闇の中にはヒカリがあり、光の周りには壁がある。

荻上チキ氏の『彼女たちの売春(ワリキリ)』読了

「売春」と書いて、『ワリキリ』と読むそうだ。

心と身体ではなく、おカネとカラダという割り切った関係だから、ワリのいい、キリのいい関係だから、そういうことらしい。

彼女たちはワリキリという行為を自分で選択したことは確かだ。
でもその仕事を強要されたという文脈でやると決めたり、貧困状態や障がいを持った状態でやむにやまれず決断したという経緯の場合、それを自己責任と言い切るのはあまりに粗暴な言い分なのではないかと思う。

でも、それを粗暴と言い切るためには、この国にはあまりにもデータが少なすぎる。そういった領域からは目を背けたいという気持ち、経済的な豊かさを背景にして、そのような仕事が選ばれることはないだろうという自分の立場中心的な見方などがある。
さらに、仮に政府の統計によるデータがあったとして、それが本当に確からしいのか、という話も最近は出てきてしまうのが残念なところでもあります。

『売春はいつも、個人の心の問題などに還元されてきた。政治や社会の問題として語られるときは、包摂ではなく排除の対象として、セーフティネットではなくスティグマ(烙印)が必要な対象として、生命や人権の問題としてではなく風紀や道徳の問題として、売春は受け止められ続けてきた。』

と荻上氏は述べている。そして、そのような言説は、

『これらは凡庸で退屈な、無慈悲さに無自覚なクリシェ(常套句)である』

と切り捨ててもいる。
そこまで喝破できるのは、同氏が地道なフィールドワークを通じて、何百人もの女性や出会い喫茶の経営者へのインタビューを積み重ねてきたからだ。

3~4割は何らかの経済的理由で困窮
3割は何らかの病気や障害を抱えている
3割はDVや虐待の経験がある
2割が中卒、高校中退・高卒6割
友人・知人の紹介が約6割
1日に1万件以上のワリキリが成立
月に1度以上の頻度でワリキリを行う女性が、少なくとも10万人前後は存在していると考えられる

3割は何らかの病気や障害を抱えている
3割はDVや虐待の経験がある
2割が中卒、高校中退・高卒6割
友人・知人の紹介が約6割
1日に1万件以上のワリキリが成立
月に1度以上の頻度でワリキリを行う女性が、少なくとも10万人前後は存在していると考えられる

「風俗」「出会い喫茶」という言葉の裏に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた、ほとんどの人が直面したくないデータが、荻上氏の取材の中で、次々に浮き上がってくる。

そして、

『虐待や暴力を受け続けた彼女たちが、NPOや行政などに頼ったことがあるという話はほとんど聞いたことが無い。』

という支援サイドにとっては耳の痛い当事者の発言。
本当に支援を必要としている当事者には、支援がなかなか届かないという支援者サイドの声はこれまで何度も聞いてきた。それを改めて需要者サイドの言葉として聞かされると、需給のミスマッチの存在が、双方の発言から繋がってRealizeされる。

『家の無い者は生活保護を受けられない、というウワサ
生活保護を申請したら家族に連絡されて捕まる、という恐怖
売春は違法だから捕まって刑務所に入れられる、という思い込み
名前は聞いたことがあるけれど、どこに行けばいいのか、どんなものなのかも知らない』、という未接続状状態

サービス提供者側のリーチの拙さ、初動の遅さといった当事者から見たときの障壁の多さを衝いて、困難に直面した女性にアプローチしていくのは様々な風俗サービスやいわゆるカタギではないビジネスマン達。
多くの支援は、戦術面でそういった産業・ビジネスに圧倒的に劣後しているのが実情だったりします。

一方で難しいのは、そういったダークな産業・ビジネスの「黒さ」にも濃淡があるということでもある。後段で紹介される難波の出会い喫茶発祥の店の店長は、自分が始めた業態を次のように語る。

『女の子も、誰も好きでこんな世界に来るわけじゃないですやん。やっぱりお金がないから来るわけでしょう。あれもこれも辛抱せえ言われても、お金がなければ、自然の流れで売春っていう方法しかないですやん。そういう子だけやなくても、ただ人とうまう調和できないとか、理由があって朝起きられないとか、社会に順応でけへん子たちが働くところがあってもいいんちがうやろうか。』

ちなみにこの店長も、親に育児放棄されて農家の養子になり、カタギではない世界に身を投じた後に大病を患い、一時期は西成でホームレスをしていたという人である。

そしてそんな身の上の人から新規事業創出のための真言が飛び出してくるから事態は余計に複雑になるのである。。。
『発案した人間の魂っちゅうのがあるんですよ。魂っていうのは、コンセプトを言うんですけど。絶対に金を追いかけるな。人を追いかけろと僕は店員によく言うんです。』
この発言だけ切り出したら完全に新規事業創出セミナーとかで誰か言ってそう。でも、出てきたのは出会い喫茶という一風俗サービス形態だったりするわけです。技術とアウトプットは分けて考えなければいけないという誰かの発言を思い出しました。。。

荻上氏は、この創案者のインタビューパートの後に次のように書いている。

『批判として可能であることと、その批判が代案を用意してくれるかというのは別問題だ。』

出会い喫茶創出者は、彼の半生と反省を込めて、彼なりにできるパッチを充てた。
それは単純に風俗産業を糾弾して終わり、そこで働く人を批判して終わり、という人と比べてどう捉えればよいのだろうか。
来てくれればいい支援なんだ、更生できるんだ、と構えてるんだけど「Twitterはちょっと・・・、SNSは使い方が・・・」とか「まずは来所してもらってから・・・」とか言っている支援と比べてどうか。

