イノベーションとオープンダイアログの相性

慶應SFCの井庭崇先生の『対話のことば-オープンダイアログに学ぶ問題解消のための対話の心得』を読了。

 

オープンダイアログは、様々な立場の参加者が対話を通じて当事者の抱える問題を、解決ではなく「解消」することを目指す手法です。もともとはフィンランドの精神医療の現場で開発されたものだそうです。国内では、ひきこもり支援の文脈での活用がポツポツ出てきている感じです。

個人的には、この方法は精神医療での適業に限らず、より広い分野でも活用しうる方法だと考えています。

冒頭の書籍ではソーシャルイノベーション領域での活用可能性に言及されていますが、おそらくもっと広いでしょう。

広義のイノベーション、例えば新規事業の創出や既存事業の改善といった部分でも使える手法なんじゃないかな。

実際、私の働き先の一つで、若者の起業支援を展開するGOBでは、同社が支援する起業チームに対して定期的にメンタリングの機会を設けているんですが、このメンタリングとオープンダイアログの手法はかなり相性が良いです。

GOBのメンタリングの場では、チームのリーダーとメンバー、メンター役の自分に加えて、最近そのサービスのヘビーユーザーが参加して協議の場を設けています。

立場の異なる参加者が、車座になって無印良品の「体にフィットするソファ」に身を任せながら、毎週1~2時間、いろいろなことを話します。

話の内容も、メンバーの誰かが「あれについて困っている」「これをどうしようか」と話し始める。それに対して批判や責任者探しをするのではなく、話を聞いて、それぞれが感じたことやどうしたらいいかを自由に話し合う感じです。

話していると、当時者が直面している問題に対する解決するときもあれば、そういうことが生まれる構造そのものが解消されることもあったりします。

そんな風に話をするときと、そうでないとき(例えばチームとメンターのみ)とでは、話の内容や話し合い後の展開がかなり違ってくる。

 

他者として関わることのデメリット

当事者の立場・目線をインストールすることで見えてくるものの重要さ

チームとの対話に論点によっては、その関係が対立関係に近いものになる時もあったんですよね。

対立関係になってしまうと、問題を他者目線で考えてしまう。でも、その目線になると、当時者が抱えている悩みや、当時者から見える景色を共有できない。

その結果、彼等の本音に迫ることができず、彼等が抱えている問題を彼等の立場でアプローチすることが難しくなる、ということがままあるわけです。

ここで敢えてチームの話に対する自分の価値判断を保留して、まずは聞くに徹する。彼らの立場で見える景色を直に理解すると、地に足がついた展望が見えてくることが多い。

 

「当事者と支援者」単線型のコミュニケーションの限界

輻輳型のコミュニケーションによって見えてくるもの

対話の参加者が、当事者と協力者だけだと、解釈の幅はどうしても限られてくる。

でも、そこに多様なメンバーが参加して、問題に対する解釈を提示することで、多様性が担保され、当時者がとらわれていた問題に対するアプローチがたくさんあることが明るみになる。

「問題に対するアプローチは(これしか)ない」という認識でいることと、「いろんなアプローチがあるし、そもそも問題の捉え方もこれだけじゃない」という認識でいることは、当時者の心理的な余裕にかなり違いを生むようです。

異なる解釈の掛け合わせによって新しいアイデアが生み出されることもあり、そういう意味では多様な参加者がその場にいることのメリットは大きい気がします。

 

問題の解決ではなく、解消につながる対話

冗長な話の展開に身を任せてみる

問題を解決するためのKPIを設定して淡々とそれをモニタリングして、ビハインドしたときには、その解決方法を考えるという、一見整ったアプローチは、しかしながら、問題の解決に終始してしまうことも多いです。

同じような問題が断続的に発生するときは、その背後にある構造自体に手を入れる必要があるけれど、そこまで視点が貫通しない。

そういうときは、比較的話の論点が移ろうことを許容して、一見解決にストレートにつながっていないようなやり取りに身を任せてみると、実は本質的な問題に対する処方箋が提示されたり、「要はこうすれば解決じゃね?」というようなバンカーバスター的な意見がぽっと出てきたりする。

対話の論点の枠を設定しないことで、多様な解釈がそのポテンシャルを発揮できるようです。

 

透明性、信頼関係、持続性

こういった対話の場が構築できている背景として重要なのは、「信頼関係」「透明性」「持続性」という相補的な要素がベースにあるのが大きいと思います。

お互いがどういう考え方の人なのかわかっているからこそ、正直に話せる。何度会っても苦にならない。

話している内容がお互いいい意味で筒抜けなので、相手を思いやりながら話せるし自分がどう考えているのか、どう思われているのかを受容できる、次回の打ち合わせが怖くない。

何度も続けているからこそ相互理解は深まり、本音を話すことができる。

この要素があると、オープンダイアログの効果はかなり高まると思います。偶然にも、参加しているインキュベーションチームがこれらを満たしていて、非常にいい環境で検討を進められているように感じます。

 

