子ども・若者やそのご家族を支援していくときに大事なことのひとつは、
「そもそも支援、何のためにするんだっけ?」
ということを明確化し、保持することだと思います。
この「なんのために」というところ、大きな目的としては、そんなに諸説でるわけではないと思うんですね。
育て上げネットで普段話されていることも、下記リンクのNPO「抱撲」の記事で奥田理事長がお話されていることはよく似ていると感じます。
一言でいえば、支援の目的は
対象者の「孤立」状態の解消
と言うことができるのではないかと思います。
重要なのは、奥田理事長も言うように、「孤立の解消」であって「孤独の解消」ではないということかなと。ただの言葉の使い方の問題のようにも見えますが、
孤立は一人だけ離れて、つながりや助けの無いこと
一方で
孤独は社会に根差しているけれど、ひとりぼっちであること
というニュアンスの違いがあるように感じます。
ポイントは、他者との関係性の有無にありそうです。なぜなら、他者の存在がない孤立状態では、自分の抱えている困難の深刻さがわからなくなってしまうと思うからなんですよね。
私自身もひきこもっていた時期は、自分以外の存在との接点がかなり希薄化しました。
そうなると、自分の悩みを打ち明けられないと悶々とし、しかもそれがほかの人の抱えている悩みと比較もできないので、どんどん肥大化していってしまったんですよね。
誰かに「そんなんこうすればいいんじゃないの?」と、たとえそれが正解ではないにせよ言われる経験があれば、
自分の悩みが他者から見ると深刻ではないのかもしれない、という「相対感」を持つことができたのかもしれません。それがあれば悩みを自分の中で自己増殖させることもなく、状態が悪化していくのを防げたかもしれません。孤立の怖さってそういうところにあるんじゃないかなと思います。
一方で、孤独という状態は、他者の存在や考え方があって、それに対して距離を置いている状態なので、離れているけれど関係は「ある」わけです。
そこには衝突というアグレッシブな形であれ、「気になる」みたいな静的な形であれ、他者の認識や交流がある。それが悩みのスパイラルに落ち込むことを妨げてくれるのではないかと思います。
なので、子ども・若者やその家族を支援するときに大切なのは、対象者の孤立を解消するアクションであること、という認識を持っておくことが重要なのだと思うわけです。