愛知県大府市議会の議事日程から読み解く子若政策の変容

愛知県は県下の子ども若者支援地域協議会の設置が顕著に多い県なのですが、設置済み自治体の1つ、大府市の議会議事日程が公開されてたのを見つけました。

中ほどあたりに、子ども若者支援地域協議会の条例に関する議題が入ってますね。

条例となると、市町村が定められるルールの中でも一番上位のもの。

一度定めるとその内容は法律の範囲内での実行が求められます。

大府市における子若協議会の重要性が改めて認識されたことのひとつの表れなのではないかと思っています。

もう一つきになるのは、一括議題として青年問題協議会の条例の改訂とセットになっていることです。

主に非行少年対策について協議する場として設けられて来た青問協ですが、組織、活動の形骸化を指摘する声も少なからずあります。

というのも、青問協が取り扱う非行少年の数が激減しているためです。表現を変えるとサービス受益者数が減って来ている。

それに対する青問協は各自治体に一つ設置されている上に、首長や議員以下、各機関の要職が名を連ねており、非常に重たい組織になってしまっている。

そんな需給のミスマッチが顕在化して来ている青問協の条例改正が、子若協議会の条例制定とセットになっているのは、何か理由があるのかもしれません。

理想的には既存の青問協を発展させて、非行少年のみならず、地域で孤立しがちなひきこもりやニート、若年無業者といった人までを包括的に支援できる組織の立ち上げを目指すべきだと思います。

両タイプの若者の根っこの部分には、社会との隔絶、孤独があります。

また、それを支援する組織にも重複するところが多いのです。

自治体の人繰りも今後楽になることはないでしょうから、社会的ニーズの低くなって来た受け皿を発展的に新しいニーズに合わせていく試みが、引き続き自治体には求められていくと思います。

その一つのフィールドが、子ども若者領域なのではないかと思っています。

徳島出張を少し楽しくするサービス&プロダクト3選

今年は県のSVを仰せつかり、10回はいかないまでも、5回以上はお邪魔している徳島県。

大阪よりすこーしだけ遠いだけということで、飛行機を使えば離陸して1時間弱で着いてしまう立地なのと、自分の家族調整上、だいたい日帰りになる徳島出張

そんな出張を繰り返していると、徳島ラーメンは美味しいんだけどどうしても飽きてくるわけです。

空路での移動も時間がなまじ短いのでやることもない。アップグレードポイントつかっても満喫できない。作業しようにも、集中力が出てきたら着陸態勢に入ってしまってなんともストレスフルなのです。

そんなこんなで空港活きのバスが出るまで徳島駅前のスタバかタリーズで電源席が空くのを虎視眈々と待ち構えながらPCとくんずほぐれつしているわけです。

本当はもうちょっと楽しみが欲しい!

でも予算制約はきつい。車もないから徳島駅徒歩圏内で!

そんな日帰り出張族故の欲求を満たしてくれる「ちょっとした楽しみはないのか!?」ということで、これまで個人的に当たりだったサービス・プロダクトをご紹介しておきたいと思います。

いつもとちょっと違う刺激や活動を入れればマンネリ化した出張も楽しくなるというもの。ご参考になれば幸いです。

1.徳島と言えば鳴門鯛、鯛を使った塩ラーメンが美味しい「堂の浦」

ガツンとした味わいが強烈に印象に残る徳島ラーメンも美味しいのですが、年齢があがってくるとそのガツン!が胃腸に響くのも確か。毎度毎度食べるには若さが必要だけど、それは取り戻せない。

そんな貴方に、鯛のうまみがしっかり出ている塩ラーメンなんていかがでしょうか。

店員さんのぶっきらぼうさが際立ちますが、味はホンモノ。そうそう、こういうキレがあって、それでいて胃腸にダメージが少ないラーメンで、徳島っぽいものが食べたかったのよと一人納得しながらラーメンをすすれば、ご当地ものを食べて帰りたいという出張族のかわいいニーズが満たされること請け合い。

2.駅前で温泉&サウナで疲労解消!眉山の湯

夏場に歩き回って汗でべとべとの自分を飛行機の座席に押し込むのはなんともげんなりする経験ですよね。叶うならさっぱりして帰りたい。

温泉ランドは駅周辺にはないし、スーツで銭湯というのもなんか浮いてしまうから気が引ける(というかそもそもやっぱり駅近くにはない)

