自立支援と当事者の幸福

少し前の論文ですが、神戸大学社会システムイノベーションセンターの西村和雄特命教授と同志社大学経済学研究科の八木匡教授が2018年9月に発表した「幸福感と自己決定―日本における実証研究」を読んでいます。

この研究結果の中で、個人が幸福感を感じる要素として、健康、人間関係の次に、所得や学歴ではなく「自己決定」が強い影響を与える、という点がとても興味深い。

というのも、子ども・若者支援が目指す”当事者の自立(ほぼほぼイコール自己決定できること)”という状態が、単純に社会の中で生活していける、という意味以上に、本人の幸せにもつながるという、よりポジティブな結果に結びつく可能性が、この調査結果で示されているからです。

調査の中で、自己決定は、学校選択や進学時の意思決定や就職先の決定といった、人生の中でも比較的重要なタイミングの決断を自分でしたかどうか、という観点で質問されています。そして、それを自分で決めたと回答した回答者の方が、幸福感が高いという結果が示されています。また、その影響の強さは、学歴や経済力の指標である世帯年収額よりも大きいことが示されています。

主観的幸福感を決定する因子の重要度(標準化係数)

学歴が幸福感に対してそれほど強い影響を与えない、というのは感覚的にもわかるのですが、経済的な豊かさと比べても自己決定経験の方が影響が強いという点に驚きを感じます。論文の中では、自己決定が幸福感に与える影響について次のように説明されています。

幸福感を決定する要因としては、健康、人間関係に次ぐ変数としては、所得、学歴よりも自己決定 が強い影響を与えることが分かった。自分で人生の選択をすることで、選択する行動への動機付けが高まる。そして満足度も高まる。そのことが幸福感を高めることにつながっているであろう。

簡単に言えば、自分で決めたことなので、自分事として捉えられる。自分事として捉えられるから、決めたことが思い通りに運んだり、うまくいったりするとリアルに嬉しいと、そういうことなんだと思います。

この指摘は、子ども・若者支援の文脈においても、非常に重要な示唆を提供してくれているような気がします。

というのも、「自分で自己決定できる」ということは、子ども・若者支援の目標である「当事者の自立」という状態に近いからです。

自立という言葉の定義については、厚労省が2004年の社会保障審議会の中で以下のように説明しています。

「自立」とは、「他の援助を受けずに自分の力で身を立てること」の意味であるが、福祉分野では、人権意識の高まりやノーマライゼーションの思想の普及を背景として、「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」、「障害を持っていてもその能力を活用して社会活動に参加すること」の意味としても用いられている。

とくに、上記の太字にしたところ、「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」という部分に、ずばり自己決定という言葉が入っています。

つまり、「個人が自分の身の振り方を自分で決める。その結果が成功であれ、失敗であれ、自分事として受け止める。」そのような姿勢が自立した状態ということなのだと思います。

そして、論文では、そのような自立した状態で日々を送ることが、「意思決定の内容を自分事として捉え、手触り感のある成功体験が満足感を生む」という形で幸福感を醸成していくということを示唆しています。

自立支援により、当事者が自立した状態に到達するのみならず、当事者が幸福に生きていくことにもつながっている。

子ども・若者支援に携わる支援者の方々にとって、自立支援が当事者の幸せにもつながりうる、ということが科学的な調査の結果として示されたのは、とても心強いものなのではないかと思います。

杜氏とデザイン思考

『日本酒の人-仕事と人生-』読了。どんだけ日本酒好きなんだよ、と思われそうですが、そんだけの魅力が日本酒という飲み物にはあるような気がするんですよね。。。

この本で紹介されているのは

飛露喜(廣木酒造/福島県)

天青(熊澤酒造/神奈川県)

白隠正宗(高嶋酒造/静岡県)

若波(若波酒造/福岡県)

天の戸(浅舞酒造/秋田県)

の5つの銘柄・酒蔵。内容は各蔵の杜氏のインタビュー。

ある人は蔵元を継いで社長兼当時としてやっておられたり、ある人は、脱サラしてゼロベースで酒造りに挑戦していたりと、背景は様々ですが、どの方もこれまでの酒蔵の伝統を受け継ぎつつも、変えるべき流れは変え、新しいことに挑戦する姿勢は共通しているように思います。

杜氏と二人三脚で蔵を切り盛りしていく蔵元の振舞いとセットで追っかけていけば、他の業種の企業の社内起業家の活動にも示唆があるんじゃないかと思います。あ、社内起業家本人だけでなく、彼等の上司の方にとってもですね(笑)