そこには貧困状態から脱却できたかどうか、社会的な孤立は解消されたのか、不幸にも家族から向けられる暴力などから逃げられているのか、などなど色々な観点がある。たぶんどの物差しを手に取ったとしても、どれ一つとして満点回答が得られる対応ではないだろう。相対的に、ソレが少しだけ点数が高いというだけだと思う。

ひきこもりやニート、若年無業という問題、そして女性の貧困や困難という問題に固着しやすい売春という問題も、単一の組織、特定のサービスで解決するものではなく、教育機会の提供、家族の支援、就労先の多様性の担保とアクセス向上、貧困対策などなど多様な領域での支援を組み合わせてシステム的に解決することが重要ではないでしょうか

一部の支援者の方々にとっては、いまさら感のある話なのかもしれませんが、それを数値的なデータで裏付けようとされている点で意味があると思うし、そうじゃない人にとっても、当事者のリアリティを感じられる一冊だと思う。おススメ。

愛知県大府市議会の議事日程から読み解く子若政策の変容

愛知県は県下の子ども若者支援地域協議会の設置が顕著に多い県なのですが、設置済み自治体の1つ、大府市の議会議事日程が公開されてたのを見つけました。

中ほどあたりに、子ども若者支援地域協議会の条例に関する議題が入ってますね。

条例となると、市町村が定められるルールの中でも一番上位のもの。

一度定めるとその内容は法律の範囲内での実行が求められます。

大府市における子若協議会の重要性が改めて認識されたことのひとつの表れなのではないかと思っています。

もう一つきになるのは、一括議題として青年問題協議会の条例の改訂とセットになっていることです。

主に非行少年対策について協議する場として設けられて来た青問協ですが、組織、活動の形骸化を指摘する声も少なからずあります。

というのも、青問協が取り扱う非行少年の数が激減しているためです。表現を変えるとサービス受益者数が減って来ている。

それに対する青問協は各自治体に一つ設置されている上に、首長や議員以下、各機関の要職が名を連ねており、非常に重たい組織になってしまっている。

そんな需給のミスマッチが顕在化して来ている青問協の条例改正が、子若協議会の条例制定とセットになっているのは、何か理由があるのかもしれません。

理想的には既存の青問協を発展させて、非行少年のみならず、地域で孤立しがちなひきこもりやニート、若年無業者といった人までを包括的に支援できる組織の立ち上げを目指すべきだと思います。

両タイプの若者の根っこの部分には、社会との隔絶、孤独があります。

また、それを支援する組織にも重複するところが多いのです。

自治体の人繰りも今後楽になることはないでしょうから、社会的ニーズの低くなって来た受け皿を発展的に新しいニーズに合わせていく試みが、引き続き自治体には求められていくと思います。

その一つのフィールドが、子ども若者領域なのではないかと思っています。

徳島出張を少し楽しくするサービス&プロダクト3選

今年は県のSVを仰せつかり、10回はいかないまでも、5回以上はお邪魔している徳島県。

大阪よりすこーしだけ遠いだけということで、飛行機を使えば離陸して1時間弱で着いてしまう立地なのと、自分の家族調整上、だいたい日帰りになる徳島出張

そんな出張を繰り返していると、徳島ラーメンは美味しいんだけどどうしても飽きてくるわけです。

空路での移動も時間がなまじ短いのでやることもない。アップグレードポイントつかっても満喫できない。作業しようにも、集中力が出てきたら着陸態勢に入ってしまってなんともストレスフルなのです。

そんなこんなで空港活きのバスが出るまで徳島駅前のスタバかタリーズで電源席が空くのを虎視眈々と待ち構えながらPCとくんずほぐれつしているわけです。

本当はもうちょっと楽しみが欲しい!

でも予算制約はきつい。車もないから徳島駅徒歩圏内で!

そんな日帰り出張族故の欲求を満たしてくれる「ちょっとした楽しみはないのか!?」ということで、これまで個人的に当たりだったサービス・プロダクトをご紹介しておきたいと思います。

いつもとちょっと違う刺激や活動を入れればマンネリ化した出張も楽しくなるというもの。ご参考になれば幸いです。

1.徳島と言えば鳴門鯛、鯛を使った塩ラーメンが美味しい「堂の浦」

ガツンとした味わいが強烈に印象に残る徳島ラーメンも美味しいのですが、年齢があがってくるとそのガツン!が胃腸に響くのも確か。毎度毎度食べるには若さが必要だけど、それは取り戻せない。

そんな貴方に、鯛のうまみがしっかり出ている塩ラーメンなんていかがでしょうか。

店員さんのぶっきらぼうさが際立ちますが、味はホンモノ。そうそう、こういうキレがあって、それでいて胃腸にダメージが少ないラーメンで、徳島っぽいものが食べたかったのよと一人納得しながらラーメンをすすれば、ご当地ものを食べて帰りたいという出張族のかわいいニーズが満たされること請け合い。

2.駅前で温泉&サウナで疲労解消!眉山の湯

夏場に歩き回って汗でべとべとの自分を飛行機の座席に押し込むのはなんともげんなりする経験ですよね。叶うならさっぱりして帰りたい。

温泉ランドは駅周辺にはないし、スーツで銭湯というのもなんか浮いてしまうから気が引ける(というかそもそもやっぱり駅近くにはない)