そんな人にはホテルサンルート徳島の11階にある温泉浴場「眉山の湯」がおすすめです。

大人でも平日日中は720円という比較的良心的な価格で大浴場、露天風呂(ジャグジー)、サウナと水風呂が使い放題というコスパGOODな温泉施設です。

ホテルの最上階ということで、サウナに入った後に屋外の水風呂に入るか、風に吹かれれば極上のサウナ体験ができます。

あのサウナ特有の半ば呆けたような快感に包まれて空港行のバスに乗れば、あら不思議、普段はさして快適でもないバスの座席がベッドのように感じられるはずです(個人差があります)。

3.隣を気にせず寝ながら移動できるラグジュアリー深夜バス「ドリーム徳島号」

そもそも移動が空路という前提条件は誰が置いたのでしょうか。確かに東京から陸路で向かえば半日くらいは余裕でかかる。

でも、その時間が移動時間+睡眠時間を兼ねるならどうでしょう。そうです、あれです、深夜バスですよ。

多くの方は若さに任せてウィンタースポーツを楽しむために深夜バスを使ったご経験があるはず。ほんと若気の至り、若さってすごい

4列シートに詰め込まれ、荷物減らしのために服を着こんで暑苦しい車内、翌日早朝に極寒のスキー場に到着して意識もうろうとしながらゲレンデに向かう経験、懐かしくはあっても二度とご免という人も多いはず。そんな原体験が深夜バスについて回るので、東京から徳島を深夜バスで、と言われても狂気の沙汰としか思えない人がいるのも重々承知の上。

でも

でもですよ。そのバスの座席がちょっとしたカプセルホテル並みの環境だとしたらどうでしょう。

隣の人を気にせずのびのび身体を伸ばせて、電源とWi-Fiも使えて、寝て起きたら目的地に着いている。

あれ、これだけ読んでたら、「意外にあり」じゃないですか?

そんなバスが、あるんです。東京と徳島を結ぶ「ドリーム徳島号!!!

僕も1度利用しましたが、これはまったく新しい深夜バス体験でした。座席は水平とまではいかないけれど、飛行機のプレエコ並みの傾斜が確保でき、カーテンで仕切られた空間は驚くほど広く、椅子の上で胡坐を余裕で組めるほどです。

電源は使い放題なのでちょっとした作業なら移動しながら可能。

難点はトイレが一か所なので、出発時間までにしこたま飲んだ後に乗ると、熾烈なトイレ争奪戦に巻き込まれることでしょうか。

10時前に徳島駅を出て、翌朝7時前後に東京各地に到着するこのルート。とくに朝からやることがたくさんある人にはお勧めです。

ちなみに、ばすの待合スペースにはシャワーもあるのもうれしい。

食、温泉、移動手段、ちょっとしたアレンジで徳島日帰り出張が楽しくなるので、是非お試しあれ。

困難に直面したときのメンタリティ

前回のエントリーで、失敗経験を積むことで得られることについて自分の過去や考えをちょっとご紹介しました。

そしたら東洋経済がこんな記事をUPしてまして、扱っている内容の類似性から読み込んでしまいました。

僕はあまりヒロミ氏が出演している番組を視聴したことがないのですが、印象としては、他の出演者との距離感の取り方が特徴的だな、とは思ってました。

それと、いくら番組で見る機会が少ないとはいえ、全然番組に出ていないな、ということも何となく思っていた気がする。この記事を見ていると実際に出演機会が極度に減っていた時期があったみたいですね。

そのときの気づきや学びとして書かれている内容が、いい意味で力が入ってない。自然体な感じで共感しました。

仕事も100%、120%。バランスを取るために遊びも120%でやってきたけれど、どこかで疲れてしまう。通常は80%でよい。それを自分にもあてはめるし、他人が80%でやっていることも許容する。それが長い人生を楽しむために必要なスタンス。

起業家の人や、起業することを目標にしている人の一部の人には、この120%系の人が多い気がします。起業界隈以外でも、職場の同僚や上司にもいますが。

個人的にはそれってどうなんだろうと思うわけです。

まず永続性が無い。120%系の人の、「血を吐いても120%であれ」みたいな主張、たぶん120%でやったら10年持たないですよね。健康な心身な人でもたぶん5年くらいでボロボロになると思う。

それなら80%で長くやった方が中長期的にみたらバリューでるんじゃないかなー。社会的なインパクトは残せるんじゃないかんーと思うわけです。

1年に120の仕事をして10年で燃え尽きる場合と

1年に80の仕事をして20年続いてる場合

すごいラフに比べると、120x10=1200と80x20=1600で、後者の方がいい仕事してるって言えるんじゃないの

起業の世界は、スタートアップの世界はスピードが命!という指摘があるのはわかるけど、80%でもスタートアップとしてやれる方法を考えるのがスマートなのでは?とか思ってしまう。

あと、ぶっちゃけ思うのは、120%って嘘でしょ。。。うわー身も蓋もない。。。

絶対、家庭の要素とか、煩悩とか、脳みそに入ってくるんです。人間だから。そういうのが自分の思考に入ってくるのをを許容した時点で、「仕事120%!」なんて言えなくないですか?

