような気がしました。
それに対するVB社の社員の方の受けごたえにも真剣に聞き入っている姿を後ろから見て、ちょっとえも言えぬ感情が込み上がってきました。

こういうシーンを目にするにつけ、少年院で生活をする彼等と、施設の外で生活する少年の本質的な違いって何なのだろう、と改めて強く感じます。

子どもにとって自分の親と生まれ育った環境は選べない。
所与に与えられるそれらの要素によって、彼等のその後の生き方は大きく分岐していくのが現実です。

それを自己責任とはとても言えない気がするんですよね。
社会として、全ての少年に等しく成長する機会、自立的に社会で生活していくための環境を用意することは社会の責任なのではないかと思うわけです。

そのためにできることはたくさんあるけれど、少年院という施設に関わったご縁を持ったからには、少年院で生活する少年、その少年たちを見守る職員の方々の支えになるような活動をしたいと思います。

以下、説明の時に交わされた質問と回答内容のラフメモ

※質疑応答の内容をその場で打ち込んでいるので誤字脱字が多いのはご容赦ください。あと、言っている言葉をそのまま打ち込んでいるわけでもない点もご理解いただければありがたいです・・・粗くてすいません・・・


Q再犯率の高さ(40%)に対する現場の考え
A全国を均しすると40%という数値があるが、新潟はそれほど高くないという認識を持っている。
再犯のケースでは、2年以内の再犯が多い。少年院としては2年以内の再犯率を20%以下にしたい。2年間社会で定着して生活できれば再犯率は大きく減少すると言われているため。
A 40%というのは全ての犯罪で再犯者がやっている犯罪の率がそのくらい、という話。 少年院という切り口での再犯率は11%くらい。再犯防止の数値目標として、2年以内の再犯率を2割減らすことが掲げられている。

Q少年院がオープンな環境になり、いろいろな刺激を少年が受けるようになると、彼らがなりたい仕事も多様化するのではないかと思うが、建設業以外の希望職種はあるか?
A美容師に行きたいニーズもあれば、大学進学を目指して起業したいという人もいる。 マッチしていないところはあるという認識は持っている。
学業に注力したいという場合には高卒認定試験をまず推奨することになるが、家庭からの経済的支援などを受けられないために公認試験を頑張って合格してもその先が見えないという課題がある。
奨学金制度はあるが、そこから簡単にお金を借りれないという現実もある。少年院としても安易にお金を借りるということを勧められないという側面はある。どこかに就職して5年、10年務めておカネをためるということが現実的な着地点。
勉強に苦手意識を持っている子は多い。指導として頑張れば克服できると伝えているが、それでもなかなか難しい子もいる。そういう子は建設業でやっていく、という覚悟を決める子もいる。
現場も1年しか見られないので、軽々しく様々な可能性に向かってサポートしていくことは難しい
少年が目標を持ち始めた、関心を持ち始めたということを保護司や保護観察所や協力雇用主と共有して、新しい環境でどうすればいいのかを一緒に考えていくことが重要なのではないかと思う
職業指導のうち、溶接は資格につながるので、それをつかって就職していくというのはあるが、陶芸や木工は直接的に就職に結びつくわけではない。しかし、手順に従ってコツコツやる、という基本姿勢や心構えを養うことが重要だと思っている
社会復帰のための指導という面ではキャリアカウンセラーが定期的に指導をしている。
土方しか道がないという子もいれば、将来IT関係で起業する、という少年もいる。
夢が大きいのは問題ないが、出院後に生活を安定させるための生活設計をどうするか、という軌道修正、微調整はキャリアカウンセラーが個々にやってくれている。
頭がいいけど高校行かないという子が、キャリアカウンセラーの話をきいて大学進学のために勉強し始める子もいる。
職業指導とキャリアカウンセラーのサポートを組み合わせてキャリアデザインを支援している。

