支援は重く、会議は軽く

愛知県あま市・大治町の子ども・若者支援地域協議会の実務者会議にお招きいただき、お邪魔してきました。

あま市と大治町は名古屋市の西側にある自治体で、人口あわせて12万人くらいのエリアです。名古屋市街まで電車で10分(電車を使う人あまりいないらしいですが)程度ということもあり、住宅地の広がるベッドタウンという印象です。

あま市はもともとは甚目寺町、美和町、七宝町の3つの町だったのが、2010年に合併して市になったところだそうです。最後ということもあり、合併してからまだ10年経ってない。

大治町はあま市と地理的にもこれまでの経緯としても非常に近い位置にあったわけですが、名古屋市とも隣接しているということで、どちらと合併するか駆け引きがあったようです。で、今のところは町として残っているという状況のようです。

政治的な力学はどうあれ、二つの市町に住んでいる方同士、関係は当然深いと思うんですよね。

とくに、子ども・若者に関することでいえば、大治町には小学校・中学校はあるけれど、高校はないんですよね。一方のあま市には公立の高校が2校ある。

だから、大治町に住んでいる高校生があま市の高校に通うことだってあるわけです。で、その高校生が不登校状態になってしまったときに、市町が違うから情報共有や支援のアクションができないことも起こりうる。市町が異なるから、情報の共有が進まないのは、支援する際の大きな機会損失になりえるんですよね。

そういうことで、あま市・大治町は2市町合同での協議会を設置することを決めています。広域連合による協議会の運営の事例はまだまだ一握りですが、小さな自治体が集まっているような場合には、このような形態での運営が現実的なのではないかな、と思います。

協議会の構造は代表者会議と実務者会議の2層構造で、実務者会議は年4回実施することを想定しています。本年度は協議会の立ち上げが下期だったこともあり、代表者会議1回、実務者会議2回の開催を想定しているとのことでした。

今回は、その実務者会議の1回目ということで、参加機関の自己紹介と役割の理解、というのが目的でした。

会場には30人ほどの参加者がいらっしゃってましたが、参画機関のラインナップとして、近隣市町村のNPOやサポステの運営団体といった、あま市・大治町以外のエリアの民間の支援団体も参加しているのが特徴です

協議会のメンバーを、市町村の中の支援団体だけで統一する必要は実はありません。必要な機能を持った参画機関が近隣エリアで活動しているのであれば、そういった機関と連携することに、特に問題はありません。重要なのは、協議会がやろうとしていることに対する共感性があるかどうか、というところだと思います。

そんなメンバーの皆様の多くが自己紹介の中で、他の支援機関がどのような活動をしているのか興味がある、繋がれるところがあればつながっていきたい、相談したい、と連携に前向きな姿勢を持っていらっしゃったのが印象的でした。

比較的自己紹介で皆さんしっかり情報発信をされていたので、支援内容について共有することを目的としたワークショップを急遽、「今後やってみたいこと、自分のところだけではやれないこと」に変えてグループワークをすることにしました。

各グループのディスカッション内容を聞いていると、年齢による支援の切れ目というものが各機関で課題として認識されているようでした。

小学校に入るまで(~6歳)、義務教育まで(~15歳)といったところで、行政のできる/できないは明確に分かれてしまいます。

ここからはうちでは担当できないので、と手を放してしまえば当事者は途方に暮れるしかない。

そのようなときに、支援機関同士、活動に”重なり”を持っていければよいのではないか、という建設的な意見も出てきて、会は良い雰囲気の中で無事に終了しました。

大治町の担当者の方が、「支援は重く、会議は軽くやりたい」ということを最後におっしゃっていました。

現場で支援をされている方も、いろいろな苦労や困難に直面している中で、協議会がそういった悩みを共有したり一緒に考えられる場になればいいのではないか。前向きに新しい取り組みに挑戦できるような雰囲気の会議にしていきたいんです、という意見でした。

かたちにこだわって、予定調和な議題をこなすような会議は、参加者にとって気が重いものです。そのような要素はなくして、本当に参加者のためになるようなコンテンツを議題にすることが協議会を中長期的に運営していくときの大事なポイントだと私も思います。

あま市・大治町の協議会はまだまだ立ち上げたばかりですが、まずは良いスタートを切ったのではないかなと思います。

ひきこもりと孤立


私自身が当事者経験を持っており、就職してからもどういう縁か子ども・若者支援に関わる業務をずっと担当しているのですが、その過程で精神科医の斎藤環先生の著作には何度もお世話になっている。

本作も何度目に紐解いたことかわからないけれど、今回もこれまでとは違った示唆があり、勉強になりました

昨年、様々な地域の支援活動のお手伝いをさせていただきながら感じたのは、「ひきこもり」という状態は「当事者あるいはそのご家族の孤独」という状態とかなり密接に結びついているな、ということでした。

当事者を中心に据えると、彼・彼女は家族とも、会社や学校とも、地域社会ともつながっていないことが多いし

また、家族も表面上は毎日仕事をし、買い物をしに街に出ているとしても、当事者との間に抱えている問題を家の外に出すことにためらいを持っているという意味で、孤立している。

そんな孤立した状態からひきこもり状態になってしまう。

孤立ゆえに事態がさらに悪化するという悪循環にはまってしまい、問題が長期化してしまう、というケースがかなり多いように感じます。

いやしかし、この「孤立」というやつ。かなり手ごわい存在です。

若者支援の絡みで福祉領域の方々とお話していると、ひきこもりに限らず、「孤立」という状態は、大きくとらえれば孤独死や自殺、虐待といった事柄にもつながりうるトリガーにもなっているというハナシがたくさん出てきます。