そんな人にはホテルサンルート徳島の11階にある温泉浴場「眉山の湯」がおすすめです。

大人でも平日日中は720円という比較的良心的な価格で大浴場、露天風呂(ジャグジー)、サウナと水風呂が使い放題というコスパGOODな温泉施設です。

ホテルの最上階ということで、サウナに入った後に屋外の水風呂に入るか、風に吹かれれば極上のサウナ体験ができます。

あのサウナ特有の半ば呆けたような快感に包まれて空港行のバスに乗れば、あら不思議、普段はさして快適でもないバスの座席がベッドのように感じられるはずです(個人差があります)。

3.隣を気にせず寝ながら移動できるラグジュアリー深夜バス「ドリーム徳島号」

そもそも移動が空路という前提条件は誰が置いたのでしょうか。確かに東京から陸路で向かえば半日くらいは余裕でかかる。

でも、その時間が移動時間+睡眠時間を兼ねるならどうでしょう。そうです、あれです、深夜バスですよ。

多くの方は若さに任せてウィンタースポーツを楽しむために深夜バスを使ったご経験があるはず。ほんと若気の至り、若さってすごい

4列シートに詰め込まれ、荷物減らしのために服を着こんで暑苦しい車内、翌日早朝に極寒のスキー場に到着して意識もうろうとしながらゲレンデに向かう経験、懐かしくはあっても二度とご免という人も多いはず。そんな原体験が深夜バスについて回るので、東京から徳島を深夜バスで、と言われても狂気の沙汰としか思えない人がいるのも重々承知の上。

でも

でもですよ。そのバスの座席がちょっとしたカプセルホテル並みの環境だとしたらどうでしょう。

隣の人を気にせずのびのび身体を伸ばせて、電源とWi-Fiも使えて、寝て起きたら目的地に着いている。

あれ、これだけ読んでたら、「意外にあり」じゃないですか?

そんなバスが、あるんです。東京と徳島を結ぶ「ドリーム徳島号!!!

僕も1度利用しましたが、これはまったく新しい深夜バス体験でした。座席は水平とまではいかないけれど、飛行機のプレエコ並みの傾斜が確保でき、カーテンで仕切られた空間は驚くほど広く、椅子の上で胡坐を余裕で組めるほどです。

電源は使い放題なのでちょっとした作業なら移動しながら可能。

難点はトイレが一か所なので、出発時間までにしこたま飲んだ後に乗ると、熾烈なトイレ争奪戦に巻き込まれることでしょうか。

10時前に徳島駅を出て、翌朝7時前後に東京各地に到着するこのルート。とくに朝からやることがたくさんある人にはお勧めです。

ちなみに、ばすの待合スペースにはシャワーもあるのもうれしい。

食、温泉、移動手段、ちょっとしたアレンジで徳島日帰り出張が楽しくなるので、是非お試しあれ。

困難に直面したときのメンタリティ

前回のエントリーで、失敗経験を積むことで得られることについて自分の過去や考えをちょっとご紹介しました。

そしたら東洋経済がこんな記事をUPしてまして、扱っている内容の類似性から読み込んでしまいました。

僕はあまりヒロミ氏が出演している番組を視聴したことがないのですが、印象としては、他の出演者との距離感の取り方が特徴的だな、とは思ってました。

それと、いくら番組で見る機会が少ないとはいえ、全然番組に出ていないな、ということも何となく思っていた気がする。この記事を見ていると実際に出演機会が極度に減っていた時期があったみたいですね。

そのときの気づきや学びとして書かれている内容が、いい意味で力が入ってない。自然体な感じで共感しました。

仕事も100%、120%。バランスを取るために遊びも120%でやってきたけれど、どこかで疲れてしまう。通常は80%でよい。それを自分にもあてはめるし、他人が80%でやっていることも許容する。それが長い人生を楽しむために必要なスタンス。

起業家の人や、起業することを目標にしている人の一部の人には、この120%系の人が多い気がします。起業界隈以外でも、職場の同僚や上司にもいますが。

個人的にはそれってどうなんだろうと思うわけです。

まず永続性が無い。120%系の人の、「血を吐いても120%であれ」みたいな主張、たぶん120%でやったら10年持たないですよね。健康な心身な人でもたぶん5年くらいでボロボロになると思う。

それなら80%で長くやった方が中長期的にみたらバリューでるんじゃないかなー。社会的なインパクトは残せるんじゃないかんーと思うわけです。

1年に120の仕事をして10年で燃え尽きる場合と

1年に80の仕事をして20年続いてる場合

すごいラフに比べると、120x10=1200と80x20=1600で、後者の方がいい仕事してるって言えるんじゃないの

起業の世界は、スタートアップの世界はスピードが命!という指摘があるのはわかるけど、80%でもスタートアップとしてやれる方法を考えるのがスマートなのでは?とか思ってしまう。

あと、ぶっちゃけ思うのは、120%って嘘でしょ。。。うわー身も蓋もない。。。

絶対、家庭の要素とか、煩悩とか、脳みそに入ってくるんです。人間だから。そういうのが自分の思考に入ってくるのをを許容した時点で、「仕事120%!」なんて言えなくないですか?