Q出院後に希望する職や学校が決まっていない人はどういう特徴があるか、傾向はあるのか。たとえばおれおれ詐欺で大儲けしちゃうと難しいなどの傾向はあるのか
A就学については、出るタイミングと学校に入る時期的なタイミングが噛み合わないケースが結構ある。
もともと居た学校を休学していればその学校に戻れるが、出てから次の4月に向けて試験を受けて進学する場合には、空白の期間が発生する。希望して次年度にいけるように頑張る子も一定数含まれる。
就労「希望」のケースについては、本人希望と親の考え方の齟齬が埋まらないケースなどがある。親は土建関係だと業態的に良くないのではないか、という考えを強く持っている場合、すり合わせるための指導はするものの、決まらないまま出院、というケースも多い。
就労希望して面接の手前で出院というケースもある。保護者との意見の齟齬、タイミングという形で数値的にはこのような数値が出てくるというのが実情
金銭感覚的な部分で言えば、悪いことをしてお金を稼いだ経験(一瞬で数十万、数百万)をしていると、一か月はたらいて15万円、ばからしいという反応をしめす子も多いのが実情である。一般的な金銭感覚を教えていかないと健全な就労意識に向かないというのは感覚的にはある。
一方で、特殊詐欺に関わる子は聞き分けがいい子が多い。H27年度は「すうっと(?)」いっちゃうよね、という現場意識があり、それでよいのか、ということで特別プログラムを用意した。その中で、金銭感覚を養う指導を盛り込んでいる。
プログラムの成果として、リスクを冒して大金を稼ぐよりも、地道に働いて年間このくらい稼げるという正確な認識が養われるということがあるのではないか。

Q財産犯が4割を超えるということで、一見家庭の経済状況や暮らし向きが犯罪に影響を及ぼしているのではないかと考えがちだが、実際には、少年とコミュニケーションを取る中で見いだされる他の要因はあるか?
A詐欺のオリジナルプログラムを作成して指導している。新潟ではグループワークを導入し、7~8人で本音を引き出すという事をやっている。
結局、この種の行為に手を出す少年は、18歳、19歳が非常に多いが、友達が高校に進学した時に、自分は何にもない、特殊詐欺を「仕事」だと表現している。対外的には「仕事」をしている気持ち。いつまでもやるつもりはないが、友達からは「仕事」といえる。
親にはお金はあるのか、という質問に足して、「まあそれなりにあるよ」と繕うためにしているという側面もある。
ある意味で外面も保たれるというところがある。周りが働いているのに自分は金がないのはナー、金があると、周囲と付き合える、というインセンティブ。
受け子はリスクが高いけど、現金がすぐもらえるということで、ある意味選んでやっている側面もあり、大人が「受け子はやらされている」という認識で相対することが間違いという部分もある。
A全国的な傾向でいえば、財産犯に限らず、いわゆるシングルマザーの世帯の少年の割合が高い傾向がうかがわれる。
相対的な貧困の状況にある少年が、親に迷惑をかけず、かつ、周囲とつきあっていくために、犯罪行為をするということはあるかもしれない。

Q日本・イスラエル・アフリカで起業支援をしている。
就職先がないなら自ら起業するということもありなのではないか。
起業支援プログラムを提供したいと思ったときに、どのようにすればできるのか。
Aプログラムは頻度、期間などによって実現可能性は変わる。
希望者がいて、通信教育的な形であれば、導入は可能。
プログラムを施設内で広くやるとなると、各少年院で定めている教育課程との整合性の話になる。少年院全体でやるとなると、法務省との折衝となる。
A少年院は学校ということで、カリキュラムをがっつり入れている。学習指導要領を変えるという話になるので大きな話になる。
A地域の起業家にきてもらって講演というのもやっている。

Q少年院から出て2年間の間で生活に定着していくために必要なものは何か
A親子関係は重要。親との仲が良くないと繋がってこない。あとは交友関係。
出院したところでひっかかるのは不良交友。これがあるとそれが引き金になってしまう。仕事も続かないし、再犯につながってしまうという相談もある。
A帰住地が無い子も多い。職業と住まいが必要。
更生保護施設は職業をあっせんしてくれないので、仕事がすぐに見つからない。
就労先を確保できて身元引受人になってくれるのが重要。引受先があっても保護観察所の調査で、すぐ逃げてしまうという評価のところで折り合いがつかないということもある。求人票がたくさん届いて少年に見せるのだが、求人票をみせて魅力を感じるところってあまりないのが実情。ただ求人票を見て、そこに行こうとは思わない。視覚的に訴えて見られるような仕組みがあれば。
A地元にしがらみがある少年は地元に帰らない方がよい。一番いいのは親が引っ越してくれることだが、それはなかなか難しい。
再犯する少年をみていると、手を染める寸前に駆け込めるような場所があると良いのではないかと思う。出所後に警察署の地域安全課とつながりを作るような仕組みがあっても良いのではないか。
A少年院出院後に電話してくれてもいいし、面会も可能。思いとどまってやばいというときにかけてくれる電話が大事
A出院時に思うことは孤独と不安。院にいるときは職員もいるし、自己効力感もあるが、いざ出ると「自分には何もない」という気持ちになり、不安になるという少年がかなり多い。保護観察官は全国に1500人、保護司はボランティアで5万人。毎年2万人+2千人が保護するというのは現実的ではない。子どもたちが帰る先の地域の受け入れる仕組みづくりが重要

