政治家とヒーロー

今日は知り合いの方の御紹介で、東京都議会議員の小松大祐議員にお会いしてきました。

小松議員はご自身のウェブサイトの制作の一番上に教育というテーマを掲げられている通り、子どもの教育や環境についての問題意識を強くお持ちでした。

育て上げネットの少年院との協働事業を紹介すると、出院後のサポートの重要性や、入院前と異なる環境で経験を積む事の重要性をずばりと指摘されるあたりが流石だなという感じでした。

コミュニケーションの中で「仮説」という言葉が飛び出してきたり、子育て政策と少子化対策の費用対効果についての問題意識を持っておられたりと、随所に元リクルート出身らしい切れ味の鋭い事業マインドが感じられて、限られた時間ではありましたが、非常に濃い時間をご一緒させていただくことができました。

その後、場所を移して元オリンピック選手の成田童夢さんとランチ。

今は様々なところで講演や教室をされている成田さんですが、実は過去に部屋からでられなくなった経験もお餅という話をうかがって驚きました。

いや、完全にイメージですけど、オリンピック選手に選ばれる人って、メンタルも強靭なものだというのがあったんですが、実際はそうじゃない人もいるんだなあ、というのが新鮮でした。

よくよく話を伺うと、脚光が当たっている時と、社会の期待から外れた状態になった時とで環境が激変してしまい、時に、アスリートの方ですら耐えられないギャップや風当たりに直面することも多いそうで、「確かにそうだよね」という納得感もありました。

こういう話をうかがっていると、本当に誰だってひきこもり状態になってしまうこともあるし、そういう場合に誰かが支えてあげることで、その後の人生は浮きも沈みもするもんなんだなと感じました。

意外に身近なところにある「ひきこもり状態(の人)」なのだから、社会として支え、応援してあげないと、ほぼ確実に対応が追いつかないということでもあるのだと思います。

失敗の相対化~成功体験と同じくらい大事な失敗体験の蓄積~

年末に茨城県の精神保健福祉センターにお招きいただいた際の話の内容がいつの間にか記事になってました

当日は60人くらいの方がご参加されており、私とひきこもり大学の茨城キャンパスを主宰されている大谷武郎さんのご講演の前に自分の経験をお話する機会をいただきました

私は大学院時代に半年間ほどですが自分の家からほとんど出ることができなかった期間があります。多くのひきこもり経験者の方からすればごくごく短期間の経験でしたが、その経験もあったからこそ今でもこういうお仕事をさせていただいているので、経験というのはどこで活きるかわからないものです。。。

上記の記事の中でも書いてありますが、自分のひきこもりのきっかけはいわゆる「学業のつまずき」でした。

大学院での研究がうまくいかず、教授やゼミの先輩や同期の方々にそれを打ち明けることもできず、研究室に行くのが怖くなってしまったんですよね。

ただ、大学院への行きづらさは、ひきこもりの最終的なトリガーでもあったのですが、そうなってしまう原因はもっと前から蓄積されていたように思います。

それは、「失敗に対する打たれ強さ」が無かったこと。自分で何かを意思決定して、おもいっきり顔面に岩が直撃するくらいの衝撃的な失敗ってのを全然経験してこなかったんですよね。

だから、あるときにそういうのを一回食らうと、それが致命傷になって立ち上がれなくなる。

もし、もっと前の時点で、そういう経験を何度も経験していれば、「あのときに比べればたいしたことないな」と思えるかもしれないけれど、当時の自分にはそういう余裕も引き出しもなかったんですよね。。。

よく、ひきこもりからの脱出には成功体験の蓄積が重要だ、と言われます。

もちろんそれもあるんですが、ひきこもりにならないためには何が必要か、というと、僕は失敗体験の蓄積だと思うんですよね。

色々な失敗をすることで、いま直面している失敗を相対化できることができる。

「あのときに比べればたいしたことないか・・・」と自分を納得させて何とか前に進むことができる。

失敗にはそういうメリットがあります。自分は大学院に戻ってからは、それまで自分が避けてきた「失敗」という経験を意識的に蓄積しようとしました。

具体的には、自分がやりたくないと忌避したり、やれるだろうか、と不安に思うことをあえてやり続ける、ってことだったんですけど

例えば・・・

就職活動では直感的に面倒だと思っても、好きな会社だろうが興味ない会社だろうがひたすら説明会に参加して話を聞く。

OBや社員訪問をして、これで十分聞いたからいいや、と自分で思った人数を越えて、これでもかというくらい話を聞いて回る。

そんなことやってちょっと必死過ぎない?恥ずかしくない?と思っていた終活対策の集まりやセミナーに通ってみる。

こんなことしてるともう毎日失敗の連続だし、恥ずかしい経験の上にさらに恥ずかしい経験を重ねるような毎日でしたが、結果的には通算3回の就職活動の中で一番手ごたえのある活動と結果だったかなと思います。