孤立によって困難に直面している人、という意味では若者も大人も、高齢者もみーんな含まれる。

人間は社会的な動物だと言われますが、そんな人間にとって「孤立」というのは、本当に大きな影響を与える要因なんですよね。

話をひきこもりに戻すと、斎藤先生の本著作では、当事者のひきこもり状態を解消するためには、ご家族からのアプローチが非常に重要というお話をされています。

その時の対応の仕方としては、当事者の立場に配慮しながら、傾聴をベースに論理と感情のバランスを取り、地道にコミュニケーションチャネルを開いて太くしていく、というのが初手

当事者に様々な欲望が生まれてきたら、様々な支援機関と連携して社会との接点を作っていく、というが次の手

ということで、最初に家族の中の環境を整えることが重要、というご指摘は本当にその通りだな、と思う反面

支援の現場としては、そんな家族をどのように発見して、どのようにアプローチしていくのか、ということを考えるのが大きな課題になっているのも事実です。

孤立したご家族の社会との接点は何かを把握したうえで、接点になりうる機会を載せて流していく

そこで繋がったら徐々に家族環境を改善するための働きかけを提案していく

当事者およびそのご家族の状況を理解した上で打ち手を構築していくと、当然ながら自治体ごとにその仕組みは異なってくる。そこを行政の方がNPOや地域の支援リソースのプレイヤーと構築していけるかがとても大事です。

今の政策・制度の枠組みだと、孤立によって個人が直面する問題を、年齢層別に対応するという感じになっているけれど、いっそのこと「孤立防止・解消システム」として孤立した家庭をマルっとサポートしていけるようにシステムを変えてしまった方が効果的なのかもしれません。

もっとも、システムをがらりと変えても、そのシステムを活用するのは人なわけで、その人自身に様々なプレイヤーとの調整を図り、ゼロベースで支援の仕組みをデザインしていく能力がないと効果的な支援を実現するのはなかなか難しい。

そういう意味では支援者自身も変わらなければならないというのもあります。

本書は、支援者、特に異動したてで知識ゼロの行政職の方が、まず最初に支援の実務について理解するときなどに、とても参照性の高い一冊なのではないでしょうか。

自立支援と当事者の幸福

少し前の論文ですが、神戸大学社会システムイノベーションセンターの西村和雄特命教授と同志社大学経済学研究科の八木匡教授が2018年9月に発表した「幸福感と自己決定―日本における実証研究」を読んでいます。

この研究結果の中で、個人が幸福感を感じる要素として、健康、人間関係の次に、所得や学歴ではなく「自己決定」が強い影響を与える、という点がとても興味深い。

というのも、子ども・若者支援が目指す”当事者の自立(ほぼほぼイコール自己決定できること)”という状態が、単純に社会の中で生活していける、という意味以上に、本人の幸せにもつながるという、よりポジティブな結果に結びつく可能性が、この調査結果で示されているからです。

調査の中で、自己決定は、学校選択や進学時の意思決定や就職先の決定といった、人生の中でも比較的重要なタイミングの決断を自分でしたかどうか、という観点で質問されています。そして、それを自分で決めたと回答した回答者の方が、幸福感が高いという結果が示されています。また、その影響の強さは、学歴や経済力の指標である世帯年収額よりも大きいことが示されています。

主観的幸福感を決定する因子の重要度(標準化係数)

学歴が幸福感に対してそれほど強い影響を与えない、というのは感覚的にもわかるのですが、経済的な豊かさと比べても自己決定経験の方が影響が強いという点に驚きを感じます。論文の中では、自己決定が幸福感に与える影響について次のように説明されています。

幸福感を決定する要因としては、健康、人間関係に次ぐ変数としては、所得、学歴よりも自己決定 が強い影響を与えることが分かった。自分で人生の選択をすることで、選択する行動への動機付けが高まる。そして満足度も高まる。そのことが幸福感を高めることにつながっているであろう。

簡単に言えば、自分で決めたことなので、自分事として捉えられる。自分事として捉えられるから、決めたことが思い通りに運んだり、うまくいったりするとリアルに嬉しいと、そういうことなんだと思います。

この指摘は、子ども・若者支援の文脈においても、非常に重要な示唆を提供してくれているような気がします。

というのも、「自分で自己決定できる」ということは、子ども・若者支援の目標である「当事者の自立」という状態に近いからです。

自立という言葉の定義については、厚労省が2004年の社会保障審議会の中で以下のように説明しています。

「自立」とは、「他の援助を受けずに自分の力で身を立てること」の意味であるが、福祉分野では、人権意識の高まりやノーマライゼーションの思想の普及を背景として、「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」、「障害を持っていてもその能力を活用して社会活動に参加すること」の意味としても用いられている。

とくに、上記の太字にしたところ、「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」という部分に、ずばり自己決定という言葉が入っています。

つまり、「個人が自分の身の振り方を自分で決める。その結果が成功であれ、失敗であれ、自分事として受け止める。」そのような姿勢が自立した状態ということなのだと思います。

そして、論文では、そのような自立した状態で日々を送ることが、「意思決定の内容を自分事として捉え、手触り感のある成功体験が満足感を生む」という形で幸福感を醸成していくということを示唆しています。

自立支援により、当事者が自立した状態に到達するのみならず、当事者が幸福に生きていくことにもつながっている。

子ども・若者支援に携わる支援者の方々にとって、自立支援が当事者の幸せにもつながりうる、ということが科学的な調査の結果として示されたのは、とても心強いものなのではないかと思います。

子ども・若者支援におけるICT導入への期待と課題

名古屋市で、LINEを使って、子ども・若者が支援者とつながることができる仕組みがモデル事業の形で始まったようです。

子ども・若者支援の領域にICTが本格的に導入される兆しが出てきてますね。

先日は日本マイクロソフトが、子ども・若者支援の一環として、プログラミング教育環境を構築すると記者発表しています。

こういったコンピューター技術を導入することで、子ども・若者支援ができることは大きく広がる可能性があります。

たとえば、LINEなどのコミュニケーションツールを使ったやり取りは、特に困難を抱える子ども・若者を発見する段階で大きな効果が期待できます。

また、プログラミング教育は、就労支援の段階で、社会ニーズにかなうスキルを学ぶことができ、就労を希望する若者と働き手を求める社会とのミスマッチ解消に効果があると期待できます。

