中田家と田中家の家事育児-苗字よろしく逆ベクトルの運営方針-

数日前にオリエンタルラジオの中田さんが、育児家事と仕事について、方針変更する話をされてましたね。

少なからず家事育児を担う者として、中田さんの取り組みはリスペクト、そして何となくライバル心(笑)をもって拝見していましたが、今回上記のような路線変更発言があり、ちょっと驚きました。連載どうするんでしょうか・・・とかそれはいらぬ心配かw

さて、記事の内容を読むと、中田家で起こっていた問題は、中田さんという子人の活動に対する期待値の問題なように思います。

例えば、中田さんが家族のためを思って家事育児をしているのに、相方が満足してくれない。そればかりか、さらにいろいろなタスクをこなすことを要求してくるというくだり。

あと、中田さんが帯びた”イクメン”というブランド(焼き印)の存在もあるのではないでしょうか。

中田さんはイクメンとしてのポジショニングをいろいろな努力を通じて構築してきたのだと思います。それが社会的にも認知され、「中田さん=イクメン」としてのブランドが引っ付いた。

そうなると、ブランドっていうのは不思議なもので、どこかのタイミングで、”このブランドはこうあらねばならない”という外からの圧力が強くなるんですよね。

中田さんはとてもまじめで優しい人なのだと思います。

”イクメン”というブランドを信じて寄せられる相方のリクエストや、「中田さんはイクメンであらねばならない」という社会の要請にも応えようとして、その結果、カウンセラーが言うように「全てを合わせてしまった」。そして、自分がやりたいことを出来ていないというストレスが蓄積されてしまったということなのではないでしょうか。

個人的には、中田さんが直面された事態には、私も結構頻繁に直面しています。

特に「労働時間を減らして家事育児への投入時間は増やせ、かつ、所得は前職退職時と同等以上にせよ」という相方の要求水準とか一緒で笑ったw

ちなみに僕はまだその状態に近づけるべく鋭意努力している段階ですけどもね・・・(苦笑)

なので、気持ちはわかるんです。「ああいいよ。じゃあもうやんねーよ」みたいな心理状態にも当然なります。

ただ、「良い夫をやめます」宣言はおそらくベストな打ち手ではないような感じもするんですよね。。。

期待値の問題なのであれば、期待値をコントロールする必要がある、というのがストレートな課題設定になると思います。

うちの場合は、同じような緊張状態に直面した場合には、限りある時間の中で、抱えているプロジェクトの要求水準と、相方が納得する給与水準(笑)を満たすためには一定時間を仕事に割かねばならず、それの残りでやれる家事育児をやるから、ここで手打ちにしようぜ、という話をするようにしています。

その時に、他の家庭の例も引き合いに出して、同じような繁忙度の家庭と比較しても、自分の家事育児への貢献は見劣りするものではない、ということも言い添えます。

そして、こういう緊張状態になるからには、自分も改めて普段当たり前と思っている相方の家事育児の活動を、当たり前と思わずにちゃんと「ありがとう」と伝えるようにする。そんな修正を心がけています。

相方の目には、どうしても家事育児の部分だけがよく映ってしまいますからね。在宅でリビングで終日仕事みたいなスタイルじゃない限り、仕事の部分はなかなか見えないものです。

そうなると、抱えているタスクの総量がわからない状態なわけで、厳密には家事育児の負担割合が少ないということは言えない。

でも往々にしてその認識が、イライラや体調不良などで霧消する。そんなとき、この緊張状態が再発してしまうんですよね。

だからこそ、いま自分が抱えている仕事の忙しさや状況、あと、それを自分がそんだけの時間と労力をかけてやる必要があると思っている理由なんかは、その都度相方に伝えておくことが重要なのかなと思います。

そこが共有できてなお、家事育児の負担が少ないというのであれば、仕事の効率をさらに高めるためにどうするか考えるなり、一時的に業務と家事のバランスを家事寄りにするなど、やりようがあるのではないでしょうか。

