子ども・若者支援協議会はエンジニアリングというよりもブリコラージュに近いと思う
ブリコラージュは、文化人類学者のレヴィ=ストロースが広めた概念で、「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」こと。「器用仕事」とも訳される。
また、ブリコラージュは明確な設計図やコンセプト、実現に必要な十全な材料を揃えた上で目的のものをつくりあげる「エンジニアリング」とは真逆の考え方として位置付けられる考え方だ。
子ども・若者を支援するための仕組み作りは、ブリコラージュかエンジニアリングか
この二択で選べと言われれば、私はブリコラージュという答えを選ぶだろう。
というのも、子ども・若者支援には、画一的な設計図やコンセプトが(まだ)無いからだ。
それは、子ども・若者に関する問題が、比較的新しい問題だからだ。
これは、問題自体はきっと昔からあったんだけど、それが問題として認識され顕在化されたのが比較的最近だという意味で。
なので、どうすれば絶対に解決する、という方法論が確立されていない。今の所いろいろなやり方がいたるところで試みられているのが現状だ。
また、地域における支援リソースの偏在性というのもブリコラージュ的な性質を帯びる大きな原因だ。
都道府県レベルの協議会と市区町村レベルの協議会では、参画できる支援機関に大きな違いがでる。
市区町村の中でも人口規模や立地により異なる。
その地域にある支援リソースが違えば、それをベースに立ち上がる協議会のありようも異なる。言い方を変えれば、そこにあるもので、直面している問題に対応するものを創らなければならないというわけだ。
地方の小さな村に、県庁所在地に立地する専門的な支援機関を設置することはできない。ありあわせのもので支援の仕組みを創る必要が出てくる。それはとてもブリコラージュ的である。
このような性質は、協議会の設置主体である自治体にとってはかなりハードルが高い。自治体の職員の方々が得意としているのは、どちらかというエンジニアリング的な方法論だからだ。
それゆえに、ブリコラージュ的なマインドセットや方法論を学ぶことが重要だとも言える。
レヴィ=ストロースは、ブリコラージュ的な方法を進めるための姿勢を次のように表現している。
『いままでに集めて持っている道具と材料の全体を振り返ってみて、何があるかを全て調べ上げ、もしくは調べなおさなければいけない。その次にはとりわけ大切なことなのだが、道具材料と一種の対話を交わし、いま与えられている問題に対してこれらの資材が出しうる可能な回答を全て並べだしてみる』
まずは地域内の支援リソースを場にぶちまけよう。
そして、地域が直面している解決したい悩みを場に立てかけて、支援リソースがどのように活用できるのかを色々な視点で考えてみる。その蓄積の先に、その地域ならではの支援システムが立ち上がっていく。