ただ、一方で、こういったLINE相談やプログラミング教育を使う支援者の側にこれらの技術を使いこなす素養があるのか、というところがこれからの課題になってくると思います。

冒頭の記事の中で名古屋市の総合相談センターの方がおっしゃっているように、対面でのコミュニケーションとLINEでのコミュニケーションは、かなり大きく異なっています。

LINE相談への期待と課題については以前実際に体験してみて思うところを書いていますので、ご参考にどうぞ↓

プログラミング教育も、多くの人はかじったこともないスキル領域なので、サービス利用者に先行して支援者が学ぶ必要があります。

このように、ICTが子ども・若者支援の領域に寄与する期待値はかなり大きいものの、実際の支援に実装していく段階になると、まだまだ準備が整っているとは言い難い。

とはいえ、現場の支援スタッフの方々も現業で繁忙を極めており、時間を割いてスキルアップに投資できるかどうかという実情もあったりします。

個人的には、せっかくよいツールが社会の側から提供され始めているので使わない手はないと思っています。

例えば、東京のNPO法人であるPIECESの「Creative Garage」のような、民間企業との連携によるプログラミング教育機会の提供のように、人材そのものも支援団体の外との連携によって確保する、というのも一つの手なのではないでしょうか。

最近は、子ども・若者支援の領域に限らず、社会的な要請と人の成長スピードのミスマッチが大きくなってきているような気がします。

そのようなときに、支援に必要なリソースをすべて組織内でやりくりしようとすると、必要なタイミングに間に合わない局面も出てくるでしょう。

そのような場合、外部との協働により柔軟迅速に対応していけるかどうかが、子ども・若者支援に携わる組織が効果的な支援を継続していけるかの分水嶺になってくるのではないかと思います。

個人的には、「子若支援2.0」とでも言える新しい波が来そうで、少し楽しみだったりします。

茨城県精神保健福祉センター ひきこもり講演会

本日は、茨城県精神保健福祉センターのお招きで定期的に開催されている「ひきこもり講演会」にお邪魔してきました。

精神保健福祉センターは、精神保健の向上及び精神障害者の福祉の増進を図るための機関という位置づけの機関です。

業務内容は
地域住民の精神的健康の保持増進、精神障害の予防、適切な精神医療の推進から、社会復帰の促進、自立と社会経済活動への参加の促進のための援助に至るまで、非常に広い範囲が規定されています。

厚労省のサイトをみると、全国47都道府県+政令指定都市に設置されている機関ですね。

子ども・若者支援領域では、ひきこもりに関する相談窓口を持ってるところもあれば、発達障害に関する相談を引き受けていたり、施設によって対応できる業務は異なる印象を持っています(違っていたらすいません)。

今日は、当時者やそのご家族も結構いらっしゃるということで、普段は支援という観点でお話することが多い内容を、過去に当事者であった経験を軸にしてお話させていただきました。

といっても10年くらい前のことですし、ひきこもっていた期間でいうと半年間という比較的短い期間だったので、来ていたただいた方に何か持ち帰ってもらえるような話ができるかなと不安でした。

案の定事後アンケートを見ると、「長期間ひきこもり状態にある人とはちょっと違うなと感じました」というコメントもいただいたりして、やっぱりそうだよね、と納得。ただ、そういった方であっても何かしら「ふーん」と思ってもらえたならいいかな、と思います。

ありがたいことに、話をさせてもらった後には何人もの方から質問をいただきました。こういう場で質問がないと、「内容全然刺さってなかったんじゃないか・・・」と不安になるので、これだけ質問いただけるのはすごく嬉しいですよね。

質問の内容でハッとさせられることも多く、今日も、心理カウンセラーの方から

「ひきこもりから回復しつつあるときの価値観と、ある程度回復してからの価値観が違うように感じるのですが、どうなんでしょう?」

という質問をいただいて、確かに、ひきこもり状態から回復に至る段階では、自分がうまくできたこと、成功体験にフォーカスしていたけれど

いったん軌道に戻ってからは失敗にフォーカスしていたな、ということと気づいたりしました。

やはり問いかけは重要ですね。自問自答も重要だけど、他の方からいただく問いかけは自分の脳内に考えていないだけにより考えさせられることが多いです。

講演後は、元ひきこもりで茨城引きこもり大学を立ち上げられた大谷さんと話して、起業がらみの話で盛り上がったりと、いろいろとつながりがありそうな気がする茨城県でした。

少年院という学校、刑務所という福祉施設

前職卒業して、身体の半分くらいを子ども・若者の自立支援に関わる活動に投入してからというもの、少しずつですが、支援の現場に近いところで仕事ができるようになりました。

少年院に入っている少年に勉強を教えるというのもその一つ。


少年院というところ、普段生活していてなかなか目にすることも、耳にすることもない施設ですよね。

でも、実は都内にも何か所かあり、上記の記事はそのうち八王子にある多摩少年院に訪問したときのもの。

少年院で生活している少年たちと一緒に考えていて感じたことは、

「少年院に入ってない同年代の子とあんまりかわらないな…」

ということでした。

もちろん、珍しい外部の人に対して”余所行きの顔”をしているのかもしれないですけれど、正直自分が想像していたイメージよりずっと、おとなしいし、真面目だし、何かがわかったときの反応なんか、起業を目指す人が見せる表情とさして変わらないんですよね。

どーも僕らは、現実をあまり知らないようです。

よく考えたら、ニュースでも「事件が起こった」ということは盛んに報道するけれど、その後のこと(起訴されたのか、裁判でどのような判決が下ったのかなどなど)になると、急に情報量が減る気がする。