QValubooks社の社員に質問している風景が印象的だった。どういうふうに質問することをエンカレッジしているのか
A普段の日課の中で意見を言う場がある。グループワークもやっている。そういった機会で発言する場を作っている。詐欺以外にも非行内容別に集団指導をしている。
自分の意見を表明し、日との意見を聴くということをやっている。仕事については関心が高い。採用や給与についてはニーズがあるので手が挙がっている印象。

Q少年たちは見学ツアーをどのように捉えているのか
A職員からの説明としては「親や保護司以外の大人が何か手助けできないか、という人が多く見学にきている」ということをそのまま伝えている。少年からの感想は聞いていないが、白い目で見ている人はいないと思う。その意味では心強く感じているのではないか。
A立ち直りや支援を真剣に考えている人が来ているというところで納得できているが、単純に興味関心で来ているようであればやはり反感を持たれる。

Q見学対応の負担をかけているのではないか
A現場レベルでの負担感は全く感じていない。生徒も本音のレベルで感じていない。社会復帰に繋がる部分がある、ということを伝える、彼ら自身が示すチャンスでもあるということを伝えている。むしろありがたいという思いしかない。
A去年も参加した身分としては、視野が広がった。いろいろな業種と話すことができた。同じ環境で勤務すると視野が狭くなってしまうので、こういう考えがあるのか、というのを触れる場があるのはありがたいことだと思う。職員に対する刺激として有用。刺激を受けた職員が指導をするので、少年にその刺激がフィードバックされるので、規模的には小さくないが、対費用効果で言うとメリットがあるように感じている。
Aロジ的な忙しさはあるが、自分達が何をしているのかをしってもらうことが、理解者を増やし、ひいては少年が社会に変えるときに受け入れてくれる素地をつくることに寄与していると確信している。草の根運動に近いが、発信力の高い個人がお集りなので期待している。少年院としても広報という業務として捉えている。いい刺激を受けている。

Q子ども自身の学びの自由度がどれだけあるのか。個々人の興味関心に応じた機会をどれだけ提供できるのか。
A日課の隙間で自分のやりたい勉強ができるのは余暇時間、その時間内であれば本人が希望して差し入れを活用して勉強することは可能
Aインターネット環境は非常に制限が強いのが実情。大量の個人情報が入っており、万が一でもそれが流出していると大変なことになる。新潟学院でも2台しかない。
多摩少年院ではNHK学園のコンテンツのみを閲覧できるという取り組みを始めている。

法務省矯正局山本企画官
少年院は激動の時代を迎えている。少子化により少年院に入ってくる少年が少なくなってきている。法律改正の流れもある。法制審議会で議論をしているが、結果は不透明。
今日本をきれいにしていた少年はほとんどが18歳から19歳。かれらが刑務所にいくのがよいのか、少年院にいくのがいいのかを考えてほしい。

叡智次長
若年者の就労は今後も大事なテーマ。少年院も再犯防止の観点から活動していきたい。
今年から地元の高校生を呼んで、少年期の教育プログラムを紹介している。応募が少ない。若年者の認知も低く、良くないというのが実情なのだろうと思っている。

・・・と、ここまでその場で打ち込んだ内容を書き連ねてきて思うことは、職員の方々ではヒーローではないけれど、支え手としてのリスペクトを持つことは至極妥当な姿勢なのではないか、ということでした。

その弐も近々書きます・・・!