いやいや、家庭も、煩悩もすべては120%のためなんだ、とか本当に言える?それ、まじで言ってます?僕はちょっと信じられないですけどね。

家族といるときも脳みそ完全に仕事のこと、うまいめしたべてるときも、ちょっと快楽におぼれちゃってるときも完全に脳みそ仕事のことしか考えてないとか、ないでしょ。いや、だったら仕事しろよと、なるでしょw

もう点滴で栄養うってさ、トイレとかにも意識飛ばしたくないから尿瓶活用でつねに仕事してる人いたら信じますけど。いないでしょそんなひと。いうなれば合理的経済人なみの空想的存在ですよ

だからヒロミ氏が振り返って120%ってのも多分ちょっと盛ってるんですけど、でも大事なことは、

「失敗した~」とか「疲れた~」みたいなネガティブな状態になったときのリスタートの仕方が

「いやいや俺はこんなもんじゃねえ」みたいな筋肉質な反応じゃなくてさ

「失敗したけどまあぼちぼちやれるところから~」とか「疲れたからちょっと休むのもありか~」みたいないったん衝撃吸収して凹んで緩やかに元に戻るような感じの方が長い目で見たらいいんじゃないの?ってことだと思うんですよね。

そこが、先日の失敗の蓄積ができた人のスタンスに似てる気がする。

あのときに比べればまだましか~

みたいな、負の状態を受け止めて、受け止めてちょっと「ううっ・・・重っ」てなってる状態からスタートする。そんな考え方や動き方って結構重要なんじゃないかと思うわけです

失敗の相対化~成功体験と同じくらい大事な失敗体験の蓄積~

年末に茨城県の精神保健福祉センターにお招きいただいた際の話の内容がいつの間にか記事になってました

当日は60人くらいの方がご参加されており、私とひきこもり大学の茨城キャンパスを主宰されている大谷武郎さんのご講演の前に自分の経験をお話する機会をいただきました

私は大学院時代に半年間ほどですが自分の家からほとんど出ることができなかった期間があります。多くのひきこもり経験者の方からすればごくごく短期間の経験でしたが、その経験もあったからこそ今でもこういうお仕事をさせていただいているので、経験というのはどこで活きるかわからないものです。。。

上記の記事の中でも書いてありますが、自分のひきこもりのきっかけはいわゆる「学業のつまずき」でした。

大学院での研究がうまくいかず、教授やゼミの先輩や同期の方々にそれを打ち明けることもできず、研究室に行くのが怖くなってしまったんですよね。

ただ、大学院への行きづらさは、ひきこもりの最終的なトリガーでもあったのですが、そうなってしまう原因はもっと前から蓄積されていたように思います。

それは、「失敗に対する打たれ強さ」が無かったこと。自分で何かを意思決定して、おもいっきり顔面に岩が直撃するくらいの衝撃的な失敗ってのを全然経験してこなかったんですよね。

だから、あるときにそういうのを一回食らうと、それが致命傷になって立ち上がれなくなる。

もし、もっと前の時点で、そういう経験を何度も経験していれば、「あのときに比べればたいしたことないな」と思えるかもしれないけれど、当時の自分にはそういう余裕も引き出しもなかったんですよね。。。

よく、ひきこもりからの脱出には成功体験の蓄積が重要だ、と言われます。

もちろんそれもあるんですが、ひきこもりにならないためには何が必要か、というと、僕は失敗体験の蓄積だと思うんですよね。

色々な失敗をすることで、いま直面している失敗を相対化できることができる。

「あのときに比べればたいしたことないか・・・」と自分を納得させて何とか前に進むことができる。

失敗にはそういうメリットがあります。自分は大学院に戻ってからは、それまで自分が避けてきた「失敗」という経験を意識的に蓄積しようとしました。

具体的には、自分がやりたくないと忌避したり、やれるだろうか、と不安に思うことをあえてやり続ける、ってことだったんですけど

例えば・・・

就職活動では直感的に面倒だと思っても、好きな会社だろうが興味ない会社だろうがひたすら説明会に参加して話を聞く。

OBや社員訪問をして、これで十分聞いたからいいや、と自分で思った人数を越えて、これでもかというくらい話を聞いて回る。

そんなことやってちょっと必死過ぎない?恥ずかしくない?と思っていた終活対策の集まりやセミナーに通ってみる。

こんなことしてるともう毎日失敗の連続だし、恥ずかしい経験の上にさらに恥ずかしい経験を重ねるような毎日でしたが、結果的には通算3回の就職活動の中で一番手ごたえのある活動と結果だったかなと思います。

あと、大学・大学院時代を通じてほとんど参加しなかったいわゆる「合コン」に参加するとか。もう初回の時とかどんな感じだったか覚えてないですが、まあおぼこい感じだったと思います(赤面)。でも行く。

そしたら徐々にその場に慣れてきて、いつしか男性メンバーを揃える立場になって、合コン自体を企画する立場になることも増えて、なんだかそういう場を創るのが楽しくなってくる。

果ては100人くらいのイベントを企画して気の合う友人と開催してみたりと、予想しない方向に自分が成長していたりしました。

そうやって避けたい、恥ずかしいからやりたくない、と思っていたことをあえてやる、続けると、どうやら予期せぬいいことがあるわけですが、一方で着手した初期から中盤くらいまでは目も当てられないくらいの失敗をたくさん経験するわけです。

そこで失敗との付き合い方も何となくわかってくる。

個人的には「あのときに比べたらまだ楽」という失敗の相対化ができたのは大きかったですね。

仕事でいえば、大学院のひきこもり経験がボトムでしたし、

生命の危機でいえば、世界一周中にトルコのイスタンブールのぼったくり熟女バーでコーラ1杯7万円取られかけた上に、ファイナルファイトの中ボスのような容姿のスキンヘッドの巨漢に胸倉つかまれて空中浮遊した経験がボトムだし、