ましてや、刑務所に収監された後、少年院に入院した後のことまで追っかけている人は、関係者以外皆無なんじゃないだろうか。

ニワトリタマゴの話で、僕らも興味関心がないし、メディアも報道しない。

施設の存在は知っていても、そこにどんな生活があるのか、ということは誰も知らない

その最たるものが、刑務所や少年院といった矯正機関なのではないだろうか。

そんな問題意識が、なんとなーく頭の隅にひっかかりながら生活していたら、先日寄った荻窪のとんがった書店「Title」でみつけちゃったわけですこんな本。

なんすか、この敷居の低さを体現した表紙デザイン。

ユルい。ユルすぎる。仮にも犯罪者を収監する施設について書かれた書籍です。灰色とは言え、ハートはいかんでしょ。しかも、ハートで囲まれているキャラの罪のない佇まいもいけません。何がいけないって・・・そこは、よくわからないけども、とにかくマズいですよ・・・。

そんなデザインにまんまと手を伸ばし衝動買いの本の山の一冊に加える自分。LIBROの時と行動がかわってません。

読んでみます。むむむ。これです。無知の状態にある者だけが感得できる、空っぽの容器に勢いよく水がバシャーって注がれていくような、初期の知識充足の満足感。

これまで知らなかった刑務所の現状についての情報が、無知という脳内領域をみるみるうちに塗り替えていきます。

いくつか例を挙げると・・・

・2016年に刑務所に入った受刑者の約2割は知的障害のある可能性が高い

・最終学歴は中卒が最も多く40%、高卒が30%、大卒は5%。

・知的障害のある服役者で、収監された理由で最多のものは窃盗罪、次いで覚せい剤取締法違反、次が詐欺罪。文字だけだと凶悪なイメージだけど、内実はパンとかおにぎりを盗んだり、ダッシュボードに置いてあった30円を盗んで懲役、クスリの運び屋させられて懲役、無賃乗車、食い逃げ、オレオレ詐欺の出し子やらされて懲役、みたいなものも多い。しかもその理由はだいたい「生活苦」

・知的障害のある受刑者の服役は平均3.8回。65歳以上の知的障害のある服役者だと70%が「5回以上」

本当は高齢者の受刑者の話もしたいんだけど、ここでは障害を持つ受刑者のファクトのみを列挙してみた。

ここまでだけでも、既に自分が抱いているイメージとだいぶ違う。そして、一冊読み切ると、だいぶ違うどころか、ほぼ完全に自分のイメージが実態と違うことがわかる。

この本で問われていることは、刑務所に収監されている人は犯罪者なのか、被害者なのか、なんなのか?ということだと思うんですよね。

犯罪行為が社会的な制裁を受けるべき行為であることは間違いない。

でも、この本の中で紹介されている服役者は、加害者なんだろうか。犯罪者なのだろうか。

自分の行動をうまくコントロールできない。

うまく表現できない。

自分を見る人の目は初期状態からして疑いの目、得体のしれない者を見る目で見てくる。

生活は苦しい。

そんな状態で何かのきっかけでパニックになってとった行動で捕まり、裁判の場では意図せず裁判官の心証を悪くする言動をとってしまい、それが反省の色なしと取られてしまって懲役が決定してしまう。

感情のコントロールや表現方法が他の人とちょっと違うとわかる人がいれば

「まあそういう感じの人もいるよね」とフラットに見てくれる人がいれば

彼の生活の苦しさや孤立を解消できるような仕組みがあれば

多くの人が刑務所に収監されなかったかもしれない。

著者も

『障害のある人を理解するっていうのは、腫れ物のようにあつかうことでも、むやみに親切にすることでもない。自分と同じ目線で接し、彼らの立場になって考えてみることだ』

と言っているように、大事なのは、自分も相手も、それぞれ異なるということを前提にした上でのフラットな関係を作れるか、ということなのだと思う。

まあ、それが今の日本社会では難しいので、本書で紹介されているような、むしろ収監された方が困っている人にとっては幸せ、という歪んだ状況がうまれているのだろう。

生活苦と孤立というハードモードの世間に比べて、刑務所の生活の難易度の低さ。

屋根と壁のある生活。

食事は三食。

世間の人より理解のある看守。

累犯者が多い理由の一つは、世間と刑務所の「生きやすさの逆転現象」が起こっているからだったのだ。

刑務所に戻りたいから、出所した直後に万引きする老人の事例が紹介されているけれど、迎える社会の生きづらさが、彼等に罪を重ねさせる側面も確かにあるだろう。

そんな生きづらさを抱え、微罪に再び手を染めてしまった彼らは犯罪者なのだろうか。

間違いなく犯罪を犯した時点では犯罪者だ。でも、その前後の過程まで視野を広げてみると、彼は実は被害者だったのかもしれないとも思う。

点的には犯罪者、線的には被害者だ。

そして、彼らを取り巻く面としての社会は、もしかしたら加害者と言えるのかもしれない。

そう考えていくと、刑務所って、加害的な社会から障害を抱えた人や行き場を失った老人を匿う福祉施設のようにも思えてくるから不思議だ。悔い改め更生させる矯正施設とはなんか違う。。。

この本でも「刑務所の福祉化」という表現が使われているけれど、もはや実態として福祉施設に近いのかもしれない。

少年院に入ったときも、少年と24時間365日をともにして、少年の更生のために働く法務教官の方々の姿勢が印象的だった。少年院は矯正施設だけど、まぎれもなく教育施設だった。

刑務所は福祉施設で、少年院は教育施設。どういうこっちゃ。

どうも自分が持っている認識と実態はだいぶ違う。たぶんそんなことは世の中たくさんあるんだけど、一番実感できるのって、僕らの社会がいちばん目を背けてきた、矯正施設という領域なんじゃないか。自分は運よくそういう経験ができてる気がします。

