リリー・フランキー氏のひきこもり経験から感じたこと

最近、是枝監督の「万引き家族」を観てきました。観た後に「問い」が残る映画は良い作品というのが僕の持論ですが、そういう点でいうと、本作はとても素晴らしい作品だったと思う。

この作品の中で父親(?)役をつとめたのがリリー・フランキーさんなんだけど、最近「ひきこもり新聞」の抜粋で、リリーさんとひきこもり当事者との対談記事が出ていました。

リリーさんご自身がひきこもりだったとは知りませんでした。文中でリリーさんがひきこもっていた当時の状況を振り返って話す内容で、個人的に共感できる部分がたくさんあります。

以下、抜粋しながら自分が共感した事柄を紹介してみたいと思います

「ふつうに考えたら働けばいいんだけど、その気力がまるでないんです。バイトへ行こうと思っただけで3日間ぐらい徹夜をした気分にすらなってしまう。そうなるとバイトへ行くどころではなく外へ出る気力さえなくなっていました。」

一度ひきこもり状態になると、体力的・精神的な疲労感が強いため、何事をするにも非常に億劫になります。特に、自分がやりたくないと思っていることや、ひきこもる原因になった活動などについてはこの傾向はさらに顕著になるんですよね。

「「オレは完全に人間のクズだな」と思いながら暮らしていました。ただ、そういう罪悪感に苛まれる時間を長く続けると、どんどん「無痛」の状態になっていくんです。罪悪感だけでなく、そのほかの感情もほとんど湧き上がらない日々です。あまりに精神状態の危機が続いたため、自分の感覚を守るために感覚自体をカットしてしまったのかな、といまでは思っています。」

初期に抱いていた問題意識も、長期的にマヒしていくんです。よく怪我をすると、最初はすごく痛むけれど、徐々に感じなくなっていく、あれの精神版だと思っていただければ。ストレスを感じ続けないための本能的な反応だと思うんですが、ひきこもり状態が長くなっていくとだんだんそれを感じなくなっていく。そうなっていくと、ひきこもり状態から脱却しようとする意志も弱くなっていきます

「みなさんが不登校をしたり、ひきこもったり、生きづらかったりするのは、きっと自尊心が強いからです。オレもそうでした。自尊心が強くて感受性が強くてロマンチックだから学校や会社に絶望したんです。

それは鈍感でいるよりもずっといいことです。日本にもいろんな人種がいるし、他人からは想像されづらい状況の人もたくさんいます。そういうことを知らず、人の痛みもわからない人間になるよりはずっといいことです。

 でも、きっとこれから自分の強い自尊心と戦うことになるはずです。観念ではなく具体的な出来事によって突き動かされように外へ出ていくはずです。なので、いまはムリをして焦る時期じゃありません。大丈夫、みなさんはまじめだからきっとなんとなるはずです。」

私も、自分の中にある「自分はこうあるべき」というイメージを守ろうとする自尊心、「自分はこうあらねばならない」というまじめさが災いしてひきこもり状態になりました。

でも、ひきこもり状態から脱した今思うことは、この自尊心もまじめさも、脱却後の生活を生きていく上では大事だな、ということです。ただ、何を守るか、何を続けるのか、という対象が違うだけというか。

ひきこもり状態だった当時は、「変わらない自分」を大事にしていたけれど、今は「変わり続ける自分」を大事にできるようになりました。

そもそも人は周囲の環境に影響されて変わるし、頭の中でぐるぐる物事を考えて変わります。一瞬一瞬で違う人といっても過言ではない。だから、「変わらない自分」というのは幻想で、「変わり続ける自分」しかいない。

だけど、その変わり続ける過程や道筋というのは、他の誰にも歩むことができない、そのプロセスが自分が唯一無二の存在なんだなと気づいた時に、自尊心を向ける対象が変わって楽になっていきました。

もう一つのまじめさも、自分を変えないため、周りの自分の評価を変えないために発揮するのではなく、変わり続けるための努力を続けるために発揮するようにすれば、それは大きな強みになるわけです。

そもそも、少し前にはやった「GRID」も表現変えれば「まじめにやり続ける力」ですから。まじめさは強みなのです、ただ、それをどこで、何に対して発揮するかによって得られる結果が変わるということなんですね。

ひきこもり状態ってどんな感じなのかを理解する上でも、ひきこもり状態の人を勇気づけるという点でも、とても価値のある言葉だと思いました。

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