少年院という学校、刑務所という福祉施設

前職卒業して、身体の半分くらいを子ども・若者の自立支援に関わる活動に投入してからというもの、少しずつですが、支援の現場に近いところで仕事ができるようになりました。

少年院に入っている少年に勉強を教えるというのもその一つ。


少年院というところ、普段生活していてなかなか目にすることも、耳にすることもない施設ですよね。

でも、実は都内にも何か所かあり、上記の記事はそのうち八王子にある多摩少年院に訪問したときのもの。

少年院で生活している少年たちと一緒に考えていて感じたことは、

「少年院に入ってない同年代の子とあんまりかわらないな…」

ということでした。

もちろん、珍しい外部の人に対して”余所行きの顔”をしているのかもしれないですけれど、正直自分が想像していたイメージよりずっと、おとなしいし、真面目だし、何かがわかったときの反応なんか、起業を目指す人が見せる表情とさして変わらないんですよね。

どーも僕らは、現実をあまり知らないようです。

よく考えたら、ニュースでも「事件が起こった」ということは盛んに報道するけれど、その後のこと(起訴されたのか、裁判でどのような判決が下ったのかなどなど)になると、急に情報量が減る気がする。

ましてや、刑務所に収監された後、少年院に入院した後のことまで追っかけている人は、関係者以外皆無なんじゃないだろうか。

ニワトリタマゴの話で、僕らも興味関心がないし、メディアも報道しない。

施設の存在は知っていても、そこにどんな生活があるのか、ということは誰も知らない

その最たるものが、刑務所や少年院といった矯正機関なのではないだろうか。

そんな問題意識が、なんとなーく頭の隅にひっかかりながら生活していたら、先日寄った荻窪のとんがった書店「Title」でみつけちゃったわけですこんな本。

なんすか、この敷居の低さを体現した表紙デザイン。

ユルい。ユルすぎる。仮にも犯罪者を収監する施設について書かれた書籍です。灰色とは言え、ハートはいかんでしょ。しかも、ハートで囲まれているキャラの罪のない佇まいもいけません。何がいけないって・・・そこは、よくわからないけども、とにかくマズいですよ・・・。

そんなデザインにまんまと手を伸ばし衝動買いの本の山の一冊に加える自分。LIBROの時と行動がかわってません。

読んでみます。むむむ。これです。無知の状態にある者だけが感得できる、空っぽの容器に勢いよく水がバシャーって注がれていくような、初期の知識充足の満足感。

これまで知らなかった刑務所の現状についての情報が、無知という脳内領域をみるみるうちに塗り替えていきます。

いくつか例を挙げると・・・

・2016年に刑務所に入った受刑者の約2割は知的障害のある可能性が高い

・最終学歴は中卒が最も多く40%、高卒が30%、大卒は5%。

・知的障害のある服役者で、収監された理由で最多のものは窃盗罪、次いで覚せい剤取締法違反、次が詐欺罪。文字だけだと凶悪なイメージだけど、内実はパンとかおにぎりを盗んだり、ダッシュボードに置いてあった30円を盗んで懲役、クスリの運び屋させられて懲役、無賃乗車、食い逃げ、オレオレ詐欺の出し子やらされて懲役、みたいなものも多い。しかもその理由はだいたい「生活苦」

・知的障害のある受刑者の服役は平均3.8回。65歳以上の知的障害のある服役者だと70%が「5回以上」

本当は高齢者の受刑者の話もしたいんだけど、ここでは障害を持つ受刑者のファクトのみを列挙してみた。

ここまでだけでも、既に自分が抱いているイメージとだいぶ違う。そして、一冊読み切ると、だいぶ違うどころか、ほぼ完全に自分のイメージが実態と違うことがわかる。

この本で問われていることは、刑務所に収監されている人は犯罪者なのか、被害者なのか、なんなのか?ということだと思うんですよね。

犯罪行為が社会的な制裁を受けるべき行為であることは間違いない。

でも、この本の中で紹介されている服役者は、加害者なんだろうか。犯罪者なのだろうか。

自分の行動をうまくコントロールできない。

うまく表現できない。

自分を見る人の目は初期状態からして疑いの目、得体のしれない者を見る目で見てくる。

生活は苦しい。

そんな状態で何かのきっかけでパニックになってとった行動で捕まり、裁判の場では意図せず裁判官の心証を悪くする言動をとってしまい、それが反省の色なしと取られてしまって懲役が決定してしまう。