恋愛でいえば、自分のちゃちなプライドとコミュニケーション下手故にふられてしまったあの経験(この話はここでつまびらかにはできないっす・・・)だし

いろんなボトムラインができました。そういう底値の失敗があるから、自分をだましだまし再起できる。再起して心が正常ラインまで浮かび上がってきたら、多少はためてある成功体験を頼りにチャレンジしていける。

そういう意味で、私の中で、成功体験と失敗体験は、自分が生きていく上でそれぞれ違った役割を持っていて、どちらも大事な記憶なんですよね。

だから、人には成功体験だけでなく、失敗体験もたくさん積んでおいた方が良いって言います。茨城での話でも、それを何より伝えたかった。

何かにトライして100%成功することなんてまずない。失敗は必ずつきまとう。それに直面している時はつらいけど、だからといってそれを避けずにしっかり貯めていくと、中長期的に自分のタメになるから。

アンケートで自分の話を聞いて楽になった、という感想を書いてくれた方が何人もいたのですが、そういう方はきっと「成功の呪縛」に縛られているんだと思う。成功しなければいけない。成功する見込みがないならやってはいけない。そんな縛りを課していると、挑戦する機会が極度に減るんです。トライできなければ失敗ができない。失敗ができなければ過去の自分のように心の防御力が限りなく低い状態で社会に出ていくことになる。

だからなるべく早い段階からいろいろなことに挑戦して失敗するのがいいと思う。でも、経験はいつでも始められる。若いころにできなければ今からでもトライしてみたほうがいい。そして、恥ずかしいかもしれないけど、周りを頼ってほしいなと思う。若いころは周りにサポーターがいるのが当たり前の環境だったけど、社会的に成人というレッテル貼られたら、それが急になくなるんです。自分が声を挙げないとなかなか気づいてもらえない。

大人と言われる人に、一人として完璧な人なんていないのだから、持ちつ持たれつ、期待通りのサポートじゃなければ「まあしょうがないか」で次の人に頼るくらいでいいんじゃないでしょうか。

子ども・若者支援の仕事をしていて、10年前と今とでは、支援の手厚さは隔世の感があります。手厚さというのは支援の多様性が増したということです。

恋愛にも就職活動にも相性があるように、支援にも相性があると思う。だから、何かとつながってみてうまくいかないのなら、次を試してみてほしいなと思います。次を試すときに、最初のトライの失敗がきっと役に立つと思います。

周りに頼りながら、自分で意思決定して試してみて、その成功・失敗をベースにして、また頼りながらトライして・・・

そんなループを繰り返していけることが自立するってことなんじゃないかなと最近思います。

支援は重く、会議は軽く

愛知県あま市・大治町の子ども・若者支援地域協議会の実務者会議にお招きいただき、お邪魔してきました。

あま市と大治町は名古屋市の西側にある自治体で、人口あわせて12万人くらいのエリアです。名古屋市街まで電車で10分(電車を使う人あまりいないらしいですが)程度ということもあり、住宅地の広がるベッドタウンという印象です。

あま市はもともとは甚目寺町、美和町、七宝町の3つの町だったのが、2010年に合併して市になったところだそうです。最後ということもあり、合併してからまだ10年経ってない。

大治町はあま市と地理的にもこれまでの経緯としても非常に近い位置にあったわけですが、名古屋市とも隣接しているということで、どちらと合併するか駆け引きがあったようです。で、今のところは町として残っているという状況のようです。

政治的な力学はどうあれ、二つの市町に住んでいる方同士、関係は当然深いと思うんですよね。

とくに、子ども・若者に関することでいえば、大治町には小学校・中学校はあるけれど、高校はないんですよね。一方のあま市には公立の高校が2校ある。

だから、大治町に住んでいる高校生があま市の高校に通うことだってあるわけです。で、その高校生が不登校状態になってしまったときに、市町が違うから情報共有や支援のアクションができないことも起こりうる。市町が異なるから、情報の共有が進まないのは、支援する際の大きな機会損失になりえるんですよね。

そういうことで、あま市・大治町は2市町合同での協議会を設置することを決めています。広域連合による協議会の運営の事例はまだまだ一握りですが、小さな自治体が集まっているような場合には、このような形態での運営が現実的なのではないかな、と思います。

協議会の構造は代表者会議と実務者会議の2層構造で、実務者会議は年4回実施することを想定しています。本年度は協議会の立ち上げが下期だったこともあり、代表者会議1回、実務者会議2回の開催を想定しているとのことでした。

今回は、その実務者会議の1回目ということで、参加機関の自己紹介と役割の理解、というのが目的でした。

会場には30人ほどの参加者がいらっしゃってましたが、参画機関のラインナップとして、近隣市町村のNPOやサポステの運営団体といった、あま市・大治町以外のエリアの民間の支援団体も参加しているのが特徴です

協議会のメンバーを、市町村の中の支援団体だけで統一する必要は実はありません。必要な機能を持った参画機関が近隣エリアで活動しているのであれば、そういった機関と連携することに、特に問題はありません。重要なのは、協議会がやろうとしていることに対する共感性があるかどうか、というところだと思います。

そんなメンバーの皆様の多くが自己紹介の中で、他の支援機関がどのような活動をしているのか興味がある、繋がれるところがあればつながっていきたい、相談したい、と連携に前向きな姿勢を持っていらっしゃったのが印象的でした。

比較的自己紹介で皆さんしっかり情報発信をされていたので、支援内容について共有することを目的としたワークショップを急遽、「今後やってみたいこと、自分のところだけではやれないこと」に変えてグループワークをすることにしました。