いやいや、家庭も、煩悩もすべては120%のためなんだ、とか本当に言える?それ、まじで言ってます?僕はちょっと信じられないですけどね。

家族といるときも脳みそ完全に仕事のこと、うまいめしたべてるときも、ちょっと快楽におぼれちゃってるときも完全に脳みそ仕事のことしか考えてないとか、ないでしょ。いや、だったら仕事しろよと、なるでしょw

もう点滴で栄養うってさ、トイレとかにも意識飛ばしたくないから尿瓶活用でつねに仕事してる人いたら信じますけど。いないでしょそんなひと。いうなれば合理的経済人なみの空想的存在ですよ

だからヒロミ氏が振り返って120%ってのも多分ちょっと盛ってるんですけど、でも大事なことは、

「失敗した~」とか「疲れた~」みたいなネガティブな状態になったときのリスタートの仕方が

「いやいや俺はこんなもんじゃねえ」みたいな筋肉質な反応じゃなくてさ

「失敗したけどまあぼちぼちやれるところから~」とか「疲れたからちょっと休むのもありか~」みたいないったん衝撃吸収して凹んで緩やかに元に戻るような感じの方が長い目で見たらいいんじゃないの?ってことだと思うんですよね。

そこが、先日の失敗の蓄積ができた人のスタンスに似てる気がする。

あのときに比べればまだましか~

みたいな、負の状態を受け止めて、受け止めてちょっと「ううっ・・・重っ」てなってる状態からスタートする。そんな考え方や動き方って結構重要なんじゃないかと思うわけです

失敗の相対化~成功体験と同じくらい大事な失敗体験の蓄積~

年末に茨城県の精神保健福祉センターにお招きいただいた際の話の内容がいつの間にか記事になってました

当日は60人くらいの方がご参加されており、私とひきこもり大学の茨城キャンパスを主宰されている大谷武郎さんのご講演の前に自分の経験をお話する機会をいただきました

私は大学院時代に半年間ほどですが自分の家からほとんど出ることができなかった期間があります。多くのひきこもり経験者の方からすればごくごく短期間の経験でしたが、その経験もあったからこそ今でもこういうお仕事をさせていただいているので、経験というのはどこで活きるかわからないものです。。。

上記の記事の中でも書いてありますが、自分のひきこもりのきっかけはいわゆる「学業のつまずき」でした。

大学院での研究がうまくいかず、教授やゼミの先輩や同期の方々にそれを打ち明けることもできず、研究室に行くのが怖くなってしまったんですよね。

ただ、大学院への行きづらさは、ひきこもりの最終的なトリガーでもあったのですが、そうなってしまう原因はもっと前から蓄積されていたように思います。

それは、「失敗に対する打たれ強さ」が無かったこと。自分で何かを意思決定して、おもいっきり顔面に岩が直撃するくらいの衝撃的な失敗ってのを全然経験してこなかったんですよね。

だから、あるときにそういうのを一回食らうと、それが致命傷になって立ち上がれなくなる。

もし、もっと前の時点で、そういう経験を何度も経験していれば、「あのときに比べればたいしたことないな」と思えるかもしれないけれど、当時の自分にはそういう余裕も引き出しもなかったんですよね。。。

よく、ひきこもりからの脱出には成功体験の蓄積が重要だ、と言われます。

もちろんそれもあるんですが、ひきこもりにならないためには何が必要か、というと、僕は失敗体験の蓄積だと思うんですよね。

色々な失敗をすることで、いま直面している失敗を相対化できることができる。

「あのときに比べればたいしたことないか・・・」と自分を納得させて何とか前に進むことができる。

失敗にはそういうメリットがあります。自分は大学院に戻ってからは、それまで自分が避けてきた「失敗」という経験を意識的に蓄積しようとしました。

具体的には、自分がやりたくないと忌避したり、やれるだろうか、と不安に思うことをあえてやり続ける、ってことだったんですけど

例えば・・・

就職活動では直感的に面倒だと思っても、好きな会社だろうが興味ない会社だろうがひたすら説明会に参加して話を聞く。

OBや社員訪問をして、これで十分聞いたからいいや、と自分で思った人数を越えて、これでもかというくらい話を聞いて回る。

そんなことやってちょっと必死過ぎない?恥ずかしくない?と思っていた終活対策の集まりやセミナーに通ってみる。

こんなことしてるともう毎日失敗の連続だし、恥ずかしい経験の上にさらに恥ずかしい経験を重ねるような毎日でしたが、結果的には通算3回の就職活動の中で一番手ごたえのある活動と結果だったかなと思います。