感情のコントロールや表現方法が他の人とちょっと違うとわかる人がいれば

「まあそういう感じの人もいるよね」とフラットに見てくれる人がいれば

彼の生活の苦しさや孤立を解消できるような仕組みがあれば

多くの人が刑務所に収監されなかったかもしれない。

著者も

『障害のある人を理解するっていうのは、腫れ物のようにあつかうことでも、むやみに親切にすることでもない。自分と同じ目線で接し、彼らの立場になって考えてみることだ』

と言っているように、大事なのは、自分も相手も、それぞれ異なるということを前提にした上でのフラットな関係を作れるか、ということなのだと思う。

まあ、それが今の日本社会では難しいので、本書で紹介されているような、むしろ収監された方が困っている人にとっては幸せ、という歪んだ状況がうまれているのだろう。

生活苦と孤立というハードモードの世間に比べて、刑務所の生活の難易度の低さ。

屋根と壁のある生活。

食事は三食。

世間の人より理解のある看守。

累犯者が多い理由の一つは、世間と刑務所の「生きやすさの逆転現象」が起こっているからだったのだ。

刑務所に戻りたいから、出所した直後に万引きする老人の事例が紹介されているけれど、迎える社会の生きづらさが、彼等に罪を重ねさせる側面も確かにあるだろう。

そんな生きづらさを抱え、微罪に再び手を染めてしまった彼らは犯罪者なのだろうか。

間違いなく犯罪を犯した時点では犯罪者だ。でも、その前後の過程まで視野を広げてみると、彼は実は被害者だったのかもしれないとも思う。

点的には犯罪者、線的には被害者だ。

そして、彼らを取り巻く面としての社会は、もしかしたら加害者と言えるのかもしれない。

そう考えていくと、刑務所って、加害的な社会から障害を抱えた人や行き場を失った老人を匿う福祉施設のようにも思えてくるから不思議だ。悔い改め更生させる矯正施設とはなんか違う。。。

この本でも「刑務所の福祉化」という表現が使われているけれど、もはや実態として福祉施設に近いのかもしれない。

少年院に入ったときも、少年と24時間365日をともにして、少年の更生のために働く法務教官の方々の姿勢が印象的だった。少年院は矯正施設だけど、まぎれもなく教育施設だった。

刑務所は福祉施設で、少年院は教育施設。どういうこっちゃ。

どうも自分が持っている認識と実態はだいぶ違う。たぶんそんなことは世の中たくさんあるんだけど、一番実感できるのって、僕らの社会がいちばん目を背けてきた、矯正施設という領域なんじゃないか。自分は運よくそういう経験ができてる気がします。

ということで、ちょっと蓋開けてみてみませんか。

少年院なんかは定期的に見学会を開催していて、そちらもおススメですが、ちょっとハードル高いという人はまずこの本からどーぞ。

ちなみに、少年院に関する本でおすすめなのはこちら。

少し前に閉院した奈良少年院に在院していた少年たちがつくった詩の詩集です。冒頭のように、「彼らと施設の外で生活している同じ年齢の子たちと何が違うんだろう」と考えさせられる一冊です。

企てる人の起業論 みうらじゅん氏の「一人電通」

こういうのはね、勢いなんですよ。衝動的に買った本をいわゆる”積ん読”にしないために必要なのは。ということで、今度は

を読了。

やばいですね。これ、完全に起業論です。というよりも”企”業論といった方がよいかも。

自分が「これはくる!」と思ったことをどのように育てて社会に広めていくのかが、みうら氏の特徴的な表現の形で、自身の事例を多数取り上げながら紹介されています。

特に会社単位でも、チーム単位でもなく、個人という最小携行人数で始める場合、本書で紹介されている方法論は参照性高し、です。

みうら氏の企業論をかいつまんで言うと

1)マイブーム化

ジャンルとして成立していないものや大きな分類はあるけれどまだ区分けされていないものに目をつけて、ひとひねりして新しい名前をつける。

2)一人電通

「マイブーム」を広げるために行っている戦略。デザインや見せ方を考え、メディアで発表し、関係者を接待する。

の2ステップです。マイブームって言葉はみうら氏が考えた言葉だったんですね。一人電通ってネーミングもセンスがやばい。こちらは電通が世間一般の認知度が低いので人口に膾炙してないですが、電通のことを知っていれば一発でその意味内容とすごさがわかる情報的な奥深さを持っている気がします。

