普段目を向けない産業や仕事のことを知れる良書~『葬送の仕事師たち/井上理津子』

少年院に関わる仕事をする中で、自分が持っている漠としたイメージやステレオタイプが当てはめられるような環境があることに気づいた。

人の死に関わる環境もその一つだったんだけど、なんかの新聞かメディアの書評で本書に言及されたものがあり、『葬送の仕事師たち(著:井上理津子)』を読んでみた。

なんでもそうだが、まったく/ほとんど知らなかったことを知る、という過程は、初速の学習スピードが高い。

なくなった人と生きている人の接点をデザインする葬儀業者、亡くなった人の体に関わる湯灌・納棺・修復に関わる専門家、死体を荼毘に付す火葬業者から、亡くなった方を運ぶ霊柩車のドライバーまで、様々な職業の人が関わっていること。

そういった多様な人たちがプライドを持って仕事をしていること。

人の死に関わるビジネスの市場規模と行く末。

そういったことが本書の中で語られており、するすると脳みそに収容されていく。それだけで、自分が持っていた「人の死に関わる仕事=得体のよくわからない人たちがうごめく闇の産業」という図式は霧消する。 見回してみた感じ、自分の周りには葬送業に関わる仕事に就いている友人はいないけれど、もしそういう友人ができたら、この本のことを紹介しながら、「実際どんな仕事?」と、他の仕事とさして変わらない風に聞ける思う。

本書を読んでいて、本来想定していなかったけど印象に残っているのは、人の死というものの線引きは曖昧なものだということだろうか。

生物学的な死も、心臓が止まった時点とするのか、脳死が訪れた時点とするのかなど、厳密にいえばいくつかの視点があるので複層的なんだけど

葬送業に携わる人達の言葉から立ち上がってくる人の生死というのはさらに曖昧な感じになる。

葬祭の現場をデザインする人たちは、親族と死んだ人が語り合う姿を常に見ているし

エンバーミングという技術を用いて生前の姿に死体を整える仕事をしているエンバーマーは死体に語り掛ける

さすがに火葬場の職員の方々は、いかに身体をしっかり焼くか、という技術的な視点が大事だからか、生き死にの線引きは他の業種の人に比べると明確なように感じたけれど、それでも死んだ人を「仏さん」と表現しているように、そこに何らかの人格や存在を認めている。

「死亡」という事象の捉え方の多様性

このテーマは映画や宗教作品の中で何度もお目にかかったことがあるけれど、そのテーマに改めて、「葬送業」というビジネスの現場から光が当てられていることが新鮮だった。

さて、厚生労働省の統計によれば、日本では年間約130万人が死亡している(平成28年度)。

今後20年間で、160万人台まで増加することが見込まれているという。

少子高齢化という言葉には、生まれてくることと、生きていることという、「起点」と「プロセス」の特徴が表現されているけれど、「終点」である、死ぬことは含まれていない。死ぬことの特徴としては、「死に方の多様化」ということは言えそうな気がする。

どのような形で現世とお別れするのか

日本のように宗教観が多様な国においては、そのパターンは増えることはあれ、減ることはないと思う。

それに応じて、葬送という事象を扱うビジネスも多様化していかなければならない。人口減少する中で、ニーズが多様化していく市場は、ファッション・アパレル業界や音楽業界の性質にも通じるものがある。そういった趣味性の高い業界の来し方を見ると、葬送業も近々高度にIT化されていくシナリオも大いにあり得そうな気がする。

僕らが死出の旅に出るころには、自分の趣味嗜好や感情が高度に予測されてAIが我が家の経済事情と親族関係を考慮した理想的な葬式のプランを提案してくれるようになるのかもしれない。

仕事の在り方が変わっていくにせよ、本書で描かれているような葬送に携わるプロフェッショナルが現れてくるのだろうと思う。

ただ、そういったプロフェッショナルが生まれるためには、そういった仕事にちゃんと光が当たり、そこで働きたい・働いてもいいかなと思える人が増えることが重要だ。

そういう役割を果たす上で、こういう本があるのは重要だと思うし、社会としてもそういった仕事があることをちゃんと認識できるような働きかけをしていくことも大事だろう。例えば、学校の社会の授業や道徳の授業で取り上げるとかね。

一般教養的な知識を得る上でもおススメの一冊。