日本酒も一種の商品なわけで、それを世に送り出そうとするプロセスは、他の商品を考案して販売していくプロセスと共通するところがあるように思う。

例えば、商品のコンセプトを考えるところ。

デザイン思考の文脈では、マーケティングリサーチベースでマスからターゲットやコンセプトを導出するのではなく、むしろ「特定の一人」に焦点を絞り込んだところから商品開発を始めていくわけですが、廣木酒造の廣木健司氏は

「お嬢さんと結婚させてください」と相手のお宅へ挨拶に行くとき、お父さんへの手土産に選ばれる一本でありたい。それが自分が目指す飛露喜の存在場所であり、酒蔵としての究極の目標

と表現している。このぐらいまで銘柄のコンセプトが具体化されていると、味わい、デザイン、販売方法などもイメージが膨らみ、無駄のない仮説検証ができるのではないだろうか。

また、白隠正宗の高嶋杜氏は、お酒のコンセプトを考えるときに、人ではなく合わせる料理で語っているのも印象的でした。何にフォーカスするか、というときに無意識的に「特定の人」という風に考えてしまうところを、「特定の食材や料理」という視点でとらえているのが日本酒的だなと思う。

僕が造りたいのは、地元で造って、地元で飲まれる、本来の地酒なんです。地元で飲んでもらうためには、地元の食べ物に合うものでなければならない。地元の食文化ありきで造られたものこそが、本来の地酒だと結論付けたんです。そのためには地元の食文化を知らなければいけません。そこでいろいろ調べて行きついたのが、沼津名産のムロアジの干物なんです。

そういうシーンを思い浮かべたときにどういう味わいのお酒がいいのか、そこはもう試行錯誤の連続だと思うんですよね。しかも仕込んでから結果がでるまでだいぶ時間もかかるし、出来上がりの味が想像と違っていたとして、じゃあ複雑な工程のどこを変えれば味が変わるのか、といった検証ポイントも無数にある。場合によっては伝統的な自分の蔵のやり方を根本的に改める必要もあるのかもしれない。

そんなトライ&エラーの苦労や達成感といった話がリアルに綴られているわけですが、その姿は新しい価値を生み出そうとして苦闘するイノベーターの姿にダブるんですよね。

個人的には、そんなイノベーションが起きうる酒蔵というのが日本全国に1,000以上あるってのはすごいことだと思うし、ただでさえ美味しいそれらの銘柄が世に出るまでに、この本に書かれているようなストーリーがあることを知っていれば、お酒の味わいや、飲む時の場の盛り上がりなんかもだいぶ変わってくるんじゃないかと思うんですよね。

Appleコンピューターの最初のファンも、きっとハードの素晴らしさだけでなく、ジョブズがそれを生み出すまでの過程も込みで身銭を切ったと思う。

そこまで知ったうえで楽しむ価値が、日本酒というアイテムにはあるような気がする。


イノベーションとオープンダイアログの相性

慶應SFCの井庭崇先生の『対話のことば-オープンダイアログに学ぶ問題解消のための対話の心得』を読了。

 

オープンダイアログは、様々な立場の参加者が対話を通じて当事者の抱える問題を、解決ではなく「解消」することを目指す手法です。もともとはフィンランドの精神医療の現場で開発されたものだそうです。国内では、ひきこもり支援の文脈での活用がポツポツ出てきている感じです。

個人的には、この方法は精神医療での適業に限らず、より広い分野でも活用しうる方法だと考えています。

冒頭の書籍ではソーシャルイノベーション領域での活用可能性に言及されていますが、おそらくもっと広いでしょう。

広義のイノベーション、例えば新規事業の創出や既存事業の改善といった部分でも使える手法なんじゃないかな。

実際、私の働き先の一つで、若者の起業支援を展開するGOBでは、同社が支援する起業チームに対して定期的にメンタリングの機会を設けているんですが、このメンタリングとオープンダイアログの手法はかなり相性が良いです。

GOBのメンタリングの場では、チームのリーダーとメンバー、メンター役の自分に加えて、最近そのサービスのヘビーユーザーが参加して協議の場を設けています。

立場の異なる参加者が、車座になって無印良品の「体にフィットするソファ」に身を任せながら、毎週1~2時間、いろいろなことを話します。

話の内容も、メンバーの誰かが「あれについて困っている」「これをどうしようか」と話し始める。それに対して批判や責任者探しをするのではなく、話を聞いて、それぞれが感じたことやどうしたらいいかを自由に話し合う感じです。

