名店池袋LIBROの店員さんが荻窪に開いた書店兼カフェ「Title」で衝動買いしたうちの一冊。
を読了。
(執筆時)38歳の著者は、ニートではない。同じような調整困難さを抱えた人が住めるシェアハウスを運営していて、ブロガーのようだ。
そして、本のタイトルにもある通り、ひきこもりってわけでもない。高速バスを駆って名古屋のサウナに蒸されに行ったり、何の変哲もない少し遠い町に降りて歩き回ったり、むしろかなりアクティブだ。
でも、他者とのコミュニケーションにどこか苦手意識を抱えていて、多くの人が普通に暮らしているスタイルで生活していくことに難しさを抱えている。満足を感じる行為や状況もちょっと変わっている(ことを本人も自覚している)。
”ひきこもり”って状態のことで、気質のことではない。
でも、少なからぬひきこもりの人が抱えているコミュニケーションや行動上の特徴を”ひきこもり気質”とあえて表現するなら、Pha氏は”ひきこもり気質のひきこもってない人”って感じ。
じゃあ他にどんなタイプがあるのかと考えてみると、
「①ひきこもり気質xひきこもり状態」
「②ひきこもり気質xひきこもり状態ではない」→Pha氏
「③ひきこもり気質ではないxひきこもり状態」
「④ひきこもり気質ではないxひきこもり状態ではない」
気質と状態でいわゆるマトリクス状に分類するとこうなるでしょうか。
3つ目は、普通の人でもブラック企業とかに身を置いて心が折れたらひきこもり状態になるようなパターン。
いや、こういうケース、決して少なくないですし、一度その状態になってしまうとなかなか社会につながりなおすことができない難しいケースも多いのです。決して珍しくない。
僕はどこだろうと思ったときに、たぶん象限としてはPha氏と同じなんだけど、若干④寄り、「④寄りの②」って感じでしょうかね。。。
というように、象限で4つに整理したとしても、各象限の中は無限にプロット可能だし、経時的に自分のポジショニングが揺らぐことも大いにあり得るわけです。
そんな無限の層、ポジショニング移行の可能性があるはずなのに、ちょと前までの日本社会って、「④とそれ以外」の2層で社会のタテマエを創っていたような気がする。①②③は見なかったことにする。あるいは負け組というレッテルを張って阻害する。
無限のレイヤーを「④とそれ以外」という2層に縮約するという編集の剛腕さ。ナベツネかよ!
もっとも、行政やNPOといった様々なプレイヤーが徐々に「それ以外」の解像度を高めてそれぞれの層にあったサービスを開発し始めているのも事実。そんな中で、Pha氏は自分で自分のポジショニングにマッチする環境を創っているのだと思う。
層の解像度を無限に近づけていけば、究極的には個々人の状態はそれぞれ違うので、社会が提供するサービスとの懸隔はどうしても生じてしまう。その開きは自分で距離詰めて、折り合いをつけなければならないのだと思う。Pha氏は少なくとも現段階での折り合い地点を見いだせているように読める。
Pha氏から見た社会、それに適応するための振舞いのある部分は自分もすごく共感する(高速バスが好きとか)。でも6割4分くらいは違うなと思う(夜行の高速バスが好きだし←そこじゃない)。
そこはPha氏よりも④寄りのポジショニングだからかな。私にも自分なりの折り合いのつけ方がある気がする。自分のそういう折り合いのつけ方ってあまり意識してなかったけど、結構面白いかもしれない。
皆さんも例えば、東京の喧噪やひっきりなしのコミュニケーションから逃れるためにどんなことをしているのか、ちょっと振り返ってみるとよいかも。で、Pha氏なり他の人の振舞いと比べてみたら、人それぞれ振舞いも理由も違って楽しいんじゃなかろうか。