ということで、ちょっと蓋開けてみてみませんか。

少年院なんかは定期的に見学会を開催していて、そちらもおススメですが、ちょっとハードル高いという人はまずこの本からどーぞ。

ちなみに、少年院に関する本でおすすめなのはこちら。

少し前に閉院した奈良少年院に在院していた少年たちがつくった詩の詩集です。冒頭のように、「彼らと施設の外で生活している同じ年齢の子たちと何が違うんだろう」と考えさせられる一冊です。

ひきこもりのレイヤー

名店池袋LIBROの店員さんが荻窪に開いた書店兼カフェ「Title」で衝動買いしたうちの一冊。

を読了。

(執筆時)38歳の著者は、ニートではない。同じような調整困難さを抱えた人が住めるシェアハウスを運営していて、ブロガーのようだ。

そして、本のタイトルにもある通り、ひきこもりってわけでもない。高速バスを駆って名古屋のサウナに蒸されに行ったり、何の変哲もない少し遠い町に降りて歩き回ったり、むしろかなりアクティブだ。

でも、他者とのコミュニケーションにどこか苦手意識を抱えていて、多くの人が普通に暮らしているスタイルで生活していくことに難しさを抱えている。満足を感じる行為や状況もちょっと変わっている(ことを本人も自覚している)。

”ひきこもり”って状態のことで、気質のことではない。

でも、少なからぬひきこもりの人が抱えているコミュニケーションや行動上の特徴を”ひきこもり気質”とあえて表現するなら、Pha氏は”ひきこもり気質のひきこもってない人”って感じ。

じゃあ他にどんなタイプがあるのかと考えてみると、

「①ひきこもり気質xひきこもり状態」

「②ひきこもり気質xひきこもり状態ではない」→Pha氏

「③ひきこもり気質ではないxひきこもり状態」

「④ひきこもり気質ではないxひきこもり状態ではない」

気質と状態でいわゆるマトリクス状に分類するとこうなるでしょうか。

3つ目は、普通の人でもブラック企業とかに身を置いて心が折れたらひきこもり状態になるようなパターン。

いや、こういうケース、決して少なくないですし、一度その状態になってしまうとなかなか社会につながりなおすことができない難しいケースも多いのです。決して珍しくない。

僕はどこだろうと思ったときに、たぶん象限としてはPha氏と同じなんだけど、若干④寄り、「④寄りの②」って感じでしょうかね。。。

というように、象限で4つに整理したとしても、各象限の中は無限にプロット可能だし、経時的に自分のポジショニングが揺らぐことも大いにあり得るわけです。

そんな無限の層、ポジショニング移行の可能性があるはずなのに、ちょと前までの日本社会って、「④とそれ以外」の2層で社会のタテマエを創っていたような気がする。①②③は見なかったことにする。あるいは負け組というレッテルを張って阻害する。

無限のレイヤーを「④とそれ以外」という2層に縮約するという編集の剛腕さ。ナベツネかよ!

もっとも、行政やNPOといった様々なプレイヤーが徐々に「それ以外」の解像度を高めてそれぞれの層にあったサービスを開発し始めているのも事実。そんな中で、Pha氏は自分で自分のポジショニングにマッチする環境を創っているのだと思う。

層の解像度を無限に近づけていけば、究極的には個々人の状態はそれぞれ違うので、社会が提供するサービスとの懸隔はどうしても生じてしまう。その開きは自分で距離詰めて、折り合いをつけなければならないのだと思う。Pha氏は少なくとも現段階での折り合い地点を見いだせているように読める。

Pha氏から見た社会、それに適応するための振舞いのある部分は自分もすごく共感する(高速バスが好きとか)。でも6割4分くらいは違うなと思う(夜行の高速バスが好きだし←そこじゃない)。

そこはPha氏よりも④寄りのポジショニングだからかな。私にも自分なりの折り合いのつけ方がある気がする。自分のそういう折り合いのつけ方ってあまり意識してなかったけど、結構面白いかもしれない。

皆さんも例えば、東京の喧噪やひっきりなしのコミュニケーションから逃れるためにどんなことをしているのか、ちょっと振り返ってみるとよいかも。で、Pha氏なり他の人の振舞いと比べてみたら、人それぞれ振舞いも理由も違って楽しいんじゃなかろうか。

内角府「平成30年度 構成機関における相談業務に関する研修」に講師として参加してきました

7・8年前の前職時代は、この研修会に事務局として参加していて、会場の後ろの方に座っていたんですよね。それが前に座って50~60人くらいの方々を前にお話をさせていただける、なんだか不思議な感じです。

この研修、全国の子ども・若者支援に関わる相談機関の相談員さん向けに毎年行われるプログラム。3日連続で、私の担当は2日目の午後の4時間。

このコマ、(後ろで見ていたものとしての)経験上、最も困難なタイミングです。なんたって眠い。参加者初日の夜に懇親会で飲んでますからね。確実に睡眠不足です。

しかもさして広くない教室にパックされて二酸化炭素濃度高いなかで、午前中も4時間ばかし受講されているわけですから疲労もマックスでしょう。僕なら確実に集中力きれてますね。下手すればイライラしてるかもしれない。

ということで、軽く受けたんだけど、当日近くなるほど「これ、相当工夫しないとやばいな・・・」と頭を抱えました。

この悩んで資料をあーでもないこーでもないと編集する作業には、国のこの手の依頼にはフィーがつかないので、一秒でも早く仕上げる(下手すれば既存資料を使いまわす)のが大事なんですが、国の事業に最初に御呼ばれしたわけなので下手なこともできない。

それに何よりテーマが

「デザイン思考を活用したケース検討の実践」

なので、土台になるような資料がない。こういう掛け合わせで講演してるの聞いたことない。

実際開始直後に「デザイン思考という言葉を聞いたことある人?」と振ってみたら手が一本も上がらなかった。一本も!?こんな事初めて(笑)