少年院という学校、刑務所という福祉施設

前職卒業して、身体の半分くらいを子ども・若者の自立支援に関わる活動に投入してからというもの、少しずつですが、支援の現場に近いところで仕事ができるようになりました。

少年院に入っている少年に勉強を教えるというのもその一つ。


少年院というところ、普段生活していてなかなか目にすることも、耳にすることもない施設ですよね。

でも、実は都内にも何か所かあり、上記の記事はそのうち八王子にある多摩少年院に訪問したときのもの。

少年院で生活している少年たちと一緒に考えていて感じたことは、

「少年院に入ってない同年代の子とあんまりかわらないな…」

ということでした。

もちろん、珍しい外部の人に対して”余所行きの顔”をしているのかもしれないですけれど、正直自分が想像していたイメージよりずっと、おとなしいし、真面目だし、何かがわかったときの反応なんか、起業を目指す人が見せる表情とさして変わらないんですよね。

どーも僕らは、現実をあまり知らないようです。

よく考えたら、ニュースでも「事件が起こった」ということは盛んに報道するけれど、その後のこと(起訴されたのか、裁判でどのような判決が下ったのかなどなど)になると、急に情報量が減る気がする。

ましてや、刑務所に収監された後、少年院に入院した後のことまで追っかけている人は、関係者以外皆無なんじゃないだろうか。

ニワトリタマゴの話で、僕らも興味関心がないし、メディアも報道しない。

施設の存在は知っていても、そこにどんな生活があるのか、ということは誰も知らない

その最たるものが、刑務所や少年院といった矯正機関なのではないだろうか。

そんな問題意識が、なんとなーく頭の隅にひっかかりながら生活していたら、先日寄った荻窪のとんがった書店「Title」でみつけちゃったわけですこんな本。

なんすか、この敷居の低さを体現した表紙デザイン。

ユルい。ユルすぎる。仮にも犯罪者を収監する施設について書かれた書籍です。灰色とは言え、ハートはいかんでしょ。しかも、ハートで囲まれているキャラの罪のない佇まいもいけません。何がいけないって・・・そこは、よくわからないけども、とにかくマズいですよ・・・。

そんなデザインにまんまと手を伸ばし衝動買いの本の山の一冊に加える自分。LIBROの時と行動がかわってません。

読んでみます。むむむ。これです。無知の状態にある者だけが感得できる、空っぽの容器に勢いよく水がバシャーって注がれていくような、初期の知識充足の満足感。

これまで知らなかった刑務所の現状についての情報が、無知という脳内領域をみるみるうちに塗り替えていきます。

いくつか例を挙げると・・・

・2016年に刑務所に入った受刑者の約2割は知的障害のある可能性が高い

・最終学歴は中卒が最も多く40%、高卒が30%、大卒は5%。

・知的障害のある服役者で、収監された理由で最多のものは窃盗罪、次いで覚せい剤取締法違反、次が詐欺罪。文字だけだと凶悪なイメージだけど、内実はパンとかおにぎりを盗んだり、ダッシュボードに置いてあった30円を盗んで懲役、クスリの運び屋させられて懲役、無賃乗車、食い逃げ、オレオレ詐欺の出し子やらされて懲役、みたいなものも多い。しかもその理由はだいたい「生活苦」

・知的障害のある受刑者の服役は平均3.8回。65歳以上の知的障害のある服役者だと70%が「5回以上」

本当は高齢者の受刑者の話もしたいんだけど、ここでは障害を持つ受刑者のファクトのみを列挙してみた。

ここまでだけでも、既に自分が抱いているイメージとだいぶ違う。そして、一冊読み切ると、だいぶ違うどころか、ほぼ完全に自分のイメージが実態と違うことがわかる。

この本で問われていることは、刑務所に収監されている人は犯罪者なのか、被害者なのか、なんなのか?ということだと思うんですよね。

犯罪行為が社会的な制裁を受けるべき行為であることは間違いない。

でも、この本の中で紹介されている服役者は、加害者なんだろうか。犯罪者なのだろうか。

自分の行動をうまくコントロールできない。

うまく表現できない。

自分を見る人の目は初期状態からして疑いの目、得体のしれない者を見る目で見てくる。

生活は苦しい。

そんな状態で何かのきっかけでパニックになってとった行動で捕まり、裁判の場では意図せず裁判官の心証を悪くする言動をとってしまい、それが反省の色なしと取られてしまって懲役が決定してしまう。