で、2つのステップの要点をもう少し紹介すると

「マイブーム化」のフェイズで重要なのは、「自分洗脳」と収集

『あらゆる「ない仕事」に共通することですが、なかったものに名前をつけた後は、「自分を洗脳」して「無駄な努力」をしなければなりません。~中略~

人に興味を持ってもらうためには、まず自分が「絶対にゆるキャラのブームが来る」と強く思い込まなければなりません。「これだけ面白いものが、流行らないわけがない」と、自分を洗脳していくのです~~

そこで必要になってくるのが、無駄な努力です。興味の対象となるものを、大量に集め始めます。好きだから買うのではなく、買って圧倒的な量が集まってきたから好きになるという戦略です。」

まずは自分自身がその事業に対する過剰ともいえる思い入れを持つこと。このことは新規事業を立ち上げる際の幾多の困難や理不尽を乗り越えるために必須の条件であると言えます。そのためにはもはやひっこみがつかないくらいのファクトを自分の手と足で積み上げてしまうのが一番早い。もうそれで勝負するしかない!という退路を断つ感じですね。

そして、マイブームを様々なメディアで発信していく。そのときのターゲットについてみうら氏は

『私は仕事をする際、「大人数に受けよう」という気持ちでは動いていません。それどころか「この雑誌の連載は、あの後輩が笑ってくれるように書こう」「このイベントはいつもきてくれるあのファンに受けたい」とほぼ近しい一人や二人に向けてやっています。~~

知らない大多数の人に向けて仕事をするのは、無理です。顔が見えない人に向けては何も発信できないし、発信してみたところで、きっと伝えたいことがぼやけてしまいます。」

と述べておられます。

サービス開発やリリースの初期の初期には、不特定多数の誰かではなく、特定個人のあの人に向けてアクションしていくことはとても重要だと思います。デザイン思考のペルソナにも通じる概念ですね。

そして、様々なメディアに同じテーマについてコラムを書くことで、断片的なブームの地雷をしかけておく。生活していると連鎖的に地雷を踏んで「あれ、これイマきてるのかも!?」と思わせる。

そうなってくると、徐々にマイブームは社会的なブームになってくる。この「ブーム」についてのみうら氏の表現がまた秀逸で、ブームの正体は「誤解」だ、と言ってるんですね。

『ブームというのは、「勝手に独自の意見を言い出す人」が増えたときに生まれるものなのです。』

本来の価値はちゃんとあるけれど、受け手の解釈の余地が担保されていて、そこから多様な誤解が生まれることがブームである。商品やサービスが作り手の元から離れて社会の元になる過程は、それがブームになる過程でもある。発信者としては親のような心情に駆られるかもしれません。

そして、接待。

『酒を酌み交わせば、おのずと距離も近くなるというものそのとき編集者と作家は同胞である、友達であるという認識が初めて芽生えます。同じ仕事をするならそうしないと楽しくない。そもそも、自分の才能を認めてくれた第一人者なのですから、仲良くなりたいと素直に思います。』

これは非常に共感。というかもうこれ接待じゃないよね。キックオフMTG withリカーと言った方が近いかも。無駄な格式をそぎ落とし、柔軟な発想を生み出すような場が、接待という行為で生まれる気がします。

とまあ、一人電通のエッセンスが存分に詰まった一冊となっておりまして、示唆にあふれる一冊です。読みやすいし、紹介されている事例なども爆笑もので、僕なんか読んでて10回くらい声出して笑ってしまいました。

みうら氏は終盤、自身の企業の方法を、こうも語っています。

ばらけると意味がない。それが「ない仕事」の真髄だと、自分でも初めて気が付いたのです。そもそも違う目的でつくられたものやことを、別の角度から見たり、無関係のものと組み合わせたりして、そこに何か新しいものがあるように見せるという手法

イノベーションを生み出すための本質ですよね。

ビジネススクールに行かなくても、こういう示唆が転がっているあたり、日本のサブカルチャーって凄いなと思います。

ということで、改めてやっぱりおすすめの本書。ぜひどーぞ。

内角府「平成30年度 構成機関における相談業務に関する研修」に講師として参加してきました

7・8年前の前職時代は、この研修会に事務局として参加していて、会場の後ろの方に座っていたんですよね。それが前に座って50~60人くらいの方々を前にお話をさせていただける、なんだか不思議な感じです。