あと、大学・大学院時代を通じてほとんど参加しなかったいわゆる「合コン」に参加するとか。もう初回の時とかどんな感じだったか覚えてないですが、まあおぼこい感じだったと思います(赤面)。でも行く。

そしたら徐々にその場に慣れてきて、いつしか男性メンバーを揃える立場になって、合コン自体を企画する立場になることも増えて、なんだかそういう場を創るのが楽しくなってくる。

果ては100人くらいのイベントを企画して気の合う友人と開催してみたりと、予想しない方向に自分が成長していたりしました。

そうやって避けたい、恥ずかしいからやりたくない、と思っていたことをあえてやる、続けると、どうやら予期せぬいいことがあるわけですが、一方で着手した初期から中盤くらいまでは目も当てられないくらいの失敗をたくさん経験するわけです。

そこで失敗との付き合い方も何となくわかってくる。

個人的には「あのときに比べたらまだ楽」という失敗の相対化ができたのは大きかったですね。

仕事でいえば、大学院のひきこもり経験がボトムでしたし、

生命の危機でいえば、世界一周中にトルコのイスタンブールのぼったくり熟女バーでコーラ1杯7万円取られかけた上に、ファイナルファイトの中ボスのような容姿のスキンヘッドの巨漢に胸倉つかまれて空中浮遊した経験がボトムだし、

恋愛でいえば、自分のちゃちなプライドとコミュニケーション下手故にふられてしまったあの経験(この話はここでつまびらかにはできないっす・・・)だし

いろんなボトムラインができました。そういう底値の失敗があるから、自分をだましだまし再起できる。再起して心が正常ラインまで浮かび上がってきたら、多少はためてある成功体験を頼りにチャレンジしていける。

そういう意味で、私の中で、成功体験と失敗体験は、自分が生きていく上でそれぞれ違った役割を持っていて、どちらも大事な記憶なんですよね。

だから、人には成功体験だけでなく、失敗体験もたくさん積んでおいた方が良いって言います。茨城での話でも、それを何より伝えたかった。

何かにトライして100%成功することなんてまずない。失敗は必ずつきまとう。それに直面している時はつらいけど、だからといってそれを避けずにしっかり貯めていくと、中長期的に自分のタメになるから。

アンケートで自分の話を聞いて楽になった、という感想を書いてくれた方が何人もいたのですが、そういう方はきっと「成功の呪縛」に縛られているんだと思う。成功しなければいけない。成功する見込みがないならやってはいけない。そんな縛りを課していると、挑戦する機会が極度に減るんです。トライできなければ失敗ができない。失敗ができなければ過去の自分のように心の防御力が限りなく低い状態で社会に出ていくことになる。

だからなるべく早い段階からいろいろなことに挑戦して失敗するのがいいと思う。でも、経験はいつでも始められる。若いころにできなければ今からでもトライしてみたほうがいい。そして、恥ずかしいかもしれないけど、周りを頼ってほしいなと思う。若いころは周りにサポーターがいるのが当たり前の環境だったけど、社会的に成人というレッテル貼られたら、それが急になくなるんです。自分が声を挙げないとなかなか気づいてもらえない。

大人と言われる人に、一人として完璧な人なんていないのだから、持ちつ持たれつ、期待通りのサポートじゃなければ「まあしょうがないか」で次の人に頼るくらいでいいんじゃないでしょうか。

子ども・若者支援の仕事をしていて、10年前と今とでは、支援の手厚さは隔世の感があります。手厚さというのは支援の多様性が増したということです。

恋愛にも就職活動にも相性があるように、支援にも相性があると思う。だから、何かとつながってみてうまくいかないのなら、次を試してみてほしいなと思います。次を試すときに、最初のトライの失敗がきっと役に立つと思います。

周りに頼りながら、自分で意思決定して試してみて、その成功・失敗をベースにして、また頼りながらトライして・・・

そんなループを繰り返していけることが自立するってことなんじゃないかなと最近思います。