立川市の合同学校説明会の運営をサポートしてきました。

本日は育て上げネットメンバーとして、立川市で開催される定時制通信制学校の合同説明会で立ち働いております

定時というと夜間、通信というと自宅、というイメージがありますが、
今や生徒のニーズに合わせて学校のサービスも多様化しています。

一方で、選択肢が増えると自分に合った学校がどこなのかを検討するのが大変になってきます

今日の僕の役割は来場者の話を聞いて、来場者の希望に合った学校をオススメする、あるいは希望に沿ってない学校を、選択肢を広げるという意味でオススメするのが仕事です

相手から聞いて来ることはまずないので、自分から足使って距離詰めて聴く。まずはそこから。
カリスマ店頭販売員を自分にダウンロードして猛アプローチの時間を過ごしております。

【読了】発達障害/岩波明

ニュースやTV番組等でもよく取り上げられるようになった発達障害。
最近まで「親の育て方が悪い」、「脳の損傷によって生じる比較的シンプルな疾患(なので研究が進まない)」といった認識だった疾患ですが、現在は脳内神経伝達物質の機能障害というふうに徐々に認識が変わってきています。それにつれて治療法も徐々に変わってきているけど、治療方法のステータスはあくまで「検証中」。つまり、現在進行形で理解が進んでいる疾患ということなんですね。

早期発見と周囲の環境や隣人の理解さえあれば、多くの発達障害の人は一般人として楽しく人生を送れるはずです。
ただ、「周囲の環境や隣人の理解」という必要条件が、日本の慣習や文化と結びついてるのでなかなか変容しづらいものなのが実現を難しくしてますね。

刑務所で起業家養成 アメリカの再犯率を劇的に下げたアメリカの取組み

「ここを出たら、履歴書を送ってくれ」

受刑者にこういうことを言える社長がいる社会、悪くない、と僕は思うわけです

アメリカの刑務所で「起業家養成プログラム」開講、再犯率が3%に “刑務所で起業家養成 アメリカの再犯率を劇的に下げたアメリカの取組み” の続きを読む

自分探しは恥ずかしい?これまでも今もこれからも?

って思うんですけど。どうなんですかね。

ネットとか、いや、リアルでも、自分探し中って口外している人で、かつ年齢的に20代後半とかの人はなんか「やっちゃってる人」「いたい人」みたいな感じで見られることが多いのではないかと思うのです。

かくいうタナカは、就職活動3回して最初の会社入りましたけど、その時点で自分のやりたい道?志?使命?みたいなものがちゃんとあったかというとはなはだ怪しい、というか無かったですね。

社会人というポジションには入り込んだけど、だからといって定まってた感じはない。それって自分探し中なのと何が違うんだろうか。

今だって、会社やめてなんとなくこういうことやっていきたいというのはあるけれど、じゃあそれが未来永劫自分の進むべき道を指し示す使命なのかと言われたら正直わからない。

あのスティーブジョブズだって、どっかの大学の卒業講演で(あ、これだこれ

「Connecting The Dots」

というキーワードでかっこよく話してますけど、あれなんて壮大な自分探しの話ですからね。

結果的に偉人になれたらそのプロセスは肯定され、そうじゃなければ否定されるなら、それは自分探しがハズいってことにはならない。

もしかするとうまい探し方、みたいな切り口はあるかもしれないですけどね。うまい時運探しの方法があって、それと対比して自分の自分探しの振る舞いはちょっと不味かったかな・・・みたいな。

これから先、今よりももっと世の中が流動化していった場合、「自分はこれで食っていくぜ!」みたいな拠り所がある日突然雲散霧消してびっくり・・・みたいなこともあるわけです。

そうなったときに、自分の道や志が変容したりしばしの間空白になったりもするでしょうし、そういうときの活動や思考って立派に自分探してると思うんですよね。

私自身も現在進行形でそんな感じなので、それでいいんじゃん?と思っていますが、周りの人でも「こんな歳で自分探ししてるわ自分・・・」とか感じている人も、それでいいんじゃない?と言ってあげたい。

子ども・若者支援×チームビルディング

本日は北九州市の若者支援のワークショップでファシリテーターをさせていただきました。

かれこれ5年、月イチの定例会議で、行政の複数の担当部局、財団法人、NPOといった方々と一緒に北九州市の若者支援について一緒に考える機会をいただいています。

ワークショップのテーマはチームビルディングです。

なぜ若者支援でチームビルディング?
と思われるかもしれません。

それは、ひきこもり・ニートの状態になってしまう方を支援しようとすると、既存の役割分担ではカバーしきれないためです。

例えば、福祉単体、教育単体、矯正更生保護単体、就労単体・・・そういったいわゆる“単体”での活動で子ども・若者を支援しようとすると、そこにはどうしても「漏れ」が出てきてしまう。

言い方を変えれば、福祉のこの分野と教育のこの分野と矯正更生保護のこの分野、というように各分野の特定の部位だけを抽出してこなければできないのが若者支援なのです。

では、それぞれの担当者を集めて協議してもらえばすぐに若者支援は達成できるのか、といえばそれはほぼほぼ不可能に近い。
そこには、組織と言葉、そして自尊心という3つの壁があるためです。

自分の組織の中で業務が完結する
自分の組織の中で使っていた表現で意思疎通が図れる
自分の組織の中では自分は重鎮
そういった前提が部門横断的な組織の活動に苦手意識をもたらします

若者支援を行うためには、そのような前提を悉く取り払わなければなりません。
一連のワークショップはそれらの前提を取っ払うために行いました。

これまで全4回、ワークショップを一緒にやってきて
参加していただいている方々に組織を越えたチーム意識が芽生えてきたような手ごたえがあって、それがとても嬉しい。そんな今晩であります。