この研修、全国の子ども・若者支援に関わる相談機関の相談員さん向けに毎年行われるプログラム。3日連続で、私の担当は2日目の午後の4時間。

このコマ、(後ろで見ていたものとしての)経験上、最も困難なタイミングです。なんたって眠い。参加者初日の夜に懇親会で飲んでますからね。確実に睡眠不足です。

しかもさして広くない教室にパックされて二酸化炭素濃度高いなかで、午前中も4時間ばかし受講されているわけですから疲労もマックスでしょう。僕なら確実に集中力きれてますね。下手すればイライラしてるかもしれない。

ということで、軽く受けたんだけど、当日近くなるほど「これ、相当工夫しないとやばいな・・・」と頭を抱えました。

この悩んで資料をあーでもないこーでもないと編集する作業には、国のこの手の依頼にはフィーがつかないので、一秒でも早く仕上げる(下手すれば既存資料を使いまわす)のが大事なんですが、国の事業に最初に御呼ばれしたわけなので下手なこともできない。

それに何よりテーマが

「デザイン思考を活用したケース検討の実践」

なので、土台になるような資料がない。こういう掛け合わせで講演してるの聞いたことない。

実際開始直後に「デザイン思考という言葉を聞いたことある人?」と振ってみたら手が一本も上がらなかった。一本も!?こんな事初めて(笑)

ということで、いろいろ悩んだ挙句、普段2日か3日かけてやる内容を4時間に詰め込んだ200ページ弱の資料ができました(多っ)

まあ1ページ1ページの情報量は少ないのでこのボリュームなんですけどね。文字多いページはそれだけで眠くなるので(笑)

そして、当日、体調は若干悪い。というか良くない。風邪気味です。

本当はその日は一日ワークショップのことしか考えたくなかったんだけど、別件の資料レビューが入ったのでまずはそれを昼前に終えて、昼過ぎに会場のオリンピック記念センター(通称オリセン)へ。

昼についたので、体調も悪いことだし、近くのラーメン屋で「黒ゴマ担々麺」をリクエスト。これが当たった。振り返ってみると、あのタイミングでゴマがたっぷり入ったあの一杯をチョイスしたのが、その後何とか乗り切れた原因だったのかもしれないとすら思う。担々麺の辛さとゴマの成分(?)のおかげで身体がポカポカになり、いざ会場へ。

しかし代償も大きかった。

会場入りしたあたりから急激に腹部の情勢が不安定化。ここ数日の暴飲暴食に黒ゴマ担々麺がとどめを刺す形で、田中の腹部でかろうじて保たれていた均衡が崩れたのでした。

こんな空気読めないタイミングでの「開けゴマ」はいらない。そもそも開ける門間違ってる

おなかをさすりつつ、会場はまだ午前の部をやっていたので、控室に。今年から受託した企業の担当者がのんびりしてましたのでご挨拶。しばし資料を確認していると、会場が開いたとのことで下見に。

持ち込みPCが投映できるかを確認して、もう控室にいてもやることないので会場の演台で再び資料の確認。事務局の人が午後のシフトに会場をリセットし始めました。

しかし、どうもおかしい。4人グループでお願いしていたのに、机に置かれたグループの紙片の枚数見る限り、6人グループだ。確認したら「ほとんどが6人、2グループだけ5人」ということで、リクエストした内容にかすりもしない構成になってる。

アイスブレークとかインタビューとか4人で回す設定なので、時間配分がだいぶかわるんですけどー。。。

とか不安が頭をよぎる、間もなく、今度は卓上に配置されたポストイットに目がいく。

え、そのポストイット、なんで短冊状なの。

ふつう正方形のやつにするでしょ。。。

ちなみに正方形の在庫はないとの連れないお返事。不安が2連鎖。

そして事務局がセッティング終わった感じで隅っこに退散していくんですが、今度は机の配置がおかしい。

長机が整然と並んだ配置にしてくれてるんですが・・・

グループワークって連絡してますやん。

模造紙使いますやん。

明らかに長机一個ずつ配置してたらワークできないやん。

ということで、長机二つで1つの島をつくってもらうようにお願い。事前のフォームにそんなこと書くスペースはなかったので申し送り十分にできてないのも原因だけど、せめて事前に確認してくださいよー。ということで不安三連鎖。