あと、大学・大学院時代を通じてほとんど参加しなかったいわゆる「合コン」に参加するとか。もう初回の時とかどんな感じだったか覚えてないですが、まあおぼこい感じだったと思います(赤面)。でも行く。

そしたら徐々にその場に慣れてきて、いつしか男性メンバーを揃える立場になって、合コン自体を企画する立場になることも増えて、なんだかそういう場を創るのが楽しくなってくる。

果ては100人くらいのイベントを企画して気の合う友人と開催してみたりと、予想しない方向に自分が成長していたりしました。

そうやって避けたい、恥ずかしいからやりたくない、と思っていたことをあえてやる、続けると、どうやら予期せぬいいことがあるわけですが、一方で着手した初期から中盤くらいまでは目も当てられないくらいの失敗をたくさん経験するわけです。

そこで失敗との付き合い方も何となくわかってくる。

個人的には「あのときに比べたらまだ楽」という失敗の相対化ができたのは大きかったですね。

仕事でいえば、大学院のひきこもり経験がボトムでしたし、

生命の危機でいえば、世界一周中にトルコのイスタンブールのぼったくり熟女バーでコーラ1杯7万円取られかけた上に、ファイナルファイトの中ボスのような容姿のスキンヘッドの巨漢に胸倉つかまれて空中浮遊した経験がボトムだし、

恋愛でいえば、自分のちゃちなプライドとコミュニケーション下手故にふられてしまったあの経験(この話はここでつまびらかにはできないっす・・・)だし

いろんなボトムラインができました。そういう底値の失敗があるから、自分をだましだまし再起できる。再起して心が正常ラインまで浮かび上がってきたら、多少はためてある成功体験を頼りにチャレンジしていける。

そういう意味で、私の中で、成功体験と失敗体験は、自分が生きていく上でそれぞれ違った役割を持っていて、どちらも大事な記憶なんですよね。

だから、人には成功体験だけでなく、失敗体験もたくさん積んでおいた方が良いって言います。茨城での話でも、それを何より伝えたかった。

何かにトライして100%成功することなんてまずない。失敗は必ずつきまとう。それに直面している時はつらいけど、だからといってそれを避けずにしっかり貯めていくと、中長期的に自分のタメになるから。

アンケートで自分の話を聞いて楽になった、という感想を書いてくれた方が何人もいたのですが、そういう方はきっと「成功の呪縛」に縛られているんだと思う。成功しなければいけない。成功する見込みがないならやってはいけない。そんな縛りを課していると、挑戦する機会が極度に減るんです。トライできなければ失敗ができない。失敗ができなければ過去の自分のように心の防御力が限りなく低い状態で社会に出ていくことになる。

だからなるべく早い段階からいろいろなことに挑戦して失敗するのがいいと思う。でも、経験はいつでも始められる。若いころにできなければ今からでもトライしてみたほうがいい。そして、恥ずかしいかもしれないけど、周りを頼ってほしいなと思う。若いころは周りにサポーターがいるのが当たり前の環境だったけど、社会的に成人というレッテル貼られたら、それが急になくなるんです。自分が声を挙げないとなかなか気づいてもらえない。

大人と言われる人に、一人として完璧な人なんていないのだから、持ちつ持たれつ、期待通りのサポートじゃなければ「まあしょうがないか」で次の人に頼るくらいでいいんじゃないでしょうか。

子ども・若者支援の仕事をしていて、10年前と今とでは、支援の手厚さは隔世の感があります。手厚さというのは支援の多様性が増したということです。

恋愛にも就職活動にも相性があるように、支援にも相性があると思う。だから、何かとつながってみてうまくいかないのなら、次を試してみてほしいなと思います。次を試すときに、最初のトライの失敗がきっと役に立つと思います。