各グループのディスカッション内容を聞いていると、年齢による支援の切れ目というものが各機関で課題として認識されているようでした。

小学校に入るまで(~6歳)、義務教育まで(~15歳)といったところで、行政のできる/できないは明確に分かれてしまいます。

ここからはうちでは担当できないので、と手を放してしまえば当事者は途方に暮れるしかない。

そのようなときに、支援機関同士、活動に”重なり”を持っていければよいのではないか、という建設的な意見も出てきて、会は良い雰囲気の中で無事に終了しました。

大治町の担当者の方が、「支援は重く、会議は軽くやりたい」ということを最後におっしゃっていました。

現場で支援をされている方も、いろいろな苦労や困難に直面している中で、協議会がそういった悩みを共有したり一緒に考えられる場になればいいのではないか。前向きに新しい取り組みに挑戦できるような雰囲気の会議にしていきたいんです、という意見でした。

かたちにこだわって、予定調和な議題をこなすような会議は、参加者にとって気が重いものです。そのような要素はなくして、本当に参加者のためになるようなコンテンツを議題にすることが協議会を中長期的に運営していくときの大事なポイントだと私も思います。

あま市・大治町の協議会はまだまだ立ち上げたばかりですが、まずは良いスタートを切ったのではないかなと思います。

ひきこもりと孤立


私自身が当事者経験を持っており、就職してからもどういう縁か子ども・若者支援に関わる業務をずっと担当しているのですが、その過程で精神科医の斎藤環先生の著作には何度もお世話になっている。

本作も何度目に紐解いたことかわからないけれど、今回もこれまでとは違った示唆があり、勉強になりました

昨年、様々な地域の支援活動のお手伝いをさせていただきながら感じたのは、「ひきこもり」という状態は「当事者あるいはそのご家族の孤独」という状態とかなり密接に結びついているな、ということでした。

当事者を中心に据えると、彼・彼女は家族とも、会社や学校とも、地域社会ともつながっていないことが多いし

また、家族も表面上は毎日仕事をし、買い物をしに街に出ているとしても、当事者との間に抱えている問題を家の外に出すことにためらいを持っているという意味で、孤立している。

そんな孤立した状態からひきこもり状態になってしまう。

孤立ゆえに事態がさらに悪化するという悪循環にはまってしまい、問題が長期化してしまう、というケースがかなり多いように感じます。

いやしかし、この「孤立」というやつ。かなり手ごわい存在です。

若者支援の絡みで福祉領域の方々とお話していると、ひきこもりに限らず、「孤立」という状態は、大きくとらえれば孤独死や自殺、虐待といった事柄にもつながりうるトリガーにもなっているというハナシがたくさん出てきます。

孤立によって困難に直面している人、という意味では若者も大人も、高齢者もみーんな含まれる。

人間は社会的な動物だと言われますが、そんな人間にとって「孤立」というのは、本当に大きな影響を与える要因なんですよね。

話をひきこもりに戻すと、斎藤先生の本著作では、当事者のひきこもり状態を解消するためには、ご家族からのアプローチが非常に重要というお話をされています。

その時の対応の仕方としては、当事者の立場に配慮しながら、傾聴をベースに論理と感情のバランスを取り、地道にコミュニケーションチャネルを開いて太くしていく、というのが初手

当事者に様々な欲望が生まれてきたら、様々な支援機関と連携して社会との接点を作っていく、というが次の手

ということで、最初に家族の中の環境を整えることが重要、というご指摘は本当にその通りだな、と思う反面

支援の現場としては、そんな家族をどのように発見して、どのようにアプローチしていくのか、ということを考えるのが大きな課題になっているのも事実です。

孤立したご家族の社会との接点は何かを把握したうえで、接点になりうる機会を載せて流していく

そこで繋がったら徐々に家族環境を改善するための働きかけを提案していく

当事者およびそのご家族の状況を理解した上で打ち手を構築していくと、当然ながら自治体ごとにその仕組みは異なってくる。そこを行政の方がNPOや地域の支援リソースのプレイヤーと構築していけるかがとても大事です。

今の政策・制度の枠組みだと、孤立によって個人が直面する問題を、年齢層別に対応するという感じになっているけれど、いっそのこと「孤立防止・解消システム」として孤立した家庭をマルっとサポートしていけるようにシステムを変えてしまった方が効果的なのかもしれません。

もっとも、システムをがらりと変えても、そのシステムを活用するのは人なわけで、その人自身に様々なプレイヤーとの調整を図り、ゼロベースで支援の仕組みをデザインしていく能力がないと効果的な支援を実現するのはなかなか難しい。

そういう意味では支援者自身も変わらなければならないというのもあります。

本書は、支援者、特に異動したてで知識ゼロの行政職の方が、まず最初に支援の実務について理解するときなどに、とても参照性の高い一冊なのではないでしょうか。

普段目を向けない産業や仕事のことを知れる良書~『葬送の仕事師たち/井上理津子』

少年院に関わる仕事をする中で、自分が持っている漠としたイメージやステレオタイプが当てはめられるような環境があることに気づいた。

人の死に関わる環境もその一つだったんだけど、なんかの新聞かメディアの書評で本書に言及されたものがあり、『葬送の仕事師たち(著:井上理津子)』を読んでみた。

なんでもそうだが、まったく/ほとんど知らなかったことを知る、という過程は、初速の学習スピードが高い。

なくなった人と生きている人の接点をデザインする葬儀業者、亡くなった人の体に関わる湯灌・納棺・修復に関わる専門家、死体を荼毘に付す火葬業者から、亡くなった方を運ぶ霊柩車のドライバーまで、様々な職業の人が関わっていること。