急いで自分の資料を作り直して6人グループ仕様にして、事務局は机の再配置。

いやこれ、二時間前にきといて正解だったー(あぶねーx2)。

ワークショップ初めてやる会場では超前入りしたほうが絶対いいという先輩の教えに納得。

いろいろ終わって開始30分前、このころには参加者の方がちらほら着席を始めます。しかしこの間がなんとも嫌で。第一静かすぎる。こんな状態でワーク入ったらそりゃアイスブレークいるわ(でもそんな時間はない)。

ということで、スマホを取り出しおもむろにAmazonMusic起動。作業用ジャズのコンピレーションを流して、その音を据え付けマイクで拾って即席のBGMを流す。

するとあら不思議、押し黙っていた参加者の表情が急に緩んで周りの人と雑談したり名刺交換始めたりし始めましたよ。音楽の効果って偉大。

その後、参加者の方の中に北九州市の総合相談センター「YELL」の方がいらっしゃったので、ちょっと聞いたところ前日に懇親会的な飲み会もあったとのこと。ある程度関係ができているのと、各グループ内の雰囲気よさげなので、アイスブレークパートは思い切って丸々削除。結果的にはこれやってたら、いただいた時間を大幅にオーバーしてたので、ギリギリの判断が奏功。

ということで、不安は感じながらも、与えられた環境を当座のトライアル的な仕込みをいくつか投下してできる限り改良して、いざワークショップ開始。

のっけからデザイン思考認知率0%ってのには鼻白んだわけですが、その後は何とか進めることができました。

もうね始まったらやるしかない。目指せ一座建立。参加者の皆さんも何とかついてきてくれているご様子。時折笑顔が出たり、席から立ち上がったりとうれしいアクションも出てきたり。そういう能動的なアクションを見て、ひそかに精神力を奮い立たせる。

相談員の方々が比較的抵抗感なく参加してくれているのって、デザイン思考をしらなくても、現場で実はデザイン思考に近い考え方で支援のしてらっしゃるからだと思うんですよね。

たとえば、当事者を中心に据えて、そこから支援を考えていくのはユーザー中心の考え方に通じるところがあります。

また、他の専門家との協働を前提として支援を展開しているところなんかは、アイデア創発時の多様性を重視する考え方に重なる。

ただ、その過程に方法論としてのフレームがあるわけではない。無意識的にやっている。

無意識にやるのと、今そのアクションをなぜやっているのかを理解しながらやるのとでは、特に成果を出す前の効率性が異なってくる。

たくさんのケースを抱えて時間が不足しがちな現場にとって、フレームを実装して支援を行うことはとても重要なことだと思うのです。

あと、支援を組み立てるときに、どうしても地域のリソースがキャップになってしまうんですよね。現実的なソリューションを出すときに、地域資源の限界を意識して支援を組み立てることはもちろん重要なんですが、それだとずっと”地域にあるもの”だけでしか支援を組み立てられない。

今回はデザイン思考のアイデア創発フェーズで、いったんそのキャップをわきに置いて自由に発想してもらいました。

そうしたほうが、当時者ニーズに本当に必要なことを考えられるし、地域の未来を考えたときに必要なリソースも見えてくるからなんですよね。

今あるものを所与にしてしまうと、できることはずっと変わらない。

でも、足りないものが見えてくれば、それを埋めよう、組み合わせて創り出そうという機運が生まれてくるかもしれない。

そんなことをこのテーマでやろうと思ったときに考えたんだった・・・と、頭の片隅で思いながら進めていきます。

さすがに後半は参加者の疲労の色も濃くなってきたので、

休憩時間を想定よりも多めにとったり、休憩から戻ってきた直後にストレッチしてもらったり、戦術的な手練手管を使って何とか参加者のテンションを維持。4時間で寝る暇を与えず、普段とは異なる脳みその部位を使ってもらったので、終了時の参加者のクタクタ感は半端ない感じでした。何人か目の下にクマできてるな・・・

終了後には多くの方と意見交換する機会をいただき、デザイン思考を使ったケース検討の可能性について理解できた気がする、とフィードバックをもらえたのはありがたかったですね。