ということで、いろいろ悩んだ挙句、普段2日か3日かけてやる内容を4時間に詰め込んだ200ページ弱の資料ができました(多っ)

まあ1ページ1ページの情報量は少ないのでこのボリュームなんですけどね。文字多いページはそれだけで眠くなるので(笑)

そして、当日、体調は若干悪い。というか良くない。風邪気味です。

本当はその日は一日ワークショップのことしか考えたくなかったんだけど、別件の資料レビューが入ったのでまずはそれを昼前に終えて、昼過ぎに会場のオリンピック記念センター(通称オリセン)へ。

昼についたので、体調も悪いことだし、近くのラーメン屋で「黒ゴマ担々麺」をリクエスト。これが当たった。振り返ってみると、あのタイミングでゴマがたっぷり入ったあの一杯をチョイスしたのが、その後何とか乗り切れた原因だったのかもしれないとすら思う。担々麺の辛さとゴマの成分(?)のおかげで身体がポカポカになり、いざ会場へ。

しかし代償も大きかった。

会場入りしたあたりから急激に腹部の情勢が不安定化。ここ数日の暴飲暴食に黒ゴマ担々麺がとどめを刺す形で、田中の腹部でかろうじて保たれていた均衡が崩れたのでした。

こんな空気読めないタイミングでの「開けゴマ」はいらない。そもそも開ける門間違ってる

おなかをさすりつつ、会場はまだ午前の部をやっていたので、控室に。今年から受託した企業の担当者がのんびりしてましたのでご挨拶。しばし資料を確認していると、会場が開いたとのことで下見に。

持ち込みPCが投映できるかを確認して、もう控室にいてもやることないので会場の演台で再び資料の確認。事務局の人が午後のシフトに会場をリセットし始めました。

しかし、どうもおかしい。4人グループでお願いしていたのに、机に置かれたグループの紙片の枚数見る限り、6人グループだ。確認したら「ほとんどが6人、2グループだけ5人」ということで、リクエストした内容にかすりもしない構成になってる。

アイスブレークとかインタビューとか4人で回す設定なので、時間配分がだいぶかわるんですけどー。。。

とか不安が頭をよぎる、間もなく、今度は卓上に配置されたポストイットに目がいく。

え、そのポストイット、なんで短冊状なの。

ふつう正方形のやつにするでしょ。。。

ちなみに正方形の在庫はないとの連れないお返事。不安が2連鎖。

そして事務局がセッティング終わった感じで隅っこに退散していくんですが、今度は机の配置がおかしい。

長机が整然と並んだ配置にしてくれてるんですが・・・

グループワークって連絡してますやん。

模造紙使いますやん。

明らかに長机一個ずつ配置してたらワークできないやん。

ということで、長机二つで1つの島をつくってもらうようにお願い。事前のフォームにそんなこと書くスペースはなかったので申し送り十分にできてないのも原因だけど、せめて事前に確認してくださいよー。ということで不安三連鎖。

急いで自分の資料を作り直して6人グループ仕様にして、事務局は机の再配置。

いやこれ、二時間前にきといて正解だったー(あぶねーx2)。

ワークショップ初めてやる会場では超前入りしたほうが絶対いいという先輩の教えに納得。

いろいろ終わって開始30分前、このころには参加者の方がちらほら着席を始めます。しかしこの間がなんとも嫌で。第一静かすぎる。こんな状態でワーク入ったらそりゃアイスブレークいるわ(でもそんな時間はない)。

ということで、スマホを取り出しおもむろにAmazonMusic起動。作業用ジャズのコンピレーションを流して、その音を据え付けマイクで拾って即席のBGMを流す。

するとあら不思議、押し黙っていた参加者の表情が急に緩んで周りの人と雑談したり名刺交換始めたりし始めましたよ。音楽の効果って偉大。

その後、参加者の方の中に北九州市の総合相談センター「YELL」の方がいらっしゃったので、ちょっと聞いたところ前日に懇親会的な飲み会もあったとのこと。ある程度関係ができているのと、各グループ内の雰囲気よさげなので、アイスブレークパートは思い切って丸々削除。結果的にはこれやってたら、いただいた時間を大幅にオーバーしてたので、ギリギリの判断が奏功。

ということで、不安は感じながらも、与えられた環境を当座のトライアル的な仕込みをいくつか投下してできる限り改良して、いざワークショップ開始。

のっけからデザイン思考認知率0%ってのには鼻白んだわけですが、その後は何とか進めることができました。

もうね始まったらやるしかない。目指せ一座建立。参加者の皆さんも何とかついてきてくれているご様子。時折笑顔が出たり、席から立ち上がったりとうれしいアクションも出てきたり。そういう能動的なアクションを見て、ひそかに精神力を奮い立たせる。

相談員の方々が比較的抵抗感なく参加してくれているのって、デザイン思考をしらなくても、現場で実はデザイン思考に近い考え方で支援のしてらっしゃるからだと思うんですよね。

たとえば、当事者を中心に据えて、そこから支援を考えていくのはユーザー中心の考え方に通じるところがあります。

また、他の専門家との協働を前提として支援を展開しているところなんかは、アイデア創発時の多様性を重視する考え方に重なる。

ただ、その過程に方法論としてのフレームがあるわけではない。無意識的にやっている。

無意識にやるのと、今そのアクションをなぜやっているのかを理解しながらやるのとでは、特に成果を出す前の効率性が異なってくる。

たくさんのケースを抱えて時間が不足しがちな現場にとって、フレームを実装して支援を行うことはとても重要なことだと思うのです。

あと、支援を組み立てるときに、どうしても地域のリソースがキャップになってしまうんですよね。現実的なソリューションを出すときに、地域資源の限界を意識して支援を組み立てることはもちろん重要なんですが、それだとずっと”地域にあるもの”だけでしか支援を組み立てられない。