話していると、当時者が直面している問題に対する解決するときもあれば、そういうことが生まれる構造そのものが解消されることもあったりします。

そんな風に話をするときと、そうでないとき(例えばチームとメンターのみ)とでは、話の内容や話し合い後の展開がかなり違ってくる。

 

他者として関わることのデメリット

当事者の立場・目線をインストールすることで見えてくるものの重要さ

チームとの対話に論点によっては、その関係が対立関係に近いものになる時もあったんですよね。

対立関係になってしまうと、問題を他者目線で考えてしまう。でも、その目線になると、当時者が抱えている悩みや、当時者から見える景色を共有できない。

その結果、彼等の本音に迫ることができず、彼等が抱えている問題を彼等の立場でアプローチすることが難しくなる、ということがままあるわけです。

ここで敢えてチームの話に対する自分の価値判断を保留して、まずは聞くに徹する。彼らの立場で見える景色を直に理解すると、地に足がついた展望が見えてくることが多い。

 

「当事者と支援者」単線型のコミュニケーションの限界

輻輳型のコミュニケーションによって見えてくるもの

対話の参加者が、当事者と協力者だけだと、解釈の幅はどうしても限られてくる。

でも、そこに多様なメンバーが参加して、問題に対する解釈を提示することで、多様性が担保され、当時者がとらわれていた問題に対するアプローチがたくさんあることが明るみになる。

「問題に対するアプローチは(これしか)ない」という認識でいることと、「いろんなアプローチがあるし、そもそも問題の捉え方もこれだけじゃない」という認識でいることは、当時者の心理的な余裕にかなり違いを生むようです。

異なる解釈の掛け合わせによって新しいアイデアが生み出されることもあり、そういう意味では多様な参加者がその場にいることのメリットは大きい気がします。

 

問題の解決ではなく、解消につながる対話

冗長な話の展開に身を任せてみる

問題を解決するためのKPIを設定して淡々とそれをモニタリングして、ビハインドしたときには、その解決方法を考えるという、一見整ったアプローチは、しかしながら、問題の解決に終始してしまうことも多いです。

同じような問題が断続的に発生するときは、その背後にある構造自体に手を入れる必要があるけれど、そこまで視点が貫通しない。

そういうときは、比較的話の論点が移ろうことを許容して、一見解決にストレートにつながっていないようなやり取りに身を任せてみると、実は本質的な問題に対する処方箋が提示されたり、「要はこうすれば解決じゃね?」というようなバンカーバスター的な意見がぽっと出てきたりする。

対話の論点の枠を設定しないことで、多様な解釈がそのポテンシャルを発揮できるようです。

 

透明性、信頼関係、持続性

こういった対話の場が構築できている背景として重要なのは、「信頼関係」「透明性」「持続性」という相補的な要素がベースにあるのが大きいと思います。

お互いがどういう考え方の人なのかわかっているからこそ、正直に話せる。何度会っても苦にならない。

話している内容がお互いいい意味で筒抜けなので、相手を思いやりながら話せるし自分がどう考えているのか、どう思われているのかを受容できる、次回の打ち合わせが怖くない。

何度も続けているからこそ相互理解は深まり、本音を話すことができる。

この要素があると、オープンダイアログの効果はかなり高まると思います。偶然にも、参加しているインキュベーションチームがこれらを満たしていて、非常にいい環境で検討を進められているように感じます。

 

オープンダイアログの活用事例は、国内でもまだ少なく、医療・福祉領域に限られているけれど、適用可能な領域はかなり広いでしょうね。

特に、じっくりとPMF(プロダクト・マーケット・フィット)を検討するシード期のインキュベーションチームを支援する方法としてはかなり有効な気がします。

メンバー間の対話のスタンスや用語を統一するという意味で、本書の内容を共有しておくと、個々の協議のクオリティだけでなく、中長期的なチームのチカラもかなり変わってくるんじゃないかな。おススメです。

子ども・若者支援におけるICT導入への期待と課題

名古屋市で、LINEを使って、子ども・若者が支援者とつながることができる仕組みがモデル事業の形で始まったようです。

子ども・若者支援の領域にICTが本格的に導入される兆しが出てきてますね。

先日は日本マイクロソフトが、子ども・若者支援の一環として、プログラミング教育環境を構築すると記者発表しています。

こういったコンピューター技術を導入することで、子ども・若者支援ができることは大きく広がる可能性があります。

たとえば、LINEなどのコミュニケーションツールを使ったやり取りは、特に困難を抱える子ども・若者を発見する段階で大きな効果が期待できます。

また、プログラミング教育は、就労支援の段階で、社会ニーズにかなうスキルを学ぶことができ、就労を希望する若者と働き手を求める社会とのミスマッチ解消に効果があると期待できます。

ただ、一方で、こういったLINE相談やプログラミング教育を使う支援者の側にこれらの技術を使いこなす素養があるのか、というところがこれからの課題になってくると思います。

冒頭の記事の中で名古屋市の総合相談センターの方がおっしゃっているように、対面でのコミュニケーションとLINEでのコミュニケーションは、かなり大きく異なっています。

LINE相談への期待と課題については以前実際に体験してみて思うところを書いていますので、ご参考にどうぞ↓

プログラミング教育も、多くの人はかじったこともないスキル領域なので、サービス利用者に先行して支援者が学ぶ必要があります。

このように、ICTが子ども・若者支援の領域に寄与する期待値はかなり大きいものの、実際の支援に実装していく段階になると、まだまだ準備が整っているとは言い難い。

とはいえ、現場の支援スタッフの方々も現業で繁忙を極めており、時間を割いてスキルアップに投資できるかどうかという実情もあったりします。

個人的には、せっかくよいツールが社会の側から提供され始めているので使わない手はないと思っています。

例えば、東京のNPO法人であるPIECESの「Creative Garage」のような、民間企業との連携によるプログラミング教育機会の提供のように、人材そのものも支援団体の外との連携によって確保する、というのも一つの手なのではないでしょうか。

最近は、子ども・若者支援の領域に限らず、社会的な要請と人の成長スピードのミスマッチが大きくなってきているような気がします。

そのようなときに、支援に必要なリソースをすべて組織内でやりくりしようとすると、必要なタイミングに間に合わない局面も出てくるでしょう。

そのような場合、外部との協働により柔軟迅速に対応していけるかどうかが、子ども・若者支援に携わる組織が効果的な支援を継続していけるかの分水嶺になってくるのではないかと思います。

個人的には、「子若支援2.0」とでも言える新しい波が来そうで、少し楽しみだったりします。

茨城県精神保健福祉センター ひきこもり講演会

本日は、茨城県精神保健福祉センターのお招きで定期的に開催されている「ひきこもり講演会」にお邪魔してきました。

精神保健福祉センターは、精神保健の向上及び精神障害者の福祉の増進を図るための機関という位置づけの機関です。

業務内容は
地域住民の精神的健康の保持増進、精神障害の予防、適切な精神医療の推進から、社会復帰の促進、自立と社会経済活動への参加の促進のための援助に至るまで、非常に広い範囲が規定されています。

厚労省のサイトをみると、全国47都道府県+政令指定都市に設置されている機関ですね。

子ども・若者支援領域では、ひきこもりに関する相談窓口を持ってるところもあれば、発達障害に関する相談を引き受けていたり、施設によって対応できる業務は異なる印象を持っています(違っていたらすいません)。

今日は、当時者やそのご家族も結構いらっしゃるということで、普段は支援という観点でお話することが多い内容を、過去に当事者であった経験を軸にしてお話させていただきました。

といっても10年くらい前のことですし、ひきこもっていた期間でいうと半年間という比較的短い期間だったので、来ていたただいた方に何か持ち帰ってもらえるような話ができるかなと不安でした。

案の定事後アンケートを見ると、「長期間ひきこもり状態にある人とはちょっと違うなと感じました」というコメントもいただいたりして、やっぱりそうだよね、と納得。ただ、そういった方であっても何かしら「ふーん」と思ってもらえたならいいかな、と思います。

ありがたいことに、話をさせてもらった後には何人もの方から質問をいただきました。こういう場で質問がないと、「内容全然刺さってなかったんじゃないか・・・」と不安になるので、これだけ質問いただけるのはすごく嬉しいですよね。

質問の内容でハッとさせられることも多く、今日も、心理カウンセラーの方から

「ひきこもりから回復しつつあるときの価値観と、ある程度回復してからの価値観が違うように感じるのですが、どうなんでしょう?」

という質問をいただいて、確かに、ひきこもり状態から回復に至る段階では、自分がうまくできたこと、成功体験にフォーカスしていたけれど

いったん軌道に戻ってからは失敗にフォーカスしていたな、ということと気づいたりしました。

やはり問いかけは重要ですね。自問自答も重要だけど、他の方からいただく問いかけは自分の脳内に考えていないだけにより考えさせられることが多いです。

講演後は、元ひきこもりで茨城引きこもり大学を立ち上げられた大谷さんと話して、起業がらみの話で盛り上がったりと、いろいろとつながりがありそうな気がする茨城県でした。