オープンダイアログの活用事例は、国内でもまだ少なく、医療・福祉領域に限られているけれど、適用可能な領域はかなり広いでしょうね。

特に、じっくりとPMF(プロダクト・マーケット・フィット)を検討するシード期のインキュベーションチームを支援する方法としてはかなり有効な気がします。

メンバー間の対話のスタンスや用語を統一するという意味で、本書の内容を共有しておくと、個々の協議のクオリティだけでなく、中長期的なチームのチカラもかなり変わってくるんじゃないかな。おススメです。

子ども・若者支援におけるICT導入への期待と課題

名古屋市で、LINEを使って、子ども・若者が支援者とつながることができる仕組みがモデル事業の形で始まったようです。

子ども・若者支援の領域にICTが本格的に導入される兆しが出てきてますね。

先日は日本マイクロソフトが、子ども・若者支援の一環として、プログラミング教育環境を構築すると記者発表しています。

こういったコンピューター技術を導入することで、子ども・若者支援ができることは大きく広がる可能性があります。

たとえば、LINEなどのコミュニケーションツールを使ったやり取りは、特に困難を抱える子ども・若者を発見する段階で大きな効果が期待できます。

また、プログラミング教育は、就労支援の段階で、社会ニーズにかなうスキルを学ぶことができ、就労を希望する若者と働き手を求める社会とのミスマッチ解消に効果があると期待できます。

ただ、一方で、こういったLINE相談やプログラミング教育を使う支援者の側にこれらの技術を使いこなす素養があるのか、というところがこれからの課題になってくると思います。

冒頭の記事の中で名古屋市の総合相談センターの方がおっしゃっているように、対面でのコミュニケーションとLINEでのコミュニケーションは、かなり大きく異なっています。

LINE相談への期待と課題については以前実際に体験してみて思うところを書いていますので、ご参考にどうぞ↓

プログラミング教育も、多くの人はかじったこともないスキル領域なので、サービス利用者に先行して支援者が学ぶ必要があります。

このように、ICTが子ども・若者支援の領域に寄与する期待値はかなり大きいものの、実際の支援に実装していく段階になると、まだまだ準備が整っているとは言い難い。

とはいえ、現場の支援スタッフの方々も現業で繁忙を極めており、時間を割いてスキルアップに投資できるかどうかという実情もあったりします。

個人的には、せっかくよいツールが社会の側から提供され始めているので使わない手はないと思っています。

例えば、東京のNPO法人であるPIECESの「Creative Garage」のような、民間企業との連携によるプログラミング教育機会の提供のように、人材そのものも支援団体の外との連携によって確保する、というのも一つの手なのではないでしょうか。

最近は、子ども・若者支援の領域に限らず、社会的な要請と人の成長スピードのミスマッチが大きくなってきているような気がします。

そのようなときに、支援に必要なリソースをすべて組織内でやりくりしようとすると、必要なタイミングに間に合わない局面も出てくるでしょう。

そのような場合、外部との協働により柔軟迅速に対応していけるかどうかが、子ども・若者支援に携わる組織が効果的な支援を継続していけるかの分水嶺になってくるのではないかと思います。

個人的には、「子若支援2.0」とでも言える新しい波が来そうで、少し楽しみだったりします。

茨城県精神保健福祉センター ひきこもり講演会

本日は、茨城県精神保健福祉センターのお招きで定期的に開催されている「ひきこもり講演会」にお邪魔してきました。

精神保健福祉センターは、精神保健の向上及び精神障害者の福祉の増進を図るための機関という位置づけの機関です。

業務内容は
地域住民の精神的健康の保持増進、精神障害の予防、適切な精神医療の推進から、社会復帰の促進、自立と社会経済活動への参加の促進のための援助に至るまで、非常に広い範囲が規定されています。

厚労省のサイトをみると、全国47都道府県+政令指定都市に設置されている機関ですね。

子ども・若者支援領域では、ひきこもりに関する相談窓口を持ってるところもあれば、発達障害に関する相談を引き受けていたり、施設によって対応できる業務は異なる印象を持っています(違っていたらすいません)。

今日は、当時者やそのご家族も結構いらっしゃるということで、普段は支援という観点でお話することが多い内容を、過去に当事者であった経験を軸にしてお話させていただきました。

といっても10年くらい前のことですし、ひきこもっていた期間でいうと半年間という比較的短い期間だったので、来ていたただいた方に何か持ち帰ってもらえるような話ができるかなと不安でした。

案の定事後アンケートを見ると、「長期間ひきこもり状態にある人とはちょっと違うなと感じました」というコメントもいただいたりして、やっぱりそうだよね、と納得。ただ、そういった方であっても何かしら「ふーん」と思ってもらえたならいいかな、と思います。

ありがたいことに、話をさせてもらった後には何人もの方から質問をいただきました。こういう場で質問がないと、「内容全然刺さってなかったんじゃないか・・・」と不安になるので、これだけ質問いただけるのはすごく嬉しいですよね。