周りに頼りながら、自分で意思決定して試してみて、その成功・失敗をベースにして、また頼りながらトライして・・・

そんなループを繰り返していけることが自立するってことなんじゃないかなと最近思います。

ひきこもりと孤立


私自身が当事者経験を持っており、就職してからもどういう縁か子ども・若者支援に関わる業務をずっと担当しているのですが、その過程で精神科医の斎藤環先生の著作には何度もお世話になっている。

本作も何度目に紐解いたことかわからないけれど、今回もこれまでとは違った示唆があり、勉強になりました

昨年、様々な地域の支援活動のお手伝いをさせていただきながら感じたのは、「ひきこもり」という状態は「当事者あるいはそのご家族の孤独」という状態とかなり密接に結びついているな、ということでした。

当事者を中心に据えると、彼・彼女は家族とも、会社や学校とも、地域社会ともつながっていないことが多いし

また、家族も表面上は毎日仕事をし、買い物をしに街に出ているとしても、当事者との間に抱えている問題を家の外に出すことにためらいを持っているという意味で、孤立している。

そんな孤立した状態からひきこもり状態になってしまう。

孤立ゆえに事態がさらに悪化するという悪循環にはまってしまい、問題が長期化してしまう、というケースがかなり多いように感じます。

いやしかし、この「孤立」というやつ。かなり手ごわい存在です。

若者支援の絡みで福祉領域の方々とお話していると、ひきこもりに限らず、「孤立」という状態は、大きくとらえれば孤独死や自殺、虐待といった事柄にもつながりうるトリガーにもなっているというハナシがたくさん出てきます。

孤立によって困難に直面している人、という意味では若者も大人も、高齢者もみーんな含まれる。

人間は社会的な動物だと言われますが、そんな人間にとって「孤立」というのは、本当に大きな影響を与える要因なんですよね。

話をひきこもりに戻すと、斎藤先生の本著作では、当事者のひきこもり状態を解消するためには、ご家族からのアプローチが非常に重要というお話をされています。

その時の対応の仕方としては、当事者の立場に配慮しながら、傾聴をベースに論理と感情のバランスを取り、地道にコミュニケーションチャネルを開いて太くしていく、というのが初手

当事者に様々な欲望が生まれてきたら、様々な支援機関と連携して社会との接点を作っていく、というが次の手

ということで、最初に家族の中の環境を整えることが重要、というご指摘は本当にその通りだな、と思う反面

支援の現場としては、そんな家族をどのように発見して、どのようにアプローチしていくのか、ということを考えるのが大きな課題になっているのも事実です。

孤立したご家族の社会との接点は何かを把握したうえで、接点になりうる機会を載せて流していく

そこで繋がったら徐々に家族環境を改善するための働きかけを提案していく

当事者およびそのご家族の状況を理解した上で打ち手を構築していくと、当然ながら自治体ごとにその仕組みは異なってくる。そこを行政の方がNPOや地域の支援リソースのプレイヤーと構築していけるかがとても大事です。

今の政策・制度の枠組みだと、孤立によって個人が直面する問題を、年齢層別に対応するという感じになっているけれど、いっそのこと「孤立防止・解消システム」として孤立した家庭をマルっとサポートしていけるようにシステムを変えてしまった方が効果的なのかもしれません。

もっとも、システムをがらりと変えても、そのシステムを活用するのは人なわけで、その人自身に様々なプレイヤーとの調整を図り、ゼロベースで支援の仕組みをデザインしていく能力がないと効果的な支援を実現するのはなかなか難しい。

そういう意味では支援者自身も変わらなければならないというのもあります。

本書は、支援者、特に異動したてで知識ゼロの行政職の方が、まず最初に支援の実務について理解するときなどに、とても参照性の高い一冊なのではないでしょうか。

子ども・若者支援におけるICT導入への期待と課題

名古屋市で、LINEを使って、子ども・若者が支援者とつながることができる仕組みがモデル事業の形で始まったようです。

子ども・若者支援の領域にICTが本格的に導入される兆しが出てきてますね。

先日は日本マイクロソフトが、子ども・若者支援の一環として、プログラミング教育環境を構築すると記者発表しています。

こういったコンピューター技術を導入することで、子ども・若者支援ができることは大きく広がる可能性があります。

たとえば、LINEなどのコミュニケーションツールを使ったやり取りは、特に困難を抱える子ども・若者を発見する段階で大きな効果が期待できます。

また、プログラミング教育は、就労支援の段階で、社会ニーズにかなうスキルを学ぶことができ、就労を希望する若者と働き手を求める社会とのミスマッチ解消に効果があると期待できます。