そういった多様な人たちがプライドを持って仕事をしていること。

人の死に関わるビジネスの市場規模と行く末。

そういったことが本書の中で語られており、するすると脳みそに収容されていく。それだけで、自分が持っていた「人の死に関わる仕事=得体のよくわからない人たちがうごめく闇の産業」という図式は霧消する。 見回してみた感じ、自分の周りには葬送業に関わる仕事に就いている友人はいないけれど、もしそういう友人ができたら、この本のことを紹介しながら、「実際どんな仕事?」と、他の仕事とさして変わらない風に聞ける思う。

本書を読んでいて、本来想定していなかったけど印象に残っているのは、人の死というものの線引きは曖昧なものだということだろうか。

生物学的な死も、心臓が止まった時点とするのか、脳死が訪れた時点とするのかなど、厳密にいえばいくつかの視点があるので複層的なんだけど

葬送業に携わる人達の言葉から立ち上がってくる人の生死というのはさらに曖昧な感じになる。

葬祭の現場をデザインする人たちは、親族と死んだ人が語り合う姿を常に見ているし

エンバーミングという技術を用いて生前の姿に死体を整える仕事をしているエンバーマーは死体に語り掛ける

さすがに火葬場の職員の方々は、いかに身体をしっかり焼くか、という技術的な視点が大事だからか、生き死にの線引きは他の業種の人に比べると明確なように感じたけれど、それでも死んだ人を「仏さん」と表現しているように、そこに何らかの人格や存在を認めている。

「死亡」という事象の捉え方の多様性

このテーマは映画や宗教作品の中で何度もお目にかかったことがあるけれど、そのテーマに改めて、「葬送業」というビジネスの現場から光が当てられていることが新鮮だった。

さて、厚生労働省の統計によれば、日本では年間約130万人が死亡している(平成28年度)。

今後20年間で、160万人台まで増加することが見込まれているという。

少子高齢化という言葉には、生まれてくることと、生きていることという、「起点」と「プロセス」の特徴が表現されているけれど、「終点」である、死ぬことは含まれていない。死ぬことの特徴としては、「死に方の多様化」ということは言えそうな気がする。

どのような形で現世とお別れするのか

日本のように宗教観が多様な国においては、そのパターンは増えることはあれ、減ることはないと思う。

それに応じて、葬送という事象を扱うビジネスも多様化していかなければならない。人口減少する中で、ニーズが多様化していく市場は、ファッション・アパレル業界や音楽業界の性質にも通じるものがある。そういった趣味性の高い業界の来し方を見ると、葬送業も近々高度にIT化されていくシナリオも大いにあり得そうな気がする。

僕らが死出の旅に出るころには、自分の趣味嗜好や感情が高度に予測されてAIが我が家の経済事情と親族関係を考慮した理想的な葬式のプランを提案してくれるようになるのかもしれない。

仕事の在り方が変わっていくにせよ、本書で描かれているような葬送に携わるプロフェッショナルが現れてくるのだろうと思う。

ただ、そういったプロフェッショナルが生まれるためには、そういった仕事にちゃんと光が当たり、そこで働きたい・働いてもいいかなと思える人が増えることが重要だ。

そういう役割を果たす上で、こういう本があるのは重要だと思うし、社会としてもそういった仕事があることをちゃんと認識できるような働きかけをしていくことも大事だろう。例えば、学校の社会の授業や道徳の授業で取り上げるとかね。

一般教養的な知識を得る上でもおススメの一冊。

自立支援と当事者の幸福

少し前の論文ですが、神戸大学社会システムイノベーションセンターの西村和雄特命教授と同志社大学経済学研究科の八木匡教授が2018年9月に発表した「幸福感と自己決定―日本における実証研究」を読んでいます。

この研究結果の中で、個人が幸福感を感じる要素として、健康、人間関係の次に、所得や学歴ではなく「自己決定」が強い影響を与える、という点がとても興味深い。

というのも、子ども・若者支援が目指す”当事者の自立(ほぼほぼイコール自己決定できること)”という状態が、単純に社会の中で生活していける、という意味以上に、本人の幸せにもつながるという、よりポジティブな結果に結びつく可能性が、この調査結果で示されているからです。

調査の中で、自己決定は、学校選択や進学時の意思決定や就職先の決定といった、人生の中でも比較的重要なタイミングの決断を自分でしたかどうか、という観点で質問されています。そして、それを自分で決めたと回答した回答者の方が、幸福感が高いという結果が示されています。また、その影響の強さは、学歴や経済力の指標である世帯年収額よりも大きいことが示されています。

主観的幸福感を決定する因子の重要度(標準化係数)

学歴が幸福感に対してそれほど強い影響を与えない、というのは感覚的にもわかるのですが、経済的な豊かさと比べても自己決定経験の方が影響が強いという点に驚きを感じます。論文の中では、自己決定が幸福感に与える影響について次のように説明されています。

幸福感を決定する要因としては、健康、人間関係に次ぐ変数としては、所得、学歴よりも自己決定 が強い影響を与えることが分かった。自分で人生の選択をすることで、選択する行動への動機付けが高まる。そして満足度も高まる。そのことが幸福感を高めることにつながっているであろう。

簡単に言えば、自分で決めたことなので、自分事として捉えられる。自分事として捉えられるから、決めたことが思い通りに運んだり、うまくいったりするとリアルに嬉しいと、そういうことなんだと思います。