質問の内容でハッとさせられることも多く、今日も、心理カウンセラーの方から

「ひきこもりから回復しつつあるときの価値観と、ある程度回復してからの価値観が違うように感じるのですが、どうなんでしょう?」

という質問をいただいて、確かに、ひきこもり状態から回復に至る段階では、自分がうまくできたこと、成功体験にフォーカスしていたけれど

いったん軌道に戻ってからは失敗にフォーカスしていたな、ということと気づいたりしました。

やはり問いかけは重要ですね。自問自答も重要だけど、他の方からいただく問いかけは自分の脳内に考えていないだけにより考えさせられることが多いです。

講演後は、元ひきこもりで茨城引きこもり大学を立ち上げられた大谷さんと話して、起業がらみの話で盛り上がったりと、いろいろとつながりがありそうな気がする茨城県でした。

ひきこもりのレイヤー

名店池袋LIBROの店員さんが荻窪に開いた書店兼カフェ「Title」で衝動買いしたうちの一冊。

を読了。

(執筆時)38歳の著者は、ニートではない。同じような調整困難さを抱えた人が住めるシェアハウスを運営していて、ブロガーのようだ。

そして、本のタイトルにもある通り、ひきこもりってわけでもない。高速バスを駆って名古屋のサウナに蒸されに行ったり、何の変哲もない少し遠い町に降りて歩き回ったり、むしろかなりアクティブだ。

でも、他者とのコミュニケーションにどこか苦手意識を抱えていて、多くの人が普通に暮らしているスタイルで生活していくことに難しさを抱えている。満足を感じる行為や状況もちょっと変わっている(ことを本人も自覚している)。

”ひきこもり”って状態のことで、気質のことではない。

でも、少なからぬひきこもりの人が抱えているコミュニケーションや行動上の特徴を”ひきこもり気質”とあえて表現するなら、Pha氏は”ひきこもり気質のひきこもってない人”って感じ。

じゃあ他にどんなタイプがあるのかと考えてみると、

「①ひきこもり気質xひきこもり状態」

「②ひきこもり気質xひきこもり状態ではない」→Pha氏

「③ひきこもり気質ではないxひきこもり状態」

「④ひきこもり気質ではないxひきこもり状態ではない」

気質と状態でいわゆるマトリクス状に分類するとこうなるでしょうか。

3つ目は、普通の人でもブラック企業とかに身を置いて心が折れたらひきこもり状態になるようなパターン。

いや、こういうケース、決して少なくないですし、一度その状態になってしまうとなかなか社会につながりなおすことができない難しいケースも多いのです。決して珍しくない。

僕はどこだろうと思ったときに、たぶん象限としてはPha氏と同じなんだけど、若干④寄り、「④寄りの②」って感じでしょうかね。。。

というように、象限で4つに整理したとしても、各象限の中は無限にプロット可能だし、経時的に自分のポジショニングが揺らぐことも大いにあり得るわけです。

そんな無限の層、ポジショニング移行の可能性があるはずなのに、ちょと前までの日本社会って、「④とそれ以外」の2層で社会のタテマエを創っていたような気がする。①②③は見なかったことにする。あるいは負け組というレッテルを張って阻害する。

無限のレイヤーを「④とそれ以外」という2層に縮約するという編集の剛腕さ。ナベツネかよ!

もっとも、行政やNPOといった様々なプレイヤーが徐々に「それ以外」の解像度を高めてそれぞれの層にあったサービスを開発し始めているのも事実。そんな中で、Pha氏は自分で自分のポジショニングにマッチする環境を創っているのだと思う。

層の解像度を無限に近づけていけば、究極的には個々人の状態はそれぞれ違うので、社会が提供するサービスとの懸隔はどうしても生じてしまう。その開きは自分で距離詰めて、折り合いをつけなければならないのだと思う。Pha氏は少なくとも現段階での折り合い地点を見いだせているように読める。

Pha氏から見た社会、それに適応するための振舞いのある部分は自分もすごく共感する(高速バスが好きとか)。でも6割4分くらいは違うなと思う(夜行の高速バスが好きだし←そこじゃない)。

そこはPha氏よりも④寄りのポジショニングだからかな。私にも自分なりの折り合いのつけ方がある気がする。自分のそういう折り合いのつけ方ってあまり意識してなかったけど、結構面白いかもしれない。

皆さんも例えば、東京の喧噪やひっきりなしのコミュニケーションから逃れるためにどんなことをしているのか、ちょっと振り返ってみるとよいかも。で、Pha氏なり他の人の振舞いと比べてみたら、人それぞれ振舞いも理由も違って楽しいんじゃなかろうか。

内角府「平成30年度 構成機関における相談業務に関する研修」に講師として参加してきました

7・8年前の前職時代は、この研修会に事務局として参加していて、会場の後ろの方に座っていたんですよね。それが前に座って50~60人くらいの方々を前にお話をさせていただける、なんだか不思議な感じです。

この研修、全国の子ども・若者支援に関わる相談機関の相談員さん向けに毎年行われるプログラム。3日連続で、私の担当は2日目の午後の4時間。

このコマ、(後ろで見ていたものとしての)経験上、最も困難なタイミングです。なんたって眠い。参加者初日の夜に懇親会で飲んでますからね。確実に睡眠不足です。

しかもさして広くない教室にパックされて二酸化炭素濃度高いなかで、午前中も4時間ばかし受講されているわけですから疲労もマックスでしょう。僕なら確実に集中力きれてますね。下手すればイライラしてるかもしれない。