ただ、一方で、こういったLINE相談やプログラミング教育を使う支援者の側にこれらの技術を使いこなす素養があるのか、というところがこれからの課題になってくると思います。

冒頭の記事の中で名古屋市の総合相談センターの方がおっしゃっているように、対面でのコミュニケーションとLINEでのコミュニケーションは、かなり大きく異なっています。

LINE相談への期待と課題については以前実際に体験してみて思うところを書いていますので、ご参考にどうぞ↓

プログラミング教育も、多くの人はかじったこともないスキル領域なので、サービス利用者に先行して支援者が学ぶ必要があります。

このように、ICTが子ども・若者支援の領域に寄与する期待値はかなり大きいものの、実際の支援に実装していく段階になると、まだまだ準備が整っているとは言い難い。

とはいえ、現場の支援スタッフの方々も現業で繁忙を極めており、時間を割いてスキルアップに投資できるかどうかという実情もあったりします。

個人的には、せっかくよいツールが社会の側から提供され始めているので使わない手はないと思っています。

例えば、東京のNPO法人であるPIECESの「Creative Garage」のような、民間企業との連携によるプログラミング教育機会の提供のように、人材そのものも支援団体の外との連携によって確保する、というのも一つの手なのではないでしょうか。

最近は、子ども・若者支援の領域に限らず、社会的な要請と人の成長スピードのミスマッチが大きくなってきているような気がします。

そのようなときに、支援に必要なリソースをすべて組織内でやりくりしようとすると、必要なタイミングに間に合わない局面も出てくるでしょう。

そのような場合、外部との協働により柔軟迅速に対応していけるかどうかが、子ども・若者支援に携わる組織が効果的な支援を継続していけるかの分水嶺になってくるのではないかと思います。

個人的には、「子若支援2.0」とでも言える新しい波が来そうで、少し楽しみだったりします。

茨城県精神保健福祉センター ひきこもり講演会

本日は、茨城県精神保健福祉センターのお招きで定期的に開催されている「ひきこもり講演会」にお邪魔してきました。

精神保健福祉センターは、精神保健の向上及び精神障害者の福祉の増進を図るための機関という位置づけの機関です。

業務内容は
地域住民の精神的健康の保持増進、精神障害の予防、適切な精神医療の推進から、社会復帰の促進、自立と社会経済活動への参加の促進のための援助に至るまで、非常に広い範囲が規定されています。

厚労省のサイトをみると、全国47都道府県+政令指定都市に設置されている機関ですね。

子ども・若者支援領域では、ひきこもりに関する相談窓口を持ってるところもあれば、発達障害に関する相談を引き受けていたり、施設によって対応できる業務は異なる印象を持っています(違っていたらすいません)。

今日は、当時者やそのご家族も結構いらっしゃるということで、普段は支援という観点でお話することが多い内容を、過去に当事者であった経験を軸にしてお話させていただきました。

といっても10年くらい前のことですし、ひきこもっていた期間でいうと半年間という比較的短い期間だったので、来ていたただいた方に何か持ち帰ってもらえるような話ができるかなと不安でした。

案の定事後アンケートを見ると、「長期間ひきこもり状態にある人とはちょっと違うなと感じました」というコメントもいただいたりして、やっぱりそうだよね、と納得。ただ、そういった方であっても何かしら「ふーん」と思ってもらえたならいいかな、と思います。

ありがたいことに、話をさせてもらった後には何人もの方から質問をいただきました。こういう場で質問がないと、「内容全然刺さってなかったんじゃないか・・・」と不安になるので、これだけ質問いただけるのはすごく嬉しいですよね。

質問の内容でハッとさせられることも多く、今日も、心理カウンセラーの方から

「ひきこもりから回復しつつあるときの価値観と、ある程度回復してからの価値観が違うように感じるのですが、どうなんでしょう?」

という質問をいただいて、確かに、ひきこもり状態から回復に至る段階では、自分がうまくできたこと、成功体験にフォーカスしていたけれど

いったん軌道に戻ってからは失敗にフォーカスしていたな、ということと気づいたりしました。

やはり問いかけは重要ですね。自問自答も重要だけど、他の方からいただく問いかけは自分の脳内に考えていないだけにより考えさせられることが多いです。

講演後は、元ひきこもりで茨城引きこもり大学を立ち上げられた大谷さんと話して、起業がらみの話で盛り上がったりと、いろいろとつながりがありそうな気がする茨城県でした。

