池上彰氏の「わかりやすさの罠」を読んでいます。
帯の顔のアップ具合が、池上さんの知名度の高さをよく表していますね。ニュースをわかりやすく伝えるという意味で池上さんは日本でもトップクラスのキャスターなんじゃないでしょうか。
本書のタイトルにもなっている「わかりやすさの罠」
子ども・若者支援に携わっていると少なからず感じるところです。
問えば、幼児虐待の悲惨なニュースが報道されれば、社会は、親に対する熾烈な批判で埋め尽くされます。
非行少年の起こしたアクシデントや犯罪が起これば犯罪者は一方的に糾弾されます
でも、少し立ち止まって
「100-0」で親が悪いのだろうか?
犯罪を犯したことは確かに悪いことだが、なぜ彼はその犯罪に手を染めたのか?
という疑問一つ立てることができれば、単純に両親が、罪を犯した本人だけに原因を求めることの違和感を持つことは可能なはずです。
表面的なニュースを視覚的にスクロールして、「毒親」「悪人」という書き込みに「いいね」の親指が立ちまくる状況を見ていると、そういう違和感を持つ人がどんどん少なくなっているのではないか、と思う事がままあります。
池上さんのわかりやすさの価値は
「複数の事実が複雑に関係しあった情報の塊の一部を切り出して、そこの解像度を高めてくれている」
点にあるのであって
「複数の事実が複雑にあ関係しあった情報の塊」
をみせてくれているわけではないかもしれない、ということに気づく必要がある。
わかりやすい”断片”を見て、それがわかりやすい”全体”だと認識してしまうことが、「わかりやすさの罠」なんじゃないでしょうか。
だからこそ、池上さんのニュース番組を見て、全てが「わかったつもり」になるのは危険だと、同氏は警鐘を鳴らしているのだと思う。
時間があり、考える余裕もあれば、自分の目の前に突き付けられているニュースが誰かの編集を経て拵えられているのだから、他の情報と突き合わせてみなければならない、その余裕もなければ少なくともそのニュースが物事の全体だと錯覚したり、事実と完全に一致するという判断はしないでおこうとも思える。
その余裕が日本ではなかなか取れないのかもしれないですね。
さて本書ではその他、キャスターとアナウンサーの違いや、週末のニュースバラエティに出てくる巨大フリップ形式の見出しの位置づけとか、メディアに関わる方ならではのトリビアも散りばめてあります。
読んだ後テレビ番組見たら、見方が変わってると思う。
本家だけあって文章はシンプルでわかりやすく、かつ、伝えたいことのコアの部分が失われていない良書でした。