ということで、軽く受けたんだけど、当日近くなるほど「これ、相当工夫しないとやばいな・・・」と頭を抱えました。

この悩んで資料をあーでもないこーでもないと編集する作業には、国のこの手の依頼にはフィーがつかないので、一秒でも早く仕上げる(下手すれば既存資料を使いまわす)のが大事なんですが、国の事業に最初に御呼ばれしたわけなので下手なこともできない。

それに何よりテーマが

「デザイン思考を活用したケース検討の実践」

なので、土台になるような資料がない。こういう掛け合わせで講演してるの聞いたことない。

実際開始直後に「デザイン思考という言葉を聞いたことある人?」と振ってみたら手が一本も上がらなかった。一本も!?こんな事初めて(笑)

ということで、いろいろ悩んだ挙句、普段2日か3日かけてやる内容を4時間に詰め込んだ200ページ弱の資料ができました(多っ)

まあ1ページ1ページの情報量は少ないのでこのボリュームなんですけどね。文字多いページはそれだけで眠くなるので(笑)

そして、当日、体調は若干悪い。というか良くない。風邪気味です。

本当はその日は一日ワークショップのことしか考えたくなかったんだけど、別件の資料レビューが入ったのでまずはそれを昼前に終えて、昼過ぎに会場のオリンピック記念センター(通称オリセン)へ。

昼についたので、体調も悪いことだし、近くのラーメン屋で「黒ゴマ担々麺」をリクエスト。これが当たった。振り返ってみると、あのタイミングでゴマがたっぷり入ったあの一杯をチョイスしたのが、その後何とか乗り切れた原因だったのかもしれないとすら思う。担々麺の辛さとゴマの成分(?)のおかげで身体がポカポカになり、いざ会場へ。

しかし代償も大きかった。

会場入りしたあたりから急激に腹部の情勢が不安定化。ここ数日の暴飲暴食に黒ゴマ担々麺がとどめを刺す形で、田中の腹部でかろうじて保たれていた均衡が崩れたのでした。

こんな空気読めないタイミングでの「開けゴマ」はいらない。そもそも開ける門間違ってる

おなかをさすりつつ、会場はまだ午前の部をやっていたので、控室に。今年から受託した企業の担当者がのんびりしてましたのでご挨拶。しばし資料を確認していると、会場が開いたとのことで下見に。

持ち込みPCが投映できるかを確認して、もう控室にいてもやることないので会場の演台で再び資料の確認。事務局の人が午後のシフトに会場をリセットし始めました。

しかし、どうもおかしい。4人グループでお願いしていたのに、机に置かれたグループの紙片の枚数見る限り、6人グループだ。確認したら「ほとんどが6人、2グループだけ5人」ということで、リクエストした内容にかすりもしない構成になってる。

アイスブレークとかインタビューとか4人で回す設定なので、時間配分がだいぶかわるんですけどー。。。

とか不安が頭をよぎる、間もなく、今度は卓上に配置されたポストイットに目がいく。

え、そのポストイット、なんで短冊状なの。

ふつう正方形のやつにするでしょ。。。

ちなみに正方形の在庫はないとの連れないお返事。不安が2連鎖。

そして事務局がセッティング終わった感じで隅っこに退散していくんですが、今度は机の配置がおかしい。

長机が整然と並んだ配置にしてくれてるんですが・・・

グループワークって連絡してますやん。

模造紙使いますやん。

明らかに長机一個ずつ配置してたらワークできないやん。

ということで、長机二つで1つの島をつくってもらうようにお願い。事前のフォームにそんなこと書くスペースはなかったので申し送り十分にできてないのも原因だけど、せめて事前に確認してくださいよー。ということで不安三連鎖。

急いで自分の資料を作り直して6人グループ仕様にして、事務局は机の再配置。

いやこれ、二時間前にきといて正解だったー(あぶねーx2)。

ワークショップ初めてやる会場では超前入りしたほうが絶対いいという先輩の教えに納得。

いろいろ終わって開始30分前、このころには参加者の方がちらほら着席を始めます。しかしこの間がなんとも嫌で。第一静かすぎる。こんな状態でワーク入ったらそりゃアイスブレークいるわ(でもそんな時間はない)。

ということで、スマホを取り出しおもむろにAmazonMusic起動。作業用ジャズのコンピレーションを流して、その音を据え付けマイクで拾って即席のBGMを流す。

するとあら不思議、押し黙っていた参加者の表情が急に緩んで周りの人と雑談したり名刺交換始めたりし始めましたよ。音楽の効果って偉大。

その後、参加者の方の中に北九州市の総合相談センター「YELL」の方がいらっしゃったので、ちょっと聞いたところ前日に懇親会的な飲み会もあったとのこと。ある程度関係ができているのと、各グループ内の雰囲気よさげなので、アイスブレークパートは思い切って丸々削除。結果的にはこれやってたら、いただいた時間を大幅にオーバーしてたので、ギリギリの判断が奏功。