感情のコントロールや表現方法が他の人とちょっと違うとわかる人がいれば

「まあそういう感じの人もいるよね」とフラットに見てくれる人がいれば

彼の生活の苦しさや孤立を解消できるような仕組みがあれば

多くの人が刑務所に収監されなかったかもしれない。

著者も

『障害のある人を理解するっていうのは、腫れ物のようにあつかうことでも、むやみに親切にすることでもない。自分と同じ目線で接し、彼らの立場になって考えてみることだ』

と言っているように、大事なのは、自分も相手も、それぞれ異なるということを前提にした上でのフラットな関係を作れるか、ということなのだと思う。

まあ、それが今の日本社会では難しいので、本書で紹介されているような、むしろ収監された方が困っている人にとっては幸せ、という歪んだ状況がうまれているのだろう。

生活苦と孤立というハードモードの世間に比べて、刑務所の生活の難易度の低さ。

屋根と壁のある生活。

食事は三食。

世間の人より理解のある看守。

累犯者が多い理由の一つは、世間と刑務所の「生きやすさの逆転現象」が起こっているからだったのだ。

刑務所に戻りたいから、出所した直後に万引きする老人の事例が紹介されているけれど、迎える社会の生きづらさが、彼等に罪を重ねさせる側面も確かにあるだろう。

そんな生きづらさを抱え、微罪に再び手を染めてしまった彼らは犯罪者なのだろうか。

間違いなく犯罪を犯した時点では犯罪者だ。でも、その前後の過程まで視野を広げてみると、彼は実は被害者だったのかもしれないとも思う。

点的には犯罪者、線的には被害者だ。

そして、彼らを取り巻く面としての社会は、もしかしたら加害者と言えるのかもしれない。

そう考えていくと、刑務所って、加害的な社会から障害を抱えた人や行き場を失った老人を匿う福祉施設のようにも思えてくるから不思議だ。悔い改め更生させる矯正施設とはなんか違う。。。

この本でも「刑務所の福祉化」という表現が使われているけれど、もはや実態として福祉施設に近いのかもしれない。

少年院に入ったときも、少年と24時間365日をともにして、少年の更生のために働く法務教官の方々の姿勢が印象的だった。少年院は矯正施設だけど、まぎれもなく教育施設だった。

刑務所は福祉施設で、少年院は教育施設。どういうこっちゃ。

どうも自分が持っている認識と実態はだいぶ違う。たぶんそんなことは世の中たくさんあるんだけど、一番実感できるのって、僕らの社会がいちばん目を背けてきた、矯正施設という領域なんじゃないか。自分は運よくそういう経験ができてる気がします。

ということで、ちょっと蓋開けてみてみませんか。

少年院なんかは定期的に見学会を開催していて、そちらもおススメですが、ちょっとハードル高いという人はまずこの本からどーぞ。

ちなみに、少年院に関する本でおすすめなのはこちら。

少し前に閉院した奈良少年院に在院していた少年たちがつくった詩の詩集です。冒頭のように、「彼らと施設の外で生活している同じ年齢の子たちと何が違うんだろう」と考えさせられる一冊です。

【本】少年院のかたち

『殺人をやって「自分が死ねばいいですから」という少年もいます。「死んだら簡単だよ」と叱ります。
「被害者は苦しいよな。おまえも苦しめよ。なにを苦しむんだ?」
「償いと簡単に言うな」
「ここにいる時は俺も一緒に背負う。だけど社会に出たら、おまえはどう背負う」
それらしい謝罪と作文で終わり、というわけにはいきません。
それもやらないと法務教官じゃないですからね。』

いまお手伝いしている仕事のうちの一つが、少年院に関わるものなのですが、そもそも少年院ってどんなところなのか、そこに入院している少年はどういう人なのか、さらには、そこで矯正教育を担う教官はどんな人たちなのか。

知るということは大事なことだと思うんですよね
それを知っているか、知っていないかで自分の見方は大きく変わります

少年院に収監される人は自分たちとは違う、と思った瞬間にそこは見なくてもよい領域になってしまう、その頭の動きが危険です。関わりはなくても、知ってるのと知らないのとでは出てくる考えは大きく変わるので。

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刑務所で起業家養成 アメリカの再犯率を劇的に下げたアメリカの取組み

「ここを出たら、履歴書を送ってくれ」

受刑者にこういうことを言える社長がいる社会、悪くない、と僕は思うわけです

アメリカの刑務所で「起業家養成プログラム」開講、再犯率が3%に “刑務所で起業家養成 アメリカの再犯率を劇的に下げたアメリカの取組み” の続きを読む