今回はデザイン思考のアイデア創発フェーズで、いったんそのキャップをわきに置いて自由に発想してもらいました。

そうしたほうが、当時者ニーズに本当に必要なことを考えられるし、地域の未来を考えたときに必要なリソースも見えてくるからなんですよね。

今あるものを所与にしてしまうと、できることはずっと変わらない。

でも、足りないものが見えてくれば、それを埋めよう、組み合わせて創り出そうという機運が生まれてくるかもしれない。

そんなことをこのテーマでやろうと思ったときに考えたんだった・・・と、頭の片隅で思いながら進めていきます。

さすがに後半は参加者の疲労の色も濃くなってきたので、

休憩時間を想定よりも多めにとったり、休憩から戻ってきた直後にストレッチしてもらったり、戦術的な手練手管を使って何とか参加者のテンションを維持。4時間で寝る暇を与えず、普段とは異なる脳みその部位を使ってもらったので、終了時の参加者のクタクタ感は半端ない感じでした。何人か目の下にクマできてるな・・・

終了後には多くの方と意見交換する機会をいただき、デザイン思考を使ったケース検討の可能性について理解できた気がする、とフィードバックをもらえたのはありがたかったですね。

事前準備と即興的な対応で何とかしのいだ4時間。帰宅後に夕食を食べて、気絶するように寝ました(笑)

「マイナスからゼロへの支援」と「ゼロからプラスへの支援」

今年は愛知県、徳島県に加え、岡山県のSVを拝命している田中です。本日は岡山県下の市町村の担当者の方々向けに、子ども若者支援地域協議会の説明をするということで、県北地域の中核地域である津山市にお邪魔してきました。

二か月くらい前に津山市の隣の勝央町に同じくSVとしてお邪魔したときは、横浜から津山まで深夜バスを使って早朝6時に到着するという、前入りするにも程があるだろ!という時間に来たのですが、今回は都合が合わず、飛行機で岡山県入り。

とはいえ、10時には津山市に到着し、午前中いっぱい津山城に登城して本丸曲輪で一人PCを開いて仕事をしたり、観光センターのレンタサイクルを借りてB級グルメで有名な橋野食堂でホルモン焼うどんを食べたりしてから会場にレンタサイクルでそのまま乗り付けてるという、もう県北エリア10回以上来てるので滞在の仕方も徐々にこなれてきた感じがします(笑)

今日の会の出席者は、県の担当者の方々、県北エリアの自治体の方々の他、内閣府の担当の方と、臨床心理士で内閣府の委員もお勤めの「コラボオフィス目黒」の植山先生主宰もご参加いただいての豪華なラインナップ。

内閣府からは政策的な動向とマクロ情報の提供、私からは各地の協議会の設置・運営状況のご紹介と設置のポイントの解説をしたうえで、植山先生からはモデルケースを利用したケース検討の練習を

県北地域では唯一協議会を設置している勝央町をはじめ、皆さん自地域で同様の相談があった場合にどのように対応していくかをご検討されていました。

検討された内容の発言を聞いていると、協議会を設置していない地域と設置済みの地域・民間組織(NPOやボランティア組織)とでケース検討のアプローチの仕方が異なっているようだったのが印象的でした。

未設置地域ではどちらかというと、「当事者の何が問題なのか」という点から支援を組み立てようとしているのに対して、設置済みの地域やNPOは「当事者あるいはその親の目指すゴールはどこにあるのか」ということにフォーカスしていました。

もっとも、この指摘の違いは、設置・未設置の違いというよりは、参加された方の所属によるのかもしれません。今回でいえば、どちらかというと福祉系の支援員の方が前者的な目線で、相談センターの相談員の方やNPOの方は後者という分けの方がしっくりくるような気もします。

私自身は、よく

当時者が抱えている問題を特定して、それを解消するような支援を「マイナスからゼロに引っ張り上げていく支援」

「自分なりの自立に向けてのゴール設定ができて、それに向かっていく過程をサポートするような支援は「ゼロからプラスにもっていく支援」

と表現しています。

この二つの支援はどちらがベターか、という話ではなく、どちらの視点も重要ということなのは言うまでもありません。

難しいのは、両タイプの支援をケースに応じてどのように配列させていくのがいいのか、というところにあると思っています。

ケースによっては、最初にどうありたいか、というところを一緒に描いて、それに向かって目下の問題をクリアしていくというアプローチがよいのかもしれない。

また別のケースでは、まずは抱えている問題をじっくり解きほぐしてあげるのがよいのかもしれない。

ケースによって「ー→0」「0→+」の支援をどのタイミングでどのように示していくのかベターかという判断は異なります。それを考えるのが総合相談センターであり、協議会の検討の場でもあります。

また、そういった柔軟な支援を構築するためには、地域における支援リソースが多様であること、相互につながりうるだけの関係ができていることが重要ということもいえると思います。

ケース検討の最後に、勝央町で長年相談窓口の相談員をやられている方が、支援のスタンスについて

「焦らずに、長期的な対応をひとつところで抱えるのではなく、たくさんの関係機関が一緒に支援について考えていくことが重要」

と仰っておられましたが、現場のご経験としても、様々な機関があることで示せる支援の可能性の広さを意識されてのご発言だったのではないかと思うわけです。

地域において

「-→0」「0→+」の支援を担保できていること

両タイプの支援の多様はどのくらいか

支援リソース同士のつながりはどうか

そういった視点を持っておくことが、地域で支援できることを考えていく上で重要なのではないでしょうか。

子ども若者支援地域協議会立ち上げのポイント~愛知県豊橋市の事例から~

先日愛知県の研修会のお招きで、同県豊橋市の子ども・若者支援地域協議会の立ち上げに携わっていた松井清和さんとお話する機会をいただきました。

松井さんは現在豊橋市総務部情報企画課でお勤めですが、H22年からH25 年まで、教育委員会教育部青少年課に続き生涯学習課で子ども・若者政策を担当されていらっしゃいました。