この指摘は、子ども・若者支援の文脈においても、非常に重要な示唆を提供してくれているような気がします。

というのも、「自分で自己決定できる」ということは、子ども・若者支援の目標である「当事者の自立」という状態に近いからです。

自立という言葉の定義については、厚労省が2004年の社会保障審議会の中で以下のように説明しています。

「自立」とは、「他の援助を受けずに自分の力で身を立てること」の意味であるが、福祉分野では、人権意識の高まりやノーマライゼーションの思想の普及を背景として、「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」、「障害を持っていてもその能力を活用して社会活動に参加すること」の意味としても用いられている。

とくに、上記の太字にしたところ、「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」という部分に、ずばり自己決定という言葉が入っています。

つまり、「個人が自分の身の振り方を自分で決める。その結果が成功であれ、失敗であれ、自分事として受け止める。」そのような姿勢が自立した状態ということなのだと思います。

そして、論文では、そのような自立した状態で日々を送ることが、「意思決定の内容を自分事として捉え、手触り感のある成功体験が満足感を生む」という形で幸福感を醸成していくということを示唆しています。

自立支援により、当事者が自立した状態に到達するのみならず、当事者が幸福に生きていくことにもつながっている。

子ども・若者支援に携わる支援者の方々にとって、自立支援が当事者の幸せにもつながりうる、ということが科学的な調査の結果として示されたのは、とても心強いものなのではないかと思います。

杜氏とデザイン思考

『日本酒の人-仕事と人生-』読了。どんだけ日本酒好きなんだよ、と思われそうですが、そんだけの魅力が日本酒という飲み物にはあるような気がするんですよね。。。

この本で紹介されているのは

飛露喜(廣木酒造/福島県)

天青(熊澤酒造/神奈川県)

白隠正宗(高嶋酒造/静岡県)

若波(若波酒造/福岡県)

天の戸(浅舞酒造/秋田県)

の5つの銘柄・酒蔵。内容は各蔵の杜氏のインタビュー。

ある人は蔵元を継いで社長兼当時としてやっておられたり、ある人は、脱サラしてゼロベースで酒造りに挑戦していたりと、背景は様々ですが、どの方もこれまでの酒蔵の伝統を受け継ぎつつも、変えるべき流れは変え、新しいことに挑戦する姿勢は共通しているように思います。

杜氏と二人三脚で蔵を切り盛りしていく蔵元の振舞いとセットで追っかけていけば、他の業種の企業の社内起業家の活動にも示唆があるんじゃないかと思います。あ、社内起業家本人だけでなく、彼等の上司の方にとってもですね(笑)

日本酒も一種の商品なわけで、それを世に送り出そうとするプロセスは、他の商品を考案して販売していくプロセスと共通するところがあるように思う。

例えば、商品のコンセプトを考えるところ。

デザイン思考の文脈では、マーケティングリサーチベースでマスからターゲットやコンセプトを導出するのではなく、むしろ「特定の一人」に焦点を絞り込んだところから商品開発を始めていくわけですが、廣木酒造の廣木健司氏は

「お嬢さんと結婚させてください」と相手のお宅へ挨拶に行くとき、お父さんへの手土産に選ばれる一本でありたい。それが自分が目指す飛露喜の存在場所であり、酒蔵としての究極の目標

と表現している。このぐらいまで銘柄のコンセプトが具体化されていると、味わい、デザイン、販売方法などもイメージが膨らみ、無駄のない仮説検証ができるのではないだろうか。

また、白隠正宗の高嶋杜氏は、お酒のコンセプトを考えるときに、人ではなく合わせる料理で語っているのも印象的でした。何にフォーカスするか、というときに無意識的に「特定の人」という風に考えてしまうところを、「特定の食材や料理」という視点でとらえているのが日本酒的だなと思う。

僕が造りたいのは、地元で造って、地元で飲まれる、本来の地酒なんです。地元で飲んでもらうためには、地元の食べ物に合うものでなければならない。地元の食文化ありきで造られたものこそが、本来の地酒だと結論付けたんです。そのためには地元の食文化を知らなければいけません。そこでいろいろ調べて行きついたのが、沼津名産のムロアジの干物なんです。

そういうシーンを思い浮かべたときにどういう味わいのお酒がいいのか、そこはもう試行錯誤の連続だと思うんですよね。しかも仕込んでから結果がでるまでだいぶ時間もかかるし、出来上がりの味が想像と違っていたとして、じゃあ複雑な工程のどこを変えれば味が変わるのか、といった検証ポイントも無数にある。場合によっては伝統的な自分の蔵のやり方を根本的に改める必要もあるのかもしれない。

そんなトライ&エラーの苦労や達成感といった話がリアルに綴られているわけですが、その姿は新しい価値を生み出そうとして苦闘するイノベーターの姿にダブるんですよね。

個人的には、そんなイノベーションが起きうる酒蔵というのが日本全国に1,000以上あるってのはすごいことだと思うし、ただでさえ美味しいそれらの銘柄が世に出るまでに、この本に書かれているようなストーリーがあることを知っていれば、お酒の味わいや、飲む時の場の盛り上がりなんかもだいぶ変わってくるんじゃないかと思うんですよね。

Appleコンピューターの最初のファンも、きっとハードの素晴らしさだけでなく、ジョブズがそれを生み出すまでの過程も込みで身銭を切ったと思う。

そこまで知ったうえで楽しむ価値が、日本酒というアイテムにはあるような気がする。