ひきこもりのレイヤー

名店池袋LIBROの店員さんが荻窪に開いた書店兼カフェ「Title」で衝動買いしたうちの一冊。

を読了。

(執筆時)38歳の著者は、ニートではない。同じような調整困難さを抱えた人が住めるシェアハウスを運営していて、ブロガーのようだ。

そして、本のタイトルにもある通り、ひきこもりってわけでもない。高速バスを駆って名古屋のサウナに蒸されに行ったり、何の変哲もない少し遠い町に降りて歩き回ったり、むしろかなりアクティブだ。

でも、他者とのコミュニケーションにどこか苦手意識を抱えていて、多くの人が普通に暮らしているスタイルで生活していくことに難しさを抱えている。満足を感じる行為や状況もちょっと変わっている(ことを本人も自覚している)。

”ひきこもり”って状態のことで、気質のことではない。

でも、少なからぬひきこもりの人が抱えているコミュニケーションや行動上の特徴を”ひきこもり気質”とあえて表現するなら、Pha氏は”ひきこもり気質のひきこもってない人”って感じ。

じゃあ他にどんなタイプがあるのかと考えてみると、

「①ひきこもり気質xひきこもり状態」

「②ひきこもり気質xひきこもり状態ではない」→Pha氏

「③ひきこもり気質ではないxひきこもり状態」

「④ひきこもり気質ではないxひきこもり状態ではない」

気質と状態でいわゆるマトリクス状に分類するとこうなるでしょうか。

3つ目は、普通の人でもブラック企業とかに身を置いて心が折れたらひきこもり状態になるようなパターン。

いや、こういうケース、決して少なくないですし、一度その状態になってしまうとなかなか社会につながりなおすことができない難しいケースも多いのです。決して珍しくない。

僕はどこだろうと思ったときに、たぶん象限としてはPha氏と同じなんだけど、若干④寄り、「④寄りの②」って感じでしょうかね。。。

というように、象限で4つに整理したとしても、各象限の中は無限にプロット可能だし、経時的に自分のポジショニングが揺らぐことも大いにあり得るわけです。

そんな無限の層、ポジショニング移行の可能性があるはずなのに、ちょと前までの日本社会って、「④とそれ以外」の2層で社会のタテマエを創っていたような気がする。①②③は見なかったことにする。あるいは負け組というレッテルを張って阻害する。

無限のレイヤーを「④とそれ以外」という2層に縮約するという編集の剛腕さ。ナベツネかよ!

もっとも、行政やNPOといった様々なプレイヤーが徐々に「それ以外」の解像度を高めてそれぞれの層にあったサービスを開発し始めているのも事実。そんな中で、Pha氏は自分で自分のポジショニングにマッチする環境を創っているのだと思う。

層の解像度を無限に近づけていけば、究極的には個々人の状態はそれぞれ違うので、社会が提供するサービスとの懸隔はどうしても生じてしまう。その開きは自分で距離詰めて、折り合いをつけなければならないのだと思う。Pha氏は少なくとも現段階での折り合い地点を見いだせているように読める。

Pha氏から見た社会、それに適応するための振舞いのある部分は自分もすごく共感する(高速バスが好きとか)。でも6割4分くらいは違うなと思う(夜行の高速バスが好きだし←そこじゃない)。

そこはPha氏よりも④寄りのポジショニングだからかな。私にも自分なりの折り合いのつけ方がある気がする。自分のそういう折り合いのつけ方ってあまり意識してなかったけど、結構面白いかもしれない。

皆さんも例えば、東京の喧噪やひっきりなしのコミュニケーションから逃れるためにどんなことをしているのか、ちょっと振り返ってみるとよいかも。で、Pha氏なり他の人の振舞いと比べてみたら、人それぞれ振舞いも理由も違って楽しいんじゃなかろうか。

子ども・若者の個別相談会@石垣市

かなり前のことですが、石垣市の子ども・若者地域支援協議会の立ち上げのお手伝いをして以来、お邪魔する機会がなかなかないのですが、石垣市の子若支援の取り組みとして、個別相談会を実施しているようです。