松井さんとは、子ども・若者支援の取り組みが全国的に始まったころからのお付き合いで、かれこれ8年ほどになるでしょうか。

いろいろな地域の協議会で顔を合わせたり、協議会の立ち上げや運営に携わられた方のOB会的な組織を一緒に主宰させていただいたりと、非常にお世話になっている方なのですが、実はいままでちゃんと豊橋市の協議会の設立経緯について突っ込んでお話をしことがなく、自分にとっても非常に学びのある機会となりました。

今回は、松井さんの話から見えてきた豊橋市の協議会設置の4つのポイントについてご紹介していきたいと思います。

将来の政策動向を見据えての前身組織の設置

豊橋市の子ども・若者支援地域協議会の設置は平成22年度なのですが、実は豊橋市ではその前年に「豊橋市若者自立支援ネットワーク協議会」を設置しています。

このネットワーク協議会は、同年5月に設置された「とよはし若者サポートステーション」の設置と同時期に設置されており、当初から「相談窓口と支援の場としてのサポステ、実務者の連携促進の場としてのネットワーク協議会」という構造ができていて、いきなりこの体制を構築するのはすごいな…と思って質問したところ、前任者の方が、子ども・若者政策の今後の動向についての情報をどこからか入手されたという話でした。

豊橋市にはよほど優秀な諜報機関かスパイマスターでもいるんでしょうかね(笑) というほどのことでもないですが、自分の地域の中の情報だけでなく、もすこし広い範囲での政策的なベクトルを把握しておくと、少しずつ準備を進められるというメリットがあるようです。

協議会のポジショニング

豊橋市の協議会は「困難を抱える高校生支援(不登校・中退対策)に注力しよう」ということで、協議会の活動のフォーカスポイントを定めていたそうです。

もちろん、高校生だけの相談にしか乗らないというわけではなく、他の年代にも対応するのですが、設置当初、高校中退者の割合が全国平均よりも高いという問題に直面しており、それを解消するというのが大きな課題だったという背景があります。

実際、その研修会の参加者の反応も見たんですが、高校中退後に困難に直面している人をサポートできるリソースって地域にはあんまりないんですよね。

逆にいうと、中学校までは教育委員会、大人になってからの問題はハローワークやサポステ、福祉部門がカバーしていて、無理してそこまで子若協議会でカバーする必要がないともいえるわけです。

そのような状況下で、協議会の論点を絞り込むのは、参加者にとっての参加目的が明確化されたり、他の協議会との重複を無くせたりといったメリットが期待できるそうです。

「とにかく設置しよう」ではなく、地域の実情と提供サービスを鑑みて、どこに注力するのかを考えて協議会をデザインすることが重要なのではないでしょうか。

安定的かつ効率的な運営のための仕組みづくり

協議会を運営している地域でよく聞かれるのは「協議会がマンネリ化してしまって、何を話せばよいかわからない」というご意見。

個人的には、「問題が解消しないかぎり(地域内の困難を抱える子ども・若者がいなくならない限り)」話すことは尽きないはずだと思うんですけどね。。。

豊橋市の場合は、会議の形式をいわゆる「ロの字型のよくある会議」ではなくワークショップ形式にすることで、参加者からの意見を引き出すような工夫をしているとのこと。

年に1回開催の豊橋市の名物イベント「子ども・若者フォーラム」は、盛況時には約60の機関から約80名が参加するそうです。

会議であれ、イベントであれ、活発にするために重要なのは「コンテンツ」と「集客」だと個人的には思います。人が集まらない、活性化しないという嘆きが出てくる地域は、だいたいこのどちらか(あるいは両方)がうまくいっていないことが多い気がします。

子ども・若者に関わる問題意識は多くの個人・組織が持っていらっしゃいます。

その人たちが不満なのであればそれはコンテンツが参加者にとって新奇性が低かったり価値が無いということ。

欠席が多いということであればそれに加えて広報や周知不足。

豊橋市の場合は松井さんはじめ、ご担当者の方がいろいろな地域の事例を足をつかって仕入れ、盛り上がるための仕掛けを考え、いろいろなルートをつかって参加を要請している賜物なんですよね。

当事者目線(UX)を重視したサービス設計

豊橋市の取り組みの節々には、当時者の立場にたったサービス設計の視点が感じられます。

様々な事情で全日制高校に通えない高校生が困っているという気づきをから通信制高校の合同説明会を開催したり、それまで豊橋駅から車で15分のところにあった相談センターを駅歩10分のところに移したりといったそれぞれの取り組みの根底には、利用者にとってのユーザビリティを高めるという姿勢があります。

個人的に興味深かったのは、総合相談窓口を直営から社会福祉法人に移管したことで、行政直営ではなかなか難しい土休日や夜間の運営がこの措置によって可能になった結果、平日の日中に相談に来れない学生や保護者の利用のハードルがぐっと下がったという話でした。

これらの取り組みは、協議会が高校生(とその保護者)を主軸にした結果、サービスの利用者の解像度が高まり、ユーザビリティが高めることに成功した例と言えるかもしれません。

新規事業開発の観点ではよく「UX(=User Experience、利用者体験)」の重要性が指摘されます。UXを起点にしたサービス開発こそが、利用者に支持され続けるためには重要であるという考え方ですが、豊橋市の取り組みはまさにこの考えの中で実行されているような気がします。

 

豊橋市の取り組みはその他にも、地域間連携など、特徴的な取り組みがたくさんあったのですが、二時間という尺の中ではとてもすべてを拾いきれませんでした。たぶん6時間くらいあっても足りないと思う(笑)

松井さんとは今後もちょくちょく会うので、折に触れて研修会では触れられなかった部分についてもうちょっと突っ込んだお話を聞きたいな~と思いました。