ということで、不安は感じながらも、与えられた環境を当座のトライアル的な仕込みをいくつか投下してできる限り改良して、いざワークショップ開始。

のっけからデザイン思考認知率0%ってのには鼻白んだわけですが、その後は何とか進めることができました。

もうね始まったらやるしかない。目指せ一座建立。参加者の皆さんも何とかついてきてくれているご様子。時折笑顔が出たり、席から立ち上がったりとうれしいアクションも出てきたり。そういう能動的なアクションを見て、ひそかに精神力を奮い立たせる。

相談員の方々が比較的抵抗感なく参加してくれているのって、デザイン思考をしらなくても、現場で実はデザイン思考に近い考え方で支援のしてらっしゃるからだと思うんですよね。

たとえば、当事者を中心に据えて、そこから支援を考えていくのはユーザー中心の考え方に通じるところがあります。

また、他の専門家との協働を前提として支援を展開しているところなんかは、アイデア創発時の多様性を重視する考え方に重なる。

ただ、その過程に方法論としてのフレームがあるわけではない。無意識的にやっている。

無意識にやるのと、今そのアクションをなぜやっているのかを理解しながらやるのとでは、特に成果を出す前の効率性が異なってくる。

たくさんのケースを抱えて時間が不足しがちな現場にとって、フレームを実装して支援を行うことはとても重要なことだと思うのです。

あと、支援を組み立てるときに、どうしても地域のリソースがキャップになってしまうんですよね。現実的なソリューションを出すときに、地域資源の限界を意識して支援を組み立てることはもちろん重要なんですが、それだとずっと”地域にあるもの”だけでしか支援を組み立てられない。

今回はデザイン思考のアイデア創発フェーズで、いったんそのキャップをわきに置いて自由に発想してもらいました。

そうしたほうが、当時者ニーズに本当に必要なことを考えられるし、地域の未来を考えたときに必要なリソースも見えてくるからなんですよね。

今あるものを所与にしてしまうと、できることはずっと変わらない。

でも、足りないものが見えてくれば、それを埋めよう、組み合わせて創り出そうという機運が生まれてくるかもしれない。

そんなことをこのテーマでやろうと思ったときに考えたんだった・・・と、頭の片隅で思いながら進めていきます。

さすがに後半は参加者の疲労の色も濃くなってきたので、

休憩時間を想定よりも多めにとったり、休憩から戻ってきた直後にストレッチしてもらったり、戦術的な手練手管を使って何とか参加者のテンションを維持。4時間で寝る暇を与えず、普段とは異なる脳みその部位を使ってもらったので、終了時の参加者のクタクタ感は半端ない感じでした。何人か目の下にクマできてるな・・・

終了後には多くの方と意見交換する機会をいただき、デザイン思考を使ったケース検討の可能性について理解できた気がする、とフィードバックをもらえたのはありがたかったですね。

事前準備と即興的な対応で何とかしのいだ4時間。帰宅後に夕食を食べて、気絶するように寝ました(笑)

「マイナスからゼロへの支援」と「ゼロからプラスへの支援」

今年は愛知県、徳島県に加え、岡山県のSVを拝命している田中です。本日は岡山県下の市町村の担当者の方々向けに、子ども若者支援地域協議会の説明をするということで、県北地域の中核地域である津山市にお邪魔してきました。

二か月くらい前に津山市の隣の勝央町に同じくSVとしてお邪魔したときは、横浜から津山まで深夜バスを使って早朝6時に到着するという、前入りするにも程があるだろ!という時間に来たのですが、今回は都合が合わず、飛行機で岡山県入り。

とはいえ、10時には津山市に到着し、午前中いっぱい津山城に登城して本丸曲輪で一人PCを開いて仕事をしたり、観光センターのレンタサイクルを借りてB級グルメで有名な橋野食堂でホルモン焼うどんを食べたりしてから会場にレンタサイクルでそのまま乗り付けてるという、もう県北エリア10回以上来てるので滞在の仕方も徐々にこなれてきた感じがします(笑)

今日の会の出席者は、県の担当者の方々、県北エリアの自治体の方々の他、内閣府の担当の方と、臨床心理士で内閣府の委員もお勤めの「コラボオフィス目黒」の植山先生主宰もご参加いただいての豪華なラインナップ。

内閣府からは政策的な動向とマクロ情報の提供、私からは各地の協議会の設置・運営状況のご紹介と設置のポイントの解説をしたうえで、植山先生からはモデルケースを利用したケース検討の練習を

県北地域では唯一協議会を設置している勝央町をはじめ、皆さん自地域で同様の相談があった場合にどのように対応していくかをご検討されていました。

検討された内容の発言を聞いていると、協議会を設置していない地域と設置済みの地域・民間組織(NPOやボランティア組織)とでケース検討のアプローチの仕方が異なっているようだったのが印象的でした。

