発達障害を抱えた当事者の気持ちを知ることができる良書『人の気持ちが聴こえたら』/ジョン・エルダー・ロビソン

アスペルガー症候群を抱えた米国人男性の治療記。

これまで読んだ本の多くは、どちらかというと精神科医や脳科学者という、治療者あるいは研究者の目線での著作が多かったので、当事者目線で書かれた著作、というのが手に取った理由です。

この本の著者は、発達障害の中でも、ASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群)を抱えています。

ASDは、特に社会的なコミュニケーションや他者とのやり取りがうまくできない、興味関心の偏りといった特徴があります(詳しくは国立精神・神経医療研究センターのページをご覧下さい)。

長年他者とのやり取りで悩みを抱えてきたものの、失敗を重ねながら学習し、集中して取り組むことができた音響エンジニアや自動車修理の分野で成功を収めた著者が、あるとき大学の医学実験に参加することを求められます。

その実験は、頭の特定の部位に電気的な刺激を与えることで、脳内の神経回路の再調整を試みる、というもので、結果として自閉症などの症状が改善する可能性がある、というものでした。

人間関係について悩みを抱えていた著者は、その被験者になることを選び、大学での実験に参加します。

その結果、著者の世界観が大きく変容することを体験する。これまで理解できなかった音楽の歌詞や歌声に込められた思い、会話していて感知できなかった相手の気持ちがわかるようになった。ただ、その一方で著者の生活を支えてきたいくつかのものが失われます。

実験の結果、自分の変化が、決して手放しでオールオッケーということにはならない。
トレードオフの形で得られたものと失ったものがある中で当事者としてどのように感じるのか、という部分が、本書の核心部分です。

発達障害を抱えた人にとって、障害と世間から名付けられた特質を解消し、実態のない「普通」という状態に近づきたいという思いはある。

ただ、その障害が自身の仕事を支えてきたのも事実だし、過去の歴史を振り返ったときに、社会の重要な進歩に貢献した人達の一部は同じような障害を抱えていたとという事も指摘されている。
社会の多様性を担保する上で、自分達のような特徴を備えた人たちが必要なのかもしれない。

障害というシールの貼られた特徴とどのように付き合っていくべきか、著者の決断と根拠、思いなどが明確に記載されており、当事者の置かれた状況や気持ちを理解する上でとても参考になる一冊でした。

子どもの権利条例と豊島区

豊島区が複数の子ども・若者に関わる計画を統合した「(仮称)子ども・若者総合計画」の策定支援をCo-Work-Aとして受託している関係で、 本日は豊島区の豊島区の子どもの権利委員会に出席しています。

豊島区は、2006年に子どもの権利に関する条例を独自に制定しているんですね。
子どもの権利に関わる条例は、子どもの権利条約総合研究所によれば、全国の自治体で制定しているのは44自治体(2016年時点)。
そして、豊島区の条例制定は、全国の自治体の中で9番目(東京都内では目黒区に次いで2番目)ということで、かなり早期に子どもの権利に関わる条例を制定されたことになります。

子どもの権利が危ぶまれているというメディア報道などもしばしば目にする昨今ですが、自治体として子ども・若者の権利を守っていくという取り組みを本腰入れて展開していくという流れの中で、子どもの権利に関わる条例の制定を進めていく、というのも一つの方法なのではないかと思う次第です。

もっとも、条例となると、市民の権利を制限し、義務を課すことにもつながりますし、「条例案の作成・提出→審議→公布」というプロセスを経る必要もあるということで、かなり”力のいる”アクションになります。
条例を制定したからには具体的な事業を組成し展開していくことも求められるので、自治体にとっては覚悟も必要なわけですが、実効性のある活動を行っていく上では有効な選択肢になりうるのではないでしょうか。

豊島区の権利条例は、同じ東京都内の世田谷区の「子ども条例」と比較すると、推進計画の内容をディテールの部分にまで言及する(豊島区計画第7章第30条)など、計画・実行面への配慮のある計画であることが一つの特徴だと思います。

総合計画は、ともすれば総花的で抽象度の高いものになりがちなので、アクションに結びつく部分を条例内で言及して担保しておくことが非常に重要なのではないでしょうか。