イノベーションのルーティン

『イノベーションの成否を分けるのは、単調な骨折り仕事をマスターできるかどうかだ。
創造のプロセスは通常は輝くようなアイデアから始まる。
このすばらしいアイデアに見込みがあれば、次にはビジネスの見地から見て進める価値があるかどうかを決定する。
このあたりは心躍る部分だ。知的には恐らく最も刺激的であろうが、同時に比較的容易な部分でもある。

続いて、そのアイデアを実行段階に引きおろすという現実的な仕事が来る。
これがイノベーションの中で最も単調な部分であり、人々に対するプレッシャーや鼓舞のほとんどはここで必要になる。

Diamond ハーバードビジネス 1990.7.』

そう。そうなんですよね。
イノベーションは飛躍、破壊的な新しい価値がすごいスピードで広がっていく、というイメージが持たれているんですが、実は中盤からルーティン作業が山のように現れてきて、そこに埋没しなければならない時が必ず来る。

イノベーションのイメージとは真逆の活動なんですけど、成功しているイノベーションチームは何のことはない、このフェイズですらすごいスピードでやり進め、はたから見たら飛躍的なスピードで成長してるように見えているだけなんですよね。

最澄とU理論

平安時代の仏教て、今の社会にとっての「科学」みたいな、非常に重要な位置づけだっただろうから、僧侶は超ざっくし言うと科学者みたいなもんだと思う。

そう考えると、さしずめ最澄と空海はジョブズとベゾスって感じでしょうか。それぞれすごいイノベーターだと思うわけです。

で、特に最澄について書かれた梅原猛氏の『最澄と空海』で読み進めていくと、最澄の人生はオットー・シャーマーのU理論の道筋に驚くほど当てはまるのが面白い。
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専門家集団ごとにサイロ化した組織を再構築したCleveland Clinicの顧客志向経営

US News & Worlds reportの米国内患者満足度調査において、長期にわたってトップを維持しているオハイオ州のCleveland Clinic
ちなみに2006年は同調査で最下位でした

10年ほどで同病院が劇的に評価を高めた背景には、医者視点の組織構造を転換して、患者の体験を起点にしてつくり変えたことが背景にあることは、2年前に出版された『サイロ・エフェクト』でも紹介されていました。 “専門家集団ごとにサイロ化した組織を再構築したCleveland Clinicの顧客志向経営” の続きを読む

ビュートゾルフの地域コーチ的な人が、子ども・若者支援地域協議会の進化には必要だよね、という話

前エントリーで紹介した、オランダの地域医療サービス事業者のビュートゾルフ

同社がオランダの地域医療に従事する看護師の3分の2を雇用するまでに発展できたのは、現場の看護師チームの裁量権の最大化と、それを実現するための仕組みにあると同社の取組みを紹介した「ティール組織」では紹介しています。

この「看護師チームの裁量権を最大化するための仕組み」の中で、「地域コーチ」という各チームを支援する人材の存在が紹介されています。

この地域コーチ、チームの上司でもマネージャーでもありません。

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刑務所で起業家養成 アメリカの再犯率を劇的に下げたアメリカの取組み

「ここを出たら、履歴書を送ってくれ」

受刑者にこういうことを言える社長がいる社会、悪くない、と僕は思うわけです

アメリカの刑務所で「起業家養成プログラム」開講、再犯率が3%に “刑務所で起業家養成 アメリカの再犯率を劇的に下げたアメリカの取組み” の続きを読む

自分探しは恥ずかしい?これまでも今もこれからも?

って思うんですけど。どうなんですかね。

ネットとか、いや、リアルでも、自分探し中って口外している人で、かつ年齢的に20代後半とかの人はなんか「やっちゃってる人」「いたい人」みたいな感じで見られることが多いのではないかと思うのです。

かくいうタナカは、就職活動3回して最初の会社入りましたけど、その時点で自分のやりたい道?志?使命?みたいなものがちゃんとあったかというとはなはだ怪しい、というか無かったですね。

社会人というポジションには入り込んだけど、だからといって定まってた感じはない。それって自分探し中なのと何が違うんだろうか。

今だって、会社やめてなんとなくこういうことやっていきたいというのはあるけれど、じゃあそれが未来永劫自分の進むべき道を指し示す使命なのかと言われたら正直わからない。

あのスティーブジョブズだって、どっかの大学の卒業講演で(あ、これだこれ

「Connecting The Dots」

というキーワードでかっこよく話してますけど、あれなんて壮大な自分探しの話ですからね。

結果的に偉人になれたらそのプロセスは肯定され、そうじゃなければ否定されるなら、それは自分探しがハズいってことにはならない。

もしかするとうまい探し方、みたいな切り口はあるかもしれないですけどね。うまい時運探しの方法があって、それと対比して自分の自分探しの振る舞いはちょっと不味かったかな・・・みたいな。

これから先、今よりももっと世の中が流動化していった場合、「自分はこれで食っていくぜ!」みたいな拠り所がある日突然雲散霧消してびっくり・・・みたいなこともあるわけです。

そうなったときに、自分の道や志が変容したりしばしの間空白になったりもするでしょうし、そういうときの活動や思考って立派に自分探してると思うんですよね。

私自身も現在進行形でそんな感じなので、それでいいんじゃん?と思っていますが、周りの人でも「こんな歳で自分探ししてるわ自分・・・」とか感じている人も、それでいいんじゃない?と言ってあげたい。