未設置地域ではどちらかというと、「当事者の何が問題なのか」という点から支援を組み立てようとしているのに対して、設置済みの地域やNPOは「当事者あるいはその親の目指すゴールはどこにあるのか」ということにフォーカスしていました。

もっとも、この指摘の違いは、設置・未設置の違いというよりは、参加された方の所属によるのかもしれません。今回でいえば、どちらかというと福祉系の支援員の方が前者的な目線で、相談センターの相談員の方やNPOの方は後者という分けの方がしっくりくるような気もします。

私自身は、よく

当時者が抱えている問題を特定して、それを解消するような支援を「マイナスからゼロに引っ張り上げていく支援」

「自分なりの自立に向けてのゴール設定ができて、それに向かっていく過程をサポートするような支援は「ゼロからプラスにもっていく支援」

と表現しています。

この二つの支援はどちらがベターか、という話ではなく、どちらの視点も重要ということなのは言うまでもありません。

難しいのは、両タイプの支援をケースに応じてどのように配列させていくのがいいのか、というところにあると思っています。

ケースによっては、最初にどうありたいか、というところを一緒に描いて、それに向かって目下の問題をクリアしていくというアプローチがよいのかもしれない。

また別のケースでは、まずは抱えている問題をじっくり解きほぐしてあげるのがよいのかもしれない。

ケースによって「ー→0」「0→+」の支援をどのタイミングでどのように示していくのかベターかという判断は異なります。それを考えるのが総合相談センターであり、協議会の検討の場でもあります。

また、そういった柔軟な支援を構築するためには、地域における支援リソースが多様であること、相互につながりうるだけの関係ができていることが重要ということもいえると思います。

ケース検討の最後に、勝央町で長年相談窓口の相談員をやられている方が、支援のスタンスについて

「焦らずに、長期的な対応をひとつところで抱えるのではなく、たくさんの関係機関が一緒に支援について考えていくことが重要」

と仰っておられましたが、現場のご経験としても、様々な機関があることで示せる支援の可能性の広さを意識されてのご発言だったのではないかと思うわけです。

地域において

「-→0」「0→+」の支援を担保できていること

両タイプの支援の多様はどのくらいか

支援リソース同士のつながりはどうか

そういった視点を持っておくことが、地域で支援できることを考えていく上で重要なのではないでしょうか。

子ども若者支援地域協議会立ち上げのポイント~愛知県豊橋市の事例から~

先日愛知県の研修会のお招きで、同県豊橋市の子ども・若者支援地域協議会の立ち上げに携わっていた松井清和さんとお話する機会をいただきました。

松井さんは現在豊橋市総務部情報企画課でお勤めですが、H22年からH25 年まで、教育委員会教育部青少年課に続き生涯学習課で子ども・若者政策を担当されていらっしゃいました。

松井さんとは、子ども・若者支援の取り組みが全国的に始まったころからのお付き合いで、かれこれ8年ほどになるでしょうか。

いろいろな地域の協議会で顔を合わせたり、協議会の立ち上げや運営に携わられた方のOB会的な組織を一緒に主宰させていただいたりと、非常にお世話になっている方なのですが、実はいままでちゃんと豊橋市の協議会の設立経緯について突っ込んでお話をしことがなく、自分にとっても非常に学びのある機会となりました。

今回は、松井さんの話から見えてきた豊橋市の協議会設置の4つのポイントについてご紹介していきたいと思います。

将来の政策動向を見据えての前身組織の設置

豊橋市の子ども・若者支援地域協議会の設置は平成22年度なのですが、実は豊橋市ではその前年に「豊橋市若者自立支援ネットワーク協議会」を設置しています。

このネットワーク協議会は、同年5月に設置された「とよはし若者サポートステーション」の設置と同時期に設置されており、当初から「相談窓口と支援の場としてのサポステ、実務者の連携促進の場としてのネットワーク協議会」という構造ができていて、いきなりこの体制を構築するのはすごいな…と思って質問したところ、前任者の方が、子ども・若者政策の今後の動向についての情報をどこからか入手されたという話でした。

豊橋市にはよほど優秀な諜報機関かスパイマスターでもいるんでしょうかね(笑) というほどのことでもないですが、自分の地域の中の情報だけでなく、もすこし広い範囲での政策的なベクトルを把握しておくと、少しずつ準備を進められるというメリットがあるようです。

協議会のポジショニング

豊橋市の協議会は「困難を抱える高校生支援(不登校・中退対策)に注力しよう」ということで、協議会の活動のフォーカスポイントを定めていたそうです。

もちろん、高校生だけの相談にしか乗らないというわけではなく、他の年代にも対応するのですが、設置当初、高校中退者の割合が全国平均よりも高いという問題に直面しており、それを解消するというのが大きな課題だったという背景があります。

実際、その研修会の参加者の反応も見たんですが、高校中退後に困難に直面している人をサポートできるリソースって地域にはあんまりないんですよね。

逆にいうと、中学校までは教育委員会、大人になってからの問題はハローワークやサポステ、福祉部門がカバーしていて、無理してそこまで子若協議会でカバーする必要がないともいえるわけです。

