子ども・若者支援の領域では、行政とNPOのような民間組織が連携していくことが重要なわけですが、これが言うは易し行うは難しということが多い。
一番多いのは、NPOから見て行政サービスのカバレッジが不十分でターゲットにドンピシャのサービスが提供できない、というもの。
NPOの方は自分たちの目の前にいる当事者をサポートするために日々貢献してらっしゃる。
それなのに、行政の対応やアクションは、そもそも誰を相手にしているのかも曖昧だし、アクションもぬるいじゃないかという指摘を聞くことも多いんですよね。
どちらも、地域の当事者を支えるために考えているという点では一緒なのに、なぜこのようなコンフリクト(衝突)が生まれているのだろうか?
激しさのレベルは様々ですが、そんな両者の衝突の場面に居合わせる度、その帰りの電車の中で考えてました。
そんなときに、最近、元厚労省事務次官の村木厚子さんの『日本型組織の病を考える』という本を読んだんですね。
その中で村木さんが書かれている公務員の仕事についての表現を読んで、なんかわかったきがしたんです。その部分を要約すると、こんな感じになるかな。
「公務員の仕事というのは、提供するサービスの充実を考えなければいけない一方で、国民の負担を重くしないようなバランスを取らないといけない。そうすると、結果的に出来上がるのは全員が満足するものにはならない。でも、なるべく多くの人が受け入れてくれる現実的な制度をつくらなければならない。」
僕は、NPOと行政の仕事の違いは、ここんとこに端を発してるような気がするんですよね。
行政が子ども・若者支援の施策を考えようとするときに、ある程度施策の対象者は絞り込まれている。でも、その財源は広く市民・国民が負担する税金で賄われている。
また、特定の団体向けに設える制度であってはならず、汎用性のある制度設計であることが求められる。
そうなってくると、行政が打ち出すアクションは誰もが100点満点をつけられないサービスになることが多くなるわけです。
サービス利用者や施策のパートナーにとっては十分に満足のいく内容ではないという印象を持たれることも当然あるでしょう。でも、それは行政サービスという性質上、ある意味宿命といえる性質なのではないかなと思うんですよね。
もちろん、行政の人は、誰もが100点といわず、高得点をつけてくれるような施策の可能性を追求し続けなければいけない。
でも、NPOや生活者の側も、行政サービスがそもそもそういう性質を帯びていることを理解することが重要なのではないかと思うわけです。
ほら、子ども・若者やその家族といった当事者を支援するときには、みなさん相手の理解が重要って力説してるじゃないですか。
それと一緒で、事業のパートナーである行政に対しても、その視点を遺憾なく発揮すればよくない?と思うんですよね。
カスタマーだけでなく、事業パートナーに対しても、まずは理解ファーストでいきましょ。
そうすれば不要なコンフリクトもなく、提携できるところと難しいところが明白になるし、できなければ他の方法で資金調達と事業展開しなきゃな、って思考になるのではないかと思うのです。
ミッションは同じだけど違うプレイヤーと協業するときの基本スタンスはこうでありたいですよね。