事前準備と即興的な対応で何とかしのいだ4時間。帰宅後に夕食を食べて、気絶するように寝ました(笑)

事業開発における起点とその延長についてのお話

盟友 徳さんこと、料理人の栗山徳一君と羽田で別れました。

2日前の深夜にバスタ新宿で落ち合ってからだいたい48時間。

酒蔵見学という、日本酒が好きな人なら参加したいと思う、だけど、その前後のアクティビティがプアーであるがゆえに、なかなか実際には足が向かない。

たぶんこれは、本当はたくさんある魅力的な地域のリソースを、うまく配列できないことが問題なんだな。

ということで

これまた盟友 ハバタク社の小原君が偶然にも秋田県五城目町に居宅を持っていたということで、同町で素晴らしい日本酒を醸す福禄寿酒造に訪問する算段をつけ、同町で何百年も開かれ続けている朝市で仕入れた食材と訪問して興味を持っ銘柄を見学したその日の晩に、見学した人たちと飲む、というコンテンツの主軸を定めたのが秋ごろ。

そこから、その軸に接木する形で

男鹿半島や大潟村へのエクスカーションルートを決め、地方バス会社との調整を担ってくれるbusket社の 西木戸さんと連携して移動手段を確保

さらに不足分の布団のレンタル交渉をして、五城目町を拠点として活動するハバタク社の丑田君から情報をいただきながら参加者とリレーション構築して

そうして迎えた土曜日当日からさっきまでは怒涛の実行フェイズ。

構想フェイズから実行フェイズまで、時間が経つほど

個人がやりたいことをカタチにすることが容易な世の中になったな

という感覚を強く持つようになりました。

こんなコトやったら日本酒好きな人は楽しいと感じてくれるのではないか。

その銘柄が生まれた土地にもっと触れられて、味わいもまた変わってくるのではないか

と、思いたってから2ヶ月弱。

その2ヶ月で、面白いと思ってくれた人がフェイスブックで参加の意思表示をしてくれる。

Busket社や現地のなかなか取れない情報を教えてくださる。

やってみたらどーだろか!という思いが起点になって、みるみるうちに、コンテンツを纏った企画になる。

『他者や、サービスや商品との接続性が高まることで、個人の意思は際限なく具現化される。』

抽象度の高い表現を使えば、そういう”それっぽい”表現に落ちる。

だけど、今回はそれが実感として自分に落とし込まれた貴重な機会だったなーと思います。

そして、この経験を若者の自立支援や起業支援に逆流させるなら

「誰のインサイトなのか?」

という問いだけでなく

「そのインサイトに刺さるサービスを、貴方は開発したいのか?」

という問いもセットですることが大事、ということが示唆だな、という気がする。

二つの問いに「Yes」であるならば、それが自分がこれまで手を付けた領域とは違う場所であるとか、不確実性が高くても、子どものようにまず手を出せるような無邪気な人でありたいなと思います。

さてと、次回はどこの酒蔵とその土地を堪能しましょうかねえ・・・

稲盛和夫氏と梅原猛氏の考える事業の一丁目一番地

ティール組織やオットー・シャーマーの『U理論』、ミハイ・チクセントミハイの『フロー』、A.H.マズローの『人間性の心理学』なんかには共通点があるなあ、という呟きをFacebook上に投げたら、ティール組織のイベントを企画されたICJの吉沢さんや、GOBの櫻井亮さんからいろいろと示唆や参考になる本を紹介いただいたので、ちょっとずつ読んでます

櫻井さんから紹介いただいた梅原猛先生の本の中から、まずはとっつきやすそうな『近代文明はなぜ限界なのか』を読了。

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貧困に苦しむ当事者のインサイト

『子どもの貧困と自己責任論。湯浅誠が貧困バッシングに感じた「心強さ」とは』

色々と示唆のある 菊川恵さん編集の良記事。

『周りの子と同じように子どもを塾に行かせてあげるために、明かりをつけないで電気代を節約したり、食費を切り詰めるためにお母さんは1日1食にしていたりするんです。』

貧困の実態はなかなか見えてこない背景には、貧困に喘ぐ当事者が実情を外部に見せたがらないという心情がある。
当事者のインサイトにリーチしたからこそ子ども食堂ではなく、宅食というサービスが生まれたというのは、デザイン思考的な観点から見ると非常に示唆的だと思う。