そのような状況下で、協議会の論点を絞り込むのは、参加者にとっての参加目的が明確化されたり、他の協議会との重複を無くせたりといったメリットが期待できるそうです。

「とにかく設置しよう」ではなく、地域の実情と提供サービスを鑑みて、どこに注力するのかを考えて協議会をデザインすることが重要なのではないでしょうか。

安定的かつ効率的な運営のための仕組みづくり

協議会を運営している地域でよく聞かれるのは「協議会がマンネリ化してしまって、何を話せばよいかわからない」というご意見。

個人的には、「問題が解消しないかぎり(地域内の困難を抱える子ども・若者がいなくならない限り)」話すことは尽きないはずだと思うんですけどね。。。

豊橋市の場合は、会議の形式をいわゆる「ロの字型のよくある会議」ではなくワークショップ形式にすることで、参加者からの意見を引き出すような工夫をしているとのこと。

年に1回開催の豊橋市の名物イベント「子ども・若者フォーラム」は、盛況時には約60の機関から約80名が参加するそうです。

会議であれ、イベントであれ、活発にするために重要なのは「コンテンツ」と「集客」だと個人的には思います。人が集まらない、活性化しないという嘆きが出てくる地域は、だいたいこのどちらか(あるいは両方)がうまくいっていないことが多い気がします。

子ども・若者に関わる問題意識は多くの個人・組織が持っていらっしゃいます。

その人たちが不満なのであればそれはコンテンツが参加者にとって新奇性が低かったり価値が無いということ。

欠席が多いということであればそれに加えて広報や周知不足。

豊橋市の場合は松井さんはじめ、ご担当者の方がいろいろな地域の事例を足をつかって仕入れ、盛り上がるための仕掛けを考え、いろいろなルートをつかって参加を要請している賜物なんですよね。

当事者目線(UX)を重視したサービス設計

豊橋市の取り組みの節々には、当時者の立場にたったサービス設計の視点が感じられます。

様々な事情で全日制高校に通えない高校生が困っているという気づきをから通信制高校の合同説明会を開催したり、それまで豊橋駅から車で15分のところにあった相談センターを駅歩10分のところに移したりといったそれぞれの取り組みの根底には、利用者にとってのユーザビリティを高めるという姿勢があります。

個人的に興味深かったのは、総合相談窓口を直営から社会福祉法人に移管したことで、行政直営ではなかなか難しい土休日や夜間の運営がこの措置によって可能になった結果、平日の日中に相談に来れない学生や保護者の利用のハードルがぐっと下がったという話でした。

これらの取り組みは、協議会が高校生(とその保護者)を主軸にした結果、サービスの利用者の解像度が高まり、ユーザビリティが高めることに成功した例と言えるかもしれません。

新規事業開発の観点ではよく「UX(=User Experience、利用者体験)」の重要性が指摘されます。UXを起点にしたサービス開発こそが、利用者に支持され続けるためには重要であるという考え方ですが、豊橋市の取り組みはまさにこの考えの中で実行されているような気がします。

 

豊橋市の取り組みはその他にも、地域間連携など、特徴的な取り組みがたくさんあったのですが、二時間という尺の中ではとてもすべてを拾いきれませんでした。たぶん6時間くらいあっても足りないと思う(笑)

松井さんとは今後もちょくちょく会うので、折に触れて研修会では触れられなかった部分についてもうちょっと突っ込んだお話を聞きたいな~と思いました。

コレクティブ・インパクトと子ども・若者支援

コレクティブインパクト

この言葉を日本で聞くことは稀です。

それこそ「育て上げ」ネットの工藤さんが口にするのを聞くくらいなもんなのですが、米国生まれのこの考え方を日本語に訳すと

「複数の異なる組織が、ある社会課題を解決するために、個々の組織の壁を超えて協働し、課題解決というインパクトをもたらす」

という考え方のこと。

2011年にMark Kramaer氏とJohn Kania氏が「Stanford Social Innovation Review」という雑誌に寄稿したのが最初だと言われています。→SSIRの論文は無料で閲覧可能(英語)

ちなみに両氏ともに、ソーシャルインパクトを専門とする世界的コンサルティング企業のファウンデーション・ストラテジー・グループ(FSG)のメンバー。

この考え方は、単一の、あるいは限定された領域のプレイヤーの参画だけでは解決ができない(超時間がかかる)ような社会的課題の解決に対する一つの処方箋になると上記の論文の中で紹介されています。

例えば、子ども・若者支援であっても、困難に直面する当事者を発見してから何らかの形で自立できる状態に持っていくためには、行政のどこか特定の部署の活動だけでは難しいですし、NPOだけでも難しい。

また、行政やNPOのような非営利のプレイヤーだけで可能かと言われると、それも難しい。例えば、就労が絡んでくるようなケースにおいては、多少なりとも企業やビジネスサイドの理解と協力が必要になってくるわけです。

理想的にはそれらのプレイヤーが協働して目的(この場合は当事者の自立)を達成し、かつ、各プレイヤーにとって参画したメリットを享受できるようにすればよいのですが、まあそれが簡単にできればSSIRやHBRでこの考え方や、方法論が示される必要もないわけです。そう。実際には、とても難しい。