相談に乗ってくれるのは沖縄県の相談センターであるSoraeの松本大進さん。以前インタビューさせていただいたことがあるのですが、とても熱心な方です。

当時者やそのご家族の方が相談できるチャネルがたくさんあるのはよいことだと思っています。当事者と支援者も人間。そこには相性もありますからね。

相談者からすると、困難に直面したときにどのような支援を受けられるのか、複雑だし広汎だしよくわからない、ということはままあることなので、こういった相談会の場に、各種支援領域の担当者がいらっしゃるとより実のある場になるのではないでしょうか。

ニートが管理職になる会社 デジタルハーツ

昨日の研修会で参加者の方からいただいた質問のひとつに「ニートでも職につけるのか?」というものがありました。

結論からいうと、全然就職できます。

元ひきこもりの自分でも就職できてますし、周りにもニート状態から学校に戻ったり、就職した人はいくらでもいます。

会社レベルでも最近は発達障害を持っている人や、元ニート・ひきこもり状態にあった人を積極的に雇用しているところは結構出てきました。

中でも有名な会社を上げるとすれば、ゲームのデバッグ、特にバグ(不具合)の発見を行っているデジタルハーツ社がありますね。

詳細は、ひきこもりやニートの方についての篤い記事を精力的に描き続けておられる池上正樹さんの記事をご参照いただければ、よりご理解いただけるのではないかと思います。

※2ページ目からは会員登録が必要。

同じ状態なのに、一方では自室に閉じこもらざるを得ない。

もう一方では、頼れる戦力として位置づけられ、本人もその期待に応えて活躍している

こういう会社の取り組みを拝見していると、結局のところ、ニートやひきこもり状態にある人を、そもそもその状態に追いやっているのは本人ではなく、周囲の環境や、当事者を取り巻く社会の側にあるのではないかと改めて思います。

ニート・ひきこもりという”状態”を見て、社会に出ていくのが難しいだろうな、という判断をまずは留保して

当事者自身を理解し、それをベースにやれることを一緒に見つけていく、という姿勢が支援者側のマインドセットとして非常に重要になっていくのではないでしょうか。

また、やれることの引き出しは、支援者一人では限りがあるので、そういったときに考えられるチームや場があれば、より可能性が広がるのではないかと思います。

生活保護と持ち家

昨日の研修会の参加者から、「持ち家があると、生活保護を受けられないのではないか」という質問をいただきました。

結論から言うと、そんなことはありません。

大元締めの厚労省の資料にはこんな感じで言及があります。

基本的な考え方として、売却が原則。

被保護世帯の居住の用に供される家屋及びそれに付属する土地については、保有を容認し、保護を適用。

ただし、処分価値が所有価値に比して著しく大きいと認められる場合には、売却等による資産の活用をした上で、保護の要否を判断

一つ目の項目を見たら「やっぱり売却か・・・」と読めるわけですが、二つ目の項目をよく読んでみると、住むために必要なら保有してもよい、ということなんですね。

ただ、売却したら高額で売れて資産形成できるなら売却してもらうよ、ということのようです。ざっくり言うと。

さすがに生活保護の制度も鬼ではないということですね。

引きこもり状態が長期化した場合、少しずつ支援の方法は減っていきます。

その最後の砦として生活保護制度があるわけですが、その内容は複雑で経時的に変容する可能性もあり、担当の方でない限りすべてを把握しておくことは困難だと思います。

そのようなときに、たとえば子ども・若者支援地域協議会で、生活保護制度の理解を高めるためのレクチャーを担当者にお願いしてもらったり、ケースを扱う際に生活保護受給の可能性について意見をもらうといったことが、制度理解や連携促進のためには重要なのではないでしょうか。

時に風当たりの強い生活保護制度ですが、この制度が必要な家族は確実に存在します。チーム全体で理解度を高め、必要としている人に制度を適用していきたいですね。

孤独と孤立の違い~子ども・若者支援の目的~

子ども・若者やそのご家族を支援していくときに大事なことのひとつは、

「そもそも支援、何のためにするんだっけ?」

ということを明確化し、保持することだと思います。

この「なんのために」というところ、大きな目的としては、そんなに諸説でるわけではないと思うんですね。

“孤独と孤立の違い~子ども・若者支援の目的~” の続きを読む