それに、夫婦そろって仕事に注力、家事は家政婦、育児はベビーシッター?なのかな。そうやって業務ごとに切り分けて、機能分化していくよりも、ある程度のカオスな状態を自分の生活の中に持っておくことは悪いことではないと思うんですよね。

個人的には、自分の中に多様性な経験やノウハウがまぜこぜになって、それがあるとき変な結合の仕方をしてアウトプットされることが面白い気がします。

仕事と洗濯系タスクが結びついたことはないけれど、料理なんかはわりかし結びつくことが多いです。

深夜バス多用して、移動時間と睡眠時間を重複させるとか、まさにそういう仕事と家事育児のバランスを取るところから生まれた苦肉の策ですけど、いまとなっては結構気に入っています(笑)

異なるアクティビティの間の結びつきをたくさん作るためには、ある程度、生活の中での自分の役割が多様だった方がいい気がするのです。

ま、そこは個人、家庭による違いがある気がします。うちはこんな感じで親子それぞれマルチロール・マルチタスクで、カオスの縁を歩むような家庭経営をしている感じです。

中田家は秩序の方向に。田中家は秩序とカオスの合間に、ということで、家庭運営方針は苗字よろしくベクトルが逆(笑)

中田家もいろいろ揺り戻しや行きつくとこまで行くとか、仮説と実践が繰り返される方が、連載的には紆余曲折があった方が面白いと思う(うがちすぎw)。

次回当たり、「落ち着くところに落ち着きました。これが中田家流。」みたいなエントリーがくるかもしれないですね。

家事育児メンに深夜バス。結構いけまっせ。

最近、出張の足(兼ベッド)として深夜バスを使うようになりました。

今日もきょうとて名古屋。朝七時。

名古屋名物のモーニングをぱくつきながら仕事してます。

朝7時から仕事を開始できる(ブログを書いてるのは仕事じゃないかw)と、生産効率が違いますね。

普段はこの時間子どもが起きだして「ハラヘッタ」コールに追い立てられるように朝食を作り、あわただしく準備して保育園に送りに行くルーチンを実行している時間帯なのですごくうれしい。

深夜バスという選択肢は、いわゆる貧乏で(質の低い睡眠であっても翌日活動できるだけの)体力があり、時間の余裕もある学生の乗り物だろう、と私も思っていたわけですが

なかなかどうして、最近のバスは家事育児に奮闘するワーキングペアレンツ(特におとん)にとっても使い勝手のいい手段なのではないかと思うようになりました。

まず、何よりも寝ながら移動できるというのがいい。時間短縮効果ですね。

出張当日に移動する場合、前日夜に6時間から7時間程度の睡眠をとり、名古屋に行くのであれば、最寄り駅から名古屋駅までの2時間半くらいなので、合計で8時間半から9時間半。

一方、深夜バスの場合、東京から名古屋はだいたい6時間。乗車するYCAT(横浜シティエアターミナル)までの移動が30分なので、合計6時間半。

なので差分の2時間から3時間くらいが捻出できるわけです。この時間あったら、結構なボリュームのタスクを1つ消化できる。

次に、冒頭にも書いた通り、早朝の生産性の高い時間帯を仕事に充てられる。

名古屋の場合、早朝6時30分に名古屋駅から少し離れたところに到着するわけですが、7時には名古屋駅周辺のカフェが開き始めるので、そこから作業を開始できるのがすごくイイ。

このくらいの時間の頭の動きは本当にすばらしいですね。脳みそをなでなでしてやりたいくらい優秀。この朝のゴールデンタイムを活用できるのは本当にありがたい~。

普段ですと、うちは結構スロースタートなので、保育園の送り時間が9時になってしまうんですよね。。。

で、結局そこから作業場に移動したら9時半とか10時になってしまう。もうその時間になると、頭の回転数はだいぶ落ちているわけです。

単純に作業時間を長くとれるだけでなく、確保した時間の頭の働きがいいとなれば、その時間から得られる生産効率は普段の数倍くらいなんじゃないかと。

最後に、育児家事の一翼を担うものとしてありがたいのは、前日夜の家事育児を最後まで手伝えるということでしょうか。

だいたい帰宅前後の家事育児だと、分担しながらのものもありますが、

  • 子どもの迎え
  • 買い物
  • 夕食準備
  • 夕食片付け
  • 風呂入れ
  • 歯磨き
  • 読み聞かせ
  • 寝かしつけ

はマストで、天候や日程によっては洗濯物の取り入れと洗濯物をたたむという作業が追加になります。

深夜バスによる移動となると、日程的には前日入りになるわけですが、上記の家事を全部やったうえで家を出ても間に合う。これはでかい。

なにがでかいって、

相方に「ちゃんと家事やれる限りのことをやってからいくんですよ」というファイティングポーズを見せられる(笑)

早めに前日入りして顧客への営業だからといって喫する会食も、家事育児に奮闘する相方から見ればただの娯楽なわけです。

家のタスク押し付けて何してるんだと、相方がそう思うのもまあ人情としてわかるわけです。

でも深夜バスなら、タスク全部やりましたよと、会食どころかバスターミナル近くのコンビニで缶ビール1本ですよということで、批判は受けない。

あら不思議、前日入りなのに、「おうおまえ、がんばっとるやないか」という評価になるわけです。

まあ正確には翌日朝のタスクを任せているわけですが、相方の目には、どうせ出張行くんだけど、出発までにできる限りのことをやって仕事との両立を考えている、という風に評価が変容する。

国家間の外交でも担当者の印象が重要なのと同様、家庭内の勢力均衡を図るうえでも、自分がどのような行為を選択し、その行為がどのように相手の目に映るのか、ということを考えながら意思決定するのは非常に重要。

さらにうれしいのは、交通費が馬鹿みたいに安い。家庭にも、具体的には家計にも、優しい。だから相方も僕に、優しい。ええやんええやん。

新幹線で行く場合の下手すれば半額ですから。

本当は、そんなこと気にせず新幹線使えやって話ですが、まあフリーランスやってますと、こういう出費は切り詰めて他のことに使いたいわけです。

浮いた分で子どもに名古屋コーチンのカステラでも買ってやった方が出張に行く気持ちも少しくらいは軽くなるというものです。

もっとも、深夜バスを多用するようになって思うのは、深夜バスを使う理由が「交通費の安さ」だったのは最初の1回くらいで、あとは上記の3つのメリットが大きいから使うようになったんですよね。

家事育児と仕事のバランスを取るためには、仕事の生産性を高い水準で維持する必要がある。そんな人にとっては、深夜バスを利用することは、経済性以上のメリットを享受できる方法なのかもしれません。

最近の深夜バスは依然よりも居住性が格段によくなっていて、今回もほぼほぼフラットに近い姿勢で寝れましたし、翌朝の疲れもほとんどありませんでした。

昔のステレオタイプで物事を見ずに、実際に経験してみる

そうすると、意外に良かった、新しい発見があるということはよくあることなのかなと。「深夜バス×家事育児と仕事の両立」はまさにそんな感じでした。

コレクティブ・インパクトと子ども・若者支援

コレクティブインパクト

この言葉を日本で聞くことは稀です。

それこそ「育て上げ」ネットの工藤さんが口にするのを聞くくらいなもんなのですが、米国生まれのこの考え方を日本語に訳すと

「複数の異なる組織が、ある社会課題を解決するために、個々の組織の壁を超えて協働し、課題解決というインパクトをもたらす」

という考え方のこと。

2011年にMark Kramaer氏とJohn Kania氏が「Stanford Social Innovation Review」という雑誌に寄稿したのが最初だと言われています。→SSIRの論文は無料で閲覧可能(英語)

ちなみに両氏ともに、ソーシャルインパクトを専門とする世界的コンサルティング企業のファウンデーション・ストラテジー・グループ(FSG)のメンバー。

この考え方は、単一の、あるいは限定された領域のプレイヤーの参画だけでは解決ができない(超時間がかかる)ような社会的課題の解決に対する一つの処方箋になると上記の論文の中で紹介されています。

例えば、子ども・若者支援であっても、困難に直面する当事者を発見してから何らかの形で自立できる状態に持っていくためには、行政のどこか特定の部署の活動だけでは難しいですし、NPOだけでも難しい。

また、行政やNPOのような非営利のプレイヤーだけで可能かと言われると、それも難しい。例えば、就労が絡んでくるようなケースにおいては、多少なりとも企業やビジネスサイドの理解と協力が必要になってくるわけです。

理想的にはそれらのプレイヤーが協働して目的(この場合は当事者の自立)を達成し、かつ、各プレイヤーにとって参画したメリットを享受できるようにすればよいのですが、まあそれが簡単にできればSSIRやHBRでこの考え方や、方法論が示される必要もないわけです。そう。実際には、とても難しい。

SSIRの論文では、実際にコレクティブインパクトを生み出すためのポイントとして、

  1. 共通のアジェンダ
  2. 共通の評価システム
  3. 相互に補強しあう活動
  4. 定期的なコミュニケーション
  5. 活動に特化した「支柱」となるサポート

が必要とされています(文言はSSIRよりも後に執筆されたHBR(文末で紹介)のものを記載)。

簡単に言うと

  1. 多様なプレーヤーが受け入れ可能で参画したいと思う共通目標を設定して
  2. その目標が達成できたと誰もが理解できるゴール指標やKPI(Key performance indicator:達成度を評価するための指標)を設定して
  3. 各プレーヤの強みを掛け合わせて
  4. 定期的にコミュニケーションする機会を創り
  5. そういった様々な活動を支える縁の下の力持ち的な存在を用意しようね

ってことなんですが、これ、現場感覚からするとかなりハードル高くて苦笑が漏れるレベル。「いや、そうなんだけど、それができないから困ってんのよ」という声なき声が聞こえてくるようです。

いろいろな自治体と子ども・若者支援地域協議会の設置・運営について協働している経験からすれば、まず共通のアジェンダセットする前に、プレーヤー間の信頼関係が無いことが多い。そんな相手と夢を語るとか夢のまた夢。

特に、非営利団体から見たときの営利団体(一般企業)に対するスタンスが懐疑的すぎる。「どうせ儲けるためにやってるんでしょ。自分たちとは違う原理で動いてるからわかりあえないよね~」と距離を置いていることも多い。

非営利の人は給料もらってるし、営利は利潤を還元するならそれはフェアな気もするんですけどね。

仮に底の部分がクリアできたとしても、今度は企業内部で、その活動の投資対効果があるのかという「投資の正当化」についての説明がクリアできなければならない。

1~5のポイントに到達する前に、まあ結構な超えなければならない山々が青々と連なってるわけです。初夏の穂高なら気持ちがいいんですが、仕事の場面でこの風景はかなりエグいかもしれません。

とはいえ、それが一度動き出せば、これまでに各プレーヤーが見たこともない風景が広がっている可能性も十分にある。ハイリスク・ハイリターンの商品でしょうか。金融商品的な「分け」で言えば。

個人的には、冒頭で引き合いに出した、子ども・若者領域はまさにこのコレクティブインパクトの考え方が必要だと思います。

特にリソースが限られている地方においては、営利・非営利の枠や、公共・民間の壁をつくってる場合ではないと思います。地域の若者のためにできることをやる、という意思のあるプレーヤーが広く参加できる(自由に参加できるという意味ではなく)場を創っていくことが非常に重要なのではないかと思います。

コレクティブインパクトの事例については、今後ちょいちょいご紹介していければなと思っています。

ちなみにハーバードビジネスレビューの2017年2月号でコレクティブインパクトを取り上げた記事はAmazonでKindle版を購入可能。SSIRの内容と比較して、キープレーヤーである企業のポジショニングについての示唆や事例が更新されています。