SSIRの論文では、実際にコレクティブインパクトを生み出すためのポイントとして、

  1. 共通のアジェンダ
  2. 共通の評価システム
  3. 相互に補強しあう活動
  4. 定期的なコミュニケーション
  5. 活動に特化した「支柱」となるサポート

が必要とされています(文言はSSIRよりも後に執筆されたHBR(文末で紹介)のものを記載)。

簡単に言うと

  1. 多様なプレーヤーが受け入れ可能で参画したいと思う共通目標を設定して
  2. その目標が達成できたと誰もが理解できるゴール指標やKPI(Key performance indicator:達成度を評価するための指標)を設定して
  3. 各プレーヤの強みを掛け合わせて
  4. 定期的にコミュニケーションする機会を創り
  5. そういった様々な活動を支える縁の下の力持ち的な存在を用意しようね

ってことなんですが、これ、現場感覚からするとかなりハードル高くて苦笑が漏れるレベル。「いや、そうなんだけど、それができないから困ってんのよ」という声なき声が聞こえてくるようです。

いろいろな自治体と子ども・若者支援地域協議会の設置・運営について協働している経験からすれば、まず共通のアジェンダセットする前に、プレーヤー間の信頼関係が無いことが多い。そんな相手と夢を語るとか夢のまた夢。

特に、非営利団体から見たときの営利団体(一般企業)に対するスタンスが懐疑的すぎる。「どうせ儲けるためにやってるんでしょ。自分たちとは違う原理で動いてるからわかりあえないよね~」と距離を置いていることも多い。

非営利の人は給料もらってるし、営利は利潤を還元するならそれはフェアな気もするんですけどね。

仮に底の部分がクリアできたとしても、今度は企業内部で、その活動の投資対効果があるのかという「投資の正当化」についての説明がクリアできなければならない。

1~5のポイントに到達する前に、まあ結構な超えなければならない山々が青々と連なってるわけです。初夏の穂高なら気持ちがいいんですが、仕事の場面でこの風景はかなりエグいかもしれません。

とはいえ、それが一度動き出せば、これまでに各プレーヤーが見たこともない風景が広がっている可能性も十分にある。ハイリスク・ハイリターンの商品でしょうか。金融商品的な「分け」で言えば。

個人的には、冒頭で引き合いに出した、子ども・若者領域はまさにこのコレクティブインパクトの考え方が必要だと思います。

特にリソースが限られている地方においては、営利・非営利の枠や、公共・民間の壁をつくってる場合ではないと思います。地域の若者のためにできることをやる、という意思のあるプレーヤーが広く参加できる(自由に参加できるという意味ではなく)場を創っていくことが非常に重要なのではないかと思います。

コレクティブインパクトの事例については、今後ちょいちょいご紹介していければなと思っています。

ちなみにハーバードビジネスレビューの2017年2月号でコレクティブインパクトを取り上げた記事はAmazonでKindle版を購入可能。SSIRの内容と比較して、キープレーヤーである企業のポジショニングについての示唆や事例が更新されています。

 

Challenged(挑戦する機会に直面する人)というフレームを持つことの重要さ

困難を抱える人の支援の現場に身を置く一方で、若い人の起業を支援する立場で働いていると、両者の本質的な違いがそんなに大きくないのではないか、と思うことがあります。

むしろ、彼らをこのような状況に分けたのは、彼らをとりまく社会の側にあるような気がするんですよね。

障害者支援もそう。

障害を持った方々が、障害者として捉えられるのは、社会が彼らの抱える障害が他の人と同じような生活を送る上で致命的なデザインになっているからなのではないかと思います。

だから、社会が変容すれば障害者が障害者ではなくなる可能性もあるわけです。

障害を持つ人たちにITスキルを習得してもらい、手に職をつけるための支援をしているこの組織の取り組みなどはまさにそれかと。

Challenged (挑戦する機会に直面する人)という呼称の前では障害者と呼ばれる人もそうでない人も関係なく、みな挑戦する人。

そういう認識で社会に生きる多様な人を捉える新しいフレームがもっと普及しても良いのではないかと思います

子ども・若者の個別相談会@石垣市

かなり前のことですが、石垣市の子ども・若者地域支援協議会の立ち上げのお手伝いをして以来、お邪魔する機会がなかなかないのですが、石垣市の子若支援の取り組みとして、個別相談会を実施しているようです。

相談に乗ってくれるのは沖縄県の相談センターであるSoraeの松本大進さん。以前インタビューさせていただいたことがあるのですが、とても熱心な方です。

当時者やそのご家族の方が相談できるチャネルがたくさんあるのはよいことだと思っています。当事者と支援者も人間。そこには相性もありますからね。

相談者からすると、困難に直面したときにどのような支援を受けられるのか、複雑だし広汎だしよくわからない、ということはままあることなので、こういった相談会の場に、各種支援領域の担当者がいらっしゃるとより実